オタクとして、コンテンツのネガティブな話題との向き合い方について

 とてもお久しぶりのnote更新です。以前のnoteのような映画評でもなく、哲学、社会科学的視点も伴わない、ただの独り言みたいなものです。具体的で、論理的な話を期待している人は、ここでブラウザバックだぞ!!


 はい。それで、何の話かといいますと、タイトルの通り、コンテンツとの付き合い方についての話です。僕自身の心がけであり、別に他人に押し付けようとか、これが正しい方法だ、とか言いたいわけではないんですが、少しでも共感して、この考え方が誰かの安らぎになればなと、筆を取りました。

 それで先に謝っておきます。滅茶苦茶話の主題をぼかした文章になります。何故かと言うと、あまりはっきり言ってしまうと「ははぁ、あのコンテンツのことだな」とか勘ぐられてしまうからです。まあ察しの良い人はすぐにわかるかもしれませんが。

 では本題。まず私は実は今年、2021年は、かなり「ネガティブ」な方向で、好きなコンテンツの話題を連続的に浴びております。それも、ある一つのコンテンツだけでなく、複数のIPからです。勿論これらの問題、「ネガティブ」とお茶を濁していますが、「アンチになってやる!」とか、「裏切られた!もうファンを辞める!」みたいな事態ではなく、何というか、「(自分が勝手に)膨らませていた期待が、突然破裂した」というのが正確な表現です。ただ何度もそういう言い回しをするのも面倒なので、ここでは「ネガティブ」というのが、そういう意味だと、前置きしておきます。

 さてその私が一月から四月にかけて、立て続けに経験した「膨らんだ期待が破裂した」というのは、どういうことか、と申しますと、推しの活躍の場が遠のいた、推しと再会することができなくなった、推しが引退してしまった、というものが主な内容です。

 これについては皆さん、「あ、あのことかな」みたいに勘ぐるのではなく、各々の経験でなぞらえてくれると嬉しいです。例えばプレイしていたソーシャルゲームがサービス終了した、とか、そのようなものでもいいですし、好きなアニメの第二クールが制作中止された、とかでもいいです。

 で、はっきりと言えば、僕は一月からのこの連続する「ネガティブ」に、正直押しつぶされていました。三月から四月末とか、もうちょっと気力が八割くらい減ってたレベルです。

 特にこんな落ち込んだのも、2020年がコロナ禍で、好きなコンテンツが軒並み延期、あるいは中止に追いやられ、気勢が減じていたということもあります。ことオタク活動においては、2021年は漠然と「これからどんどん楽しいことがあるぞ!」とか思いこんでいたので、出鼻をくじかれた、と言うか、水を差された気分に近いものでした。

 で五月になって、少しだけ、気分が落ち着いてきた(実生活がすごい忙しくなってきたということもありますが)ので、今年の出来事を総じて振り返ってみると、これらのネガティブに向き合った時の、僕の感情は、ある一つの共通項があったことに気づきました。noteを書こうと思った切欠でもあります。その共通点とは、ずばり


「誰のせいでこうなったんだ」

 

 はい。ネガティブな出来事に向き合い、ひとしきり負の感情に支配された後、不意に出てきた、あるいは脳裏によぎった言葉は、全てこれだったように思います。

 そしてこの言葉の質の悪い所は、常にそう考え始めると、滅茶苦茶思い浮かぶんですよ。「この事態を招いたであろう」存在が。

 勿論冷静に、今になって考えてみれば、そうした「存在」は決して、僕が関わったコンテンツのネガティブな問題について直接関わっていないことが大半、それどころか、半ば妄想にまで近い、因果関係の結び付け方をしていたなと思います。ですが、当時の、というかネガティブな話題に向き合った時は、その妄想じみた逆恨みが、冷静で論理的な処理のように思えるのです。

 これはあくまでオタク活動におけるコンテンツとの向き合い方の話であって、他の話とはあんまり関係ないです。と言うのも社会や政治、学問においては、好ましくない問題が起きた時に、その原因を突き止めることは大事です。ですが、オタク活動というのは、基本的には感情的な活動です。論理が後からついてくることもありますが、大抵出発点は「好き」から始まります。つまり、ポジティブな感情が、ネガティブな方向へと転じた時に、その元凶を「突き止めようとする」のは、決して論理的な手段ではないんです。

 「誰のせいでこうなったんだ」、この感情に支配されていることに気づけたときに、自分が悪い方向に向かっていることに、すぐ気づきました。好きの反対は無関心だ、とか好きと嫌いは同じコインの裏表、というのは、昔から自分自身も知っていたことですが、それを自分がいざ経験してみると、そのことに気づくのに意外と時間がかかるものなんだと感心しました。

 ここまで読んで、「結局お前は何が言いたくて、このnote書いてんだ」って思った人もいるかもしれません。貴方、勘が良いですよ。自分でも何が言いたいかよくわかってません。

 ただ、もしこのnoteを読んでくれた人に、最近オタ活でネガティブな経験をした人が、「誰のせいでこうなったんだ」という感情に気づいた方がいらっしゃれば、タイトルの問い、つまり僕が自分なりに出した、「ネガティブな話題との向き合い方」とは、

「オタ活で生じた負の感情に、原因はあっても、元凶はいない」

というものです。
 言い換えれば「誰のせいでこうなったんだ」ということだけは、絶対に考えないようにしました。
 
 それは貴方が「負の感情を抱いても仕方ないではないか」と自分の感情を正当化する手段でしかないのです。
 それは恨む相手を見つけて、自分のネガティブさに向き合わないための逃避でしかないのです。

 自戒を込めて、改めて言います。

「恨む相手を見つけようとしても、ネガティブな感情を長引かせて、悪化させるだけ」

 未来に目を向けろとも、過去に固執するな、とも言いません。私もあの頃に戻れたらな、と幾度と思います。けど、出来るだけ、自分の「好き」を裏切るような、「嫌い」は遠ざけた方が、絶対に良いです。


(あとアンチスレ覗くのとかは絶対やめような)

おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?