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偶然が必然に変わる時(40)・・NY編

そして、運良く仕事との調整も上手くいき3ケ月後には念願のニューヨークに到着しマンハッタンの街を武藤さんと仲良く一緒に歩いているのだから本当に人生と言うのは面白いと思う。

当時、武藤さんは僕より10歳程年下で一番最初に会ったのはケネディー空港まで僕を迎えに来てくれた時だった。

武藤さんはイメージしていたよりも小柄で、電話で聞いていた通り見た目は一見ハーフぽっくって二世に見える顔立ちをしていた。

しかし中身はれっきとした日本人で、物腰の柔らかいとっても良い青年だった。

武藤さんとはその後電話で何度か話はしていたので、
初めて会った時は何の違和感もなくスーッと仲良く慣れたが、それよりも会った瞬間

「あれっ?何処かであった様な、、、」と、ずっと前から知っていたかの様な懐かしい気持ちになった感覚を今でも覚えている。

これも前世からの繋がりなのかどうかは謎であるが魂が正直に反応したのは事実である。

それからケネディー空港からマンハッタンまでのタクシーの中で、僕が起業したきっかけやパリで見つけたスニーカーの話等をしながら盛り上がってきたところで

「武藤さんは何故ニューヨークに来たのですか?」と聞いてみると

「はい、僕の人生も波瀾万丈なんですが、、、
実は僕の父は元々神奈川で不動産の仕事をしていまして、小さい時はお手伝いさんがいる何不自由のない裕福な家で育ったのですが、

僕が二十歳を過ぎた頃に両親が交通事故で亡くなりましてね、、」

と、ポツリポツリと武藤さんが、ニューヨークに来るまでの話しをしてくれた。

武藤さんは一人っ子で両親に可愛いがられながら幼少期を過ごし、私立の高校を出た後、大学に進学する予定だったのだが、

受験当日の朝「このまま大学に行っても何かつまらない、、、」と思って受験には行かず何故か競馬場に行ったらしい。

結局この事がバレてお父さんと喧嘩をして家を飛び出した後、色んなバイトをしながら、少しづつお金を貯めて最終的にはお父さんと同じ不動産会社を経営するまでに至ったらしい。

武藤さんはお父さんに似てビジネスの商才があったらしく、当時は色んなアイデアが次から次へと湧いてきて、
そのどれもが上手く行って短期間でかなり儲けたらしい。

そんな順風満帆な流れの中、突然お父さんの運転していた車が事故に遭い、同乗していたお母さんまでも亡くしてしまうと言う悲しい出来事が起きてしまうのだ。

そして、亡きお父さんの後を叔父さんが会社を引き継ぐ事になったのだが、経営が上手くいかなくなり武藤さんに内緒で借入の保証人を勝手に武藤さん名義にして、お金をあっちこっちから借りていたらしい。

そして、結局会社は倒産し保証人になった武藤さんは借金取りに追われるハメになり、武藤さんの会社は閉めだるを得なくなってしまい、友人のツテでニューヨークに来る事になったらしい。

マンハッタンに向かうタクシーの中で何気なく武藤さんに、「何故ニューヨークに来たのですか?」と聞いた事から、まさかこんな悲しい過去の話を聞くとは思っていなかったので

「武藤さん、ゴメンなさいね、、、何か辛い話をさせちゃって、、、」と、頭を下げると

「いえいえ、全然気にしないで下さい!これも僕の運命と受け入れていますからー♪」と

笑いながら言ってくれたので少し気が楽になったが、
人の運命って本当に一寸先の事は、わからないものだとつくづく思った、、、つづく。



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