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ブルーライトパレード

その命は勇敢だ。少なくとも死にたいと思った回数、あなたは生きる方を選んだのだから。

なんだかTwitter、Xだったか、でそんな言葉がバズっていた。
それはフォロー数の少ないこのタイムラインにも(正確には“フォロー中”の方ではなく“おすすめ”の方。良い加減こちら側のタイムラインは見たくないのだが、UIの仕様上どうしてもスクロールしてしまうのだった)流れてきて、ミーアキャットはしばしスマホをいじる指を止めた。

彼は、自分の24歳の夏を思い出していた。

ミーアキャットはそのとき、ほんとうに死のうとしたのだ。
六畳一間から徒歩2秒のユニットバスで、ああしてこうして、もやい結びを作ったのだった。

そして、呆気なくその小さな顔を縄にかけた。

そのとき、ミーアキャットの脳は、言葉でない何かに支配されていた。それは記憶のようで、感覚のようで、感情のようで、それらとはまるで違う何かのようだった。

積読。顕示。奥歯が黒い笑顔。核爆弾。ゆりかご。因果。ネイルの当たる音。生乾き。眉の下がる角度。痩身。テレビ。圧迫される気道。排泄。サーチライト。四捨五入される大衆。裸足。土。青春。
思想の誇示とすら言えない争いごとも、確かに存在している尊さも、自他の境界がわからなくなった希死念慮の消費も、大小のない温かさも、もうこれ以上は、もうあと一弾指も、もう。

ミーアキャットは怒っていたのかもしれなかった。悲しかったのかもしれないし、寂しかったのかも、はたまた絶望していたのかもしれない。ただ、この世界に対して並々ならぬ感情を持っていた。
その莫大さが、生きるのに差し支えることだけは間違いがなかった。

うなるような物質の暴走の中で、ミーアキャットは、あのドアを蹴破って誰かがやってくるかもしれないと思った。その人は涙でぐちゃぐちゃの自分の顔と対峙して、ことの重大さに気づき、なんてことをするんだと怒るかもしれなかった。
そうしたら自分は、ひとまず身体中の毛穴から体液を出した無様な姿にならずに済む。

しかし玄関の奥では、蝉が、ただ気まずそうに鳴いている。

ミーアキャットは次に笑った。楽しいわけではなく、身体と心臓が分離しているようにクククと声が漏れ出た。しかしそれは数秒で収まり、次にどうしようもない滂沱の。汗とぐちゃぐちゃに混ざり合って、呼吸もできず、身体ががたがたと震え、鼓動はやけに大きく聞こえて、目の前がぐにゃぐにゃした。
ミーアキャットは首を縄にかけたまま、しばらく手のひらで涙を拭いていた。鼻水もたまに拭いた。
次の瞬間だ、次、次の瞬間に自分は、そう今だ、今、ここ、ここだ、ここなんだよ、頼むよ、ここなんだよ、ごめんなさい、そうだ、今だ、
換気扇を回しっぱなしの風呂場で、いつまでだかそうやっていて、ミーアキャットは不意に小便をしたくなった。

そして、自分は便器の上に座ったのだ。

その命は勇敢だ。少なくとも死にたいと思った回数、あなたは生きる方を選んだのだから。

白い画面に黒い文字で浮かび上がるいかにも陳腐な言葉に、それなりの、1週間後にはなかったことになる程度のリアクションがついていて、冷房のついた部屋で缶のハイボールを飲むミーアキャットから、クククと声が漏れ出た。

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