「シンウルトラマン」を円谷オタクが見た感想

 はい。というわけで久々にnoteで映画の感想を書きます。というわけでタイトル通り、シンウルトラマンを見たのでその感想となります。当然ネタバレを多分に含むため、未見の方は注意してください。
 また正直ちょっと酷評よりです。賛否の賛を期待して開いた人は、僕に対して「お前の考えは間違ってる!!」と怒らないと約束してから、お読みください。というか感想と言っておきながら、その実は少し目的の違う記事です。先に謝っておきます。

ぼくのウルトラマン遍歴

 感想に移る前に、先にやっときたいことがあります。それが、僕のウルトラシリーズの遍歴の紹介です(これをする理由は後で説明します)。
 僕は実は子供の頃、所謂「新作ウルトラマンがやってなかった時代」、つまり80とティガの空白期間を幼少期を過ごしたため、所謂「自分の世代のウルトラマン」がいない人です(強いて言えば、ウルトラマンGが僕の世代のウルトラマンと言えるかもしれません)。
 とはいってもその幼少期をウルトラマン無しで過ごしたのか、と言われれば全くそんなことはありません。僕は親の買ってきた、ウルトラマンから80までのシリーズなどのVHSを、毎日食い漁るように見ていました。
 その後ティガが始まるわけですが、もう僕は少し「ウルトラマンって年でもない」くらいの時期で、その後、僕がそれなりの年齢になり、メビウスが始まるまで、所謂「リアタイで見たウルトラマン」がありませんでした。
 そのためウルトラマンメビウスは僕にとって「初めてリアタイで追いかけたウルトラマン」であり、その後、ゼロ、そしてニュージェネ全作を追いかけるきっかけを作ってくれた作品で、そういう意味では「贔屓の作品」がメビウスです(次いでグレート)。ちなみにその後、平成ウルトラマンについても、再放送や円盤などを通じて、全て見ています。
 
 さて、どうしてわざわざこんなウルトラマンの遍歴を披露したのか、と言えば、別に「こんなにウルトラマンが好きなんだから、ちょっとは酷評しても許されるだろう」みたいな考えからではありません(無いとは言い切れないけど)。
 シンウルトラマンの感想をいくつか見ていて思ったのが、「あんまり俺と同じこと思ってる人いねーな!?」となったのが原因です。「シンウルトラマン」にあまりハマらなかった理由、僕のベータカプセルを押し切らなかった理由が、この遍歴のどこかにあるのでは?と思ったからです。
 
 ちなみに、エヴァシリーズについては、アニメ、旧劇、新劇も見ています(ちなみに新劇だと、エヴァQとシンエヴァが大変好きで、何度も見直してます)。一方シンゴジラについても「めっちゃ好き」というほどにはならなかったんですが、これについては自分の中で「庵野監督と僕の間でゴジラの捉え方の相違があった」という結論に至りました。
 
 なので、もしかしたら、シンウルトラマンもそうなのでは?と思ったんですが、けどむしろ「ウルトラマン像」については、庵野監督と、あんまり相違があったとは思えなかったんですよね。なので、もうこれは、また別の所に理由があるんじゃ?と思ったわけです。なんで、これがこの記事の裏テーマ、つまり「シンウルトラマンを好きになれない、僕の問題点は何か」です。当事者研究ってヤツですね。シンウルトラマンと僕の間にあった絶望的なすれ違いを指摘することが目的なので、きちんと一通りの批評はするんですが、真っ当な批評を期待して開いた人には、ここで謝っておきます。

シンウルトラマン批評

 というわけで、ここからはシンウルトラマンの批評をするんですが、全体評というよりは、個々の要素について焦点を絞ってお話します。
 以下がお品書きです。

  • 禍威獣/禍特隊

  • 特撮、CG

  • ウルトラマン/光の国

 では、初めていきましょう。

禍威獣/禍特隊

 さてまずは、この作品の実際の主人公、禍威獣と禍特隊について話していきます。
 ちなみに変換がめんどくさいので、以降、禍威獣「カイジュウ」、禍特隊「カトクタイ」として表記します。許してください。というより、まずこの漢字表記についてちょっと先に話します。正直、あんまりこの変更についてはピンときませんでした。音として聞けば、どちらも怪獣/科特隊と変わらないわけですから、実際見てみると、そこまで気にはならなかったんですが「なんでわざわざこんな変更したんだ?」というモヤモヤはしっぱなしでした。
 本来ウルトラシリーズの怪獣は、帰ってきたウルトラマンでは、環境汚染に目覚めた、とか、レオの円盤生物、80のマイナスエネルギーみたいに、時折「一つの設定で括られる怪獣群」みたいなものはあったんですが、はっきりと出自が統一されるってことは、あまりなく、特に初代ウルトラマンでは、怪獣って出自自体は結構色々多彩だったわけです。しかし今作のカイジュウは、所謂生物兵器という設定でした(これ、もしかしたら全部のカイジュウの設定ではない、そもそも僕が勘違いしてる可能性もありますが)。
 この変更については賛否あるかな、とは思いますが、個人的にはそこまで嫌いではないです。特に今作はネロンガ、ガボラ(そしてパゴス)という、そもそも本来スーツの改造という、大人の都合だった怪獣を、あえてその類似点を指摘することで、一つの出自に統一されたカイジュウというものに、説得力が出ていたように思えます。
 
