『死神くん』

えんどコイチ原作の漫画を、Jホラーを代表する『リング』を撮った中田秀夫が実写化したドラマ。魂を冥界へ連れて行く死神くんが、毎回異なる登場人物に対して生の尊さを訴え、召天させていくヒューマンストーリー。

見る前は中田秀夫の名前があったので、一話完結で『世にも奇妙な物語』みたいに雑多なジャンルの話を、ホラーの味付けで処理するドラマだと思って見始めたのだが。第一話は名エピソードとの呼び声高い「心美人」を、設定の説明をもしながら、テキパキと編集した印象。
エモーショナルな部分を残しつつ、大野君の非現実的なキャラクターを淡々と演出していたが、『世にも~』のタモリ的な立ち位置とは些か異なるようで。寧ろ『まどか☆マギカ』のキュウべえを思わせる、死神くんのキャラクター造形は、何故80年代の漫画を今実写化したのか、といった疑問への一先の回答となるのではないだろうか。

一番の疑問だった、本当に“死”を描くのかといった問には、第一話を通して答えてくれたと思う。死は描くが描写はしない。また「おめでとうございます! お迎えにあがりました」というキメ台詞からも分かるように。死神の論理において、死をネガティヴなモノとして表現しないということ。
このことから、死を利用した「泣かせ」の演出に偏らせなかったのは正解ではないかと思う。周りの人にとっての悲しい死と、本人にとっての死を通して、今までできなかった本当の自分らしさを他者から学び、獲得していく過程は希望の話にも見える。

ここからは不満点。福子の部屋のシーンにおける二人の会話を始めとした、冥界の死生観からは、人間のドラマティックは勘違いによる演出であって、死神からは見えない。つまり、人間が蟻の生活をさもドラマティックかのように想像するようなもの。というのを、ドラマの中でするのは面白いと思ったのだが。死神が人間の生活に手心を加えることで、ドラマティックを演出するのは、あまりやり過ぎると、冥界の死生観とのギャップで生まれる可笑しみが薄れる。
折角、偶然出会った三城尚之が、どちらを好きなのか分からない(福子が好きなようにも取れる)ように演出しているのに(人を好きになるのも勘違いというドラマ)。後半に桐谷美玲の台詞で、ドナー登録からのくだりに手心を加えたことが明白になってしまい。その直後に死の直接の原因も画面上に出し。たまたまなのか運命なのかといった、テーマの根幹に関わる部分の曖昧さが消えていくに連れ、面白さも目減りしていた。あの後半の部分は、一話の中ではなく、二話の冒頭に持って来るべきだったのではないだろうか。
運命とは死神の手心なのか、それともたまたま出会った人を好きになったのは、想像力という勘違いなのか、その偶然すらも死神が手を加えたのか、それは誰にも分からないという方が、自分としては好みだ。

それとブス役の子がそれなりにカワイイのは、仕方がない所なのかもしれないが、それは過剰演出を嫌った弊害の一つだと言える。それなら桐谷美玲の演技も、もう少し抑えても良かった気がするが。それでも、非人間的な大野君の演技を見るだけでも、彼の独特な立ち位置が垣間見え、面白かったことは間違いない。

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