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君の名前を小箱にしまう

なにが、とは言わないが、私にとって大きな転換点となった日から69日が経過した。日付が変われば明日で70日になる。鬱々とした気持ちですごした推しのいない約80日と比べ、圧倒的なスピードで流れていったこの70日弱。推しが消えてから吐き出すように言葉を並べたあの日までの期間と、「あの人」の声を聞いてから今日までがほぼ同じ日数だったなんて正直信じられない。それだけこの2ヶ月が満たされるものだったからだろう。

声が聞ける。笑い声が聞ける。歌が聞ける。弾き語りが聞ける。話が聞ける。思想が垣間見える。声を届けられる。存在が確認出来る。

初配信で初めて声を聞いた日は、また声が聞けたことが気が狂うほど嬉しくて、それと同時に吐きそうな程に絶望した。それでもどこかに希望がないかと探しまわった10月と、ゆっくりと絶望を咀嚼した11月を経て今私はここにいる。

結果から言えば、私は多分「諦める」を知ったのだと思う。私が望むような展開は十中八九ないのだと何となく理解したし、不意に寂しさを感じることがあっても不在を理由に泣くことはなくなった。それでもまだ「可能性が0であることは証明できない」なんて御託を並べて小指の爪よりも小さな希望を捨てきれていない私は、厳密に言えば諦められてないのかもしれないけれど。

それでも「諦める」なんて言葉をタイトルに選びながらも、「やっぱり諦められない」とグチャグチャになりながら泣いていたあの日よりは前を向いていると思う。

あの人が配信中にポロポロと教えてくれる未来図は、いつも「数年後」に向かっていた。「今すぐに大きくなれるとは思っていない。それでも時間をかけて徐々に大きくなっていくつもりだ」と。そんな話を何度もされたら、そりゃこちらも「あぁ、あなたの居場所は『ここ』なんですね」なんて察してしまう。あちらもそれとなく伝えるためにそうやって言葉を選んで伝えてくれていたのかもしれない。そこは私の知るところではないけれど、「もしかしたら」と考えてしまうのがオタクの性だ。

優しい人だなと思う。

真綿で首を絞めるように、ジワジワと水に沈んでいくように、ゆっくりと一酸化炭素の濃度が上がるように、穏やかに私の希望を殺してくれた優しい人だ。もしも希望が死んでいなければ、きっと私は「3人」の門出を素直に祝えていなかっただろう。

デビューしてくれただけで嬉しい。声が聞けるだけで嬉しい。それなのにあの人はそれ以上を与えてくれる。これだけやってくれる人を「優しい人」と呼ばずしてなんと呼ぶのだ。

「深夜にのんびり長時間マイクラをして欲しい」なんて願ったのはいつだったか。「いつかMIX配信がみたい」と言ったのは初めてメッセージを送った時だったはず。「君が好きだと言ったあの曲を歌って聞かせてよ」なんて願いも幾度となく投げてきた。スパチャを投げたい。グッズを買いたい。初めて解禁日にメンシに入るのはあの人がいい。色んな願いをあの人に向けて飛ばした。そしてその全部をこの2ヶ月で貰っているのだ。ならばもう「過去」は小箱に詰めてキラキラと輝く思い出にするのが正解なんだろう。

濁流のように与えられる「うれしいこと」を抱えながら、 小箱の中の「名前」をたまに取りだして懐かしむ。そうやって緩やかに穏やかにあの人を追えたらいいな、なんて思いながら11月を終えよう。

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