 ただデザイン面、については、正直あまり好きになれませんでした。これはシンゴジラの感想でも似たようなこと言ったんですが、怪獣をあまり「使徒」っぽく描くの、そんなに好きじゃないんですよね。勿論、怪獣の中に「使徒っぽいデザイン」の怪獣がいること自体には否定的ではないんですが、全部が全部使徒っぽいのは、正直……って感じでした。勿論「使徒と既存の怪獣デザイン」を上手く融合させた、という感じで、塩梅は良かったんですけどね。ただ、それもネロンガとガボラまで。ザラブはまだ斬新な解釈程度には思えたんですが、メフィラスとゼットンに関しては正直かなり辟易としてました。(ただ、明らかに、ウルトラシリーズのBGMを使っていた、ガボラ、ザラブ戦と違い、メフィラス以降は、豪華なコーラスを付けたBGMが増えたため、もしかしたら、かなり意図的なデザイン変遷?だったのかもしれません)

 次にカトクタイについて。本来はパリに本部を持ち、日本に支部を持つという、科特隊でしたが、今作は「日本特有の組織」という変更がありました。これはシンゴジラのような、政治ドラマの一節として、面白くするためだったんでしょうが、正直、これはあんまり好きじゃなかったです。これはそもそも日本にしかカイジュウが現れない、という設定が、それほど好きではなかった、というのが大きいです。怪獣が日本にしか現れないのは何故、みたいなのは、よくファンの間では話すことがありますけど、これを真剣に受け取って、作中でも「日本にしかカイジュウが何故か現れない」という設定を作り出したわけですが、正直違和感だらけでした。天動説を信じる人が、「地球が平べったいなら、何で場所によって夕日の時間違うのさ」と詰められて、「そ、それは、ほら、実は地球は半球なんだよ!」って言い分けしてるみたいで見苦しかったです。これは初代ウルトラマンみたいに世界中に怪獣が現れている、とした方がまだ違和感薄かったと思います。
 ただし、ウルトラQの怪獣を、カイジュウとして利用し、すでにシンウルトラマンの世界では「カイジュウを対策する組織」が存在する、として、シンゴジラのように「現実に突如現れたゴジラ」という雰囲気の作品にしなかったのは正解だったと思います。虚構VS現実みたいな構図は、ウルトラマンには絶対似合いませんからね(あくまで個人の感想です/諸説あります)。

 ただし科特隊とカトクタイ、かなり大きな差のある組織でした。科特隊を意識している(電話音とか、バッジとか、あとちょっとコミカルな所など)ものもあれば、明らかに「シンゴジラを思わせる部分」、所謂「現実的な組織」であることを意識したところもあったのが、かなりチグハグに感じました。庵野イズム(というかシンゴジラみ?)と、初代ウルトラマンの間にある、越えきれない隔たりを感じてしまいました。折角だしネルフくらいハッちゃければよかったのに、と思わなかったり。ビートルすら出てこないのは、ちょっと気にかかりました。ただ隊員たちは皆個性的でよかったですね。単なるフジ隊員、イデ隊員の後追い、みたいなものではなく、きちんとそれぞれが一つのキャラクターとして魅力的でした。

 総評すると「庵野らしさ(と言われるモノ)」と、「初代ウルトラマンオマージュ」の物の間に揺れる、ややチグハグな何か、がカイジュウとカトクタイという感想でした。その試みが成功したところもあれば(あくまで僕個人としてですが)、「あまりしっくりこない」ところもありました。

特撮、CG

 さて、個人的に一番あまり気に入らなかった部分です。
 正直「Fighting Evolution」のPV用に作ったCGかな?とか思っちゃいました。シンゴジラに感じた「特撮風の迫力あるCG」は、正直見る影も無かったです。勿論、「メビウス&ウルトラ兄弟」のUキラーザウルスVSウルトラ兄弟に比べれば、遥かに素晴らしいクオリティのCGであることには間違いありません。ですが

これならウルトラマンと怪獣は普通に着ぐるみにして、それ以外をブルーバックでやるみたいな方が、明らかに良かったんