『リバースエッジ 大川端探偵社』

隅田川沿いの雑居ビルにある大川端探偵社は3人からなる小さな探偵社。彼らは調査の中で、依頼人やその周辺の人間模様、知られざる背景にゆっくりと触れながら、彼らなりの解決方法を探っていく。

『MOZU』や『ロング・グッドバイ』と比べると、テレビドラマの領分を弁えてる印象で。それは、他のテレビドラマに影響を与えることはないし、歴史に残るわけでもないが、一部の人達の印象には残るといった。つまりテレビドラマに帰属した作品ではなく、大根監督の評価に帰属するであろう作品であるということで。テレ東深夜枠とは、テレビドラマの枠から幾分逸脱したモノなのです。

という訳で、何気に一番書きにくいのが、テレ東の金曜深夜枠。テレビドラマに縁遠い監督の実験場になったり、枠買い取りなのか完パケの作品もある。定期的にAKB48関連のドラマをやっていたり、かと思えばKARAや9nine等、他のアイドルドラマも放送される。挑戦的な意欲枠といえば聞こえはいいが、中身は玉石混交で。流れを読むのも難しいし、内容は見てみないとなんとも言えないものばかり。時代によって移り変わる、ドラマの変遷ともあまり関係がなくて、一つ一つが作品として独立している印象があります。

その中でもこの作品は、テレ東深夜枠を何度も経験した大根監督なので、まだ説明しやすいほう。一番ヒットしたのは『モテキ』だけど、テイストは映画のスピンオフ作品『まほろ駅前番外地』が近く、『湯けむりスナイパー』と原作者が同じ。大根監督自体は、テレ東深夜でよくハードボイルドモノを撮っているのだけれど。何故か今期被ってしまった、ハードボイルド・ドラマ群の一角をなす作品。

『ロング・グッドバイ』と比べると、今ハードボイルドを見せるのがいかに無謀なことか。それを逆手に取った、冗談半分じゃなければ通用しないという事を感じました。
そもそも一話の根幹にあるテーマ自体に、ノスタルジー、終わりゆく昭和の見届け人のような所があって。化学調味料に象徴される、「敢えて、逆に」というのが一周遅れのイデオロギーであることは、注意しておかなくてはなりません。例えば最近「敢えて、逆に」カロリーを度外視して、ジャンキーなノリを売りにした「東京チカラめし」が39箇所閉店したニュースは、記憶に新しい所で。ドミナント戦略のぶり返しが大きく出てるというのは、考慮に入れたとしても。そんな走り回らなくても、東京に化学調味料バキバキの店なんてありますし。終わるものもあれば、始まるものもあり。あれを食うしかなかった時代に比べ、選択肢が増えること自体は、物悲しくはないわけです。

ポストバブル期の、ウンチク話が流行った時代であれば。うるせえ俺は、あのハム肉とほうれん草がノッた街のラーメン屋の味がいいんだよ。って言うのが一周して逆に有りだったんでしょう。でも以前、有吉マツコの怒り新党でも、オムライスの話で似たような事言ってたから。今まで勘で生きてきた人が、記憶の中に辿りつけない問題っていうのはあるのかもしれませんね。

ちなみに昭和自体は、メチャクチャ前に終わってることは分かってないと、こういう徐々に死んでいる話にはならないと思うので、本人は至って自覚的だと思います。答えを曖昧にしないで、ハッキリと見せるのも、本当に今が昭和だったら出来ないことですし。作品内でも「記憶を美化している」とか「昔の味を懐かしんで死んでいくより頼もしい」という台詞が出てきます。またオダジョーの捜査方法は、下町の欺瞞と、欺瞞を求める観光客の共犯関係を利用しているので。足元が不安定で、見当違いのことをやっている訳ではありません。

いざ説明しようとすると、作品内で展開されるイデオロギーに引いているように読めるかもしれませんが。それを今やると、自嘲気味に渇いた笑いで表現するしか無い、という意味で間違ってないと思いますし。終わりゆく昭和にレクイエムを捧げるといった。「週刊漫画ゴラク」的なイデオロギーから一定の距離を持ったまま、付かず離れず接している、この距離感は非常にクレバー

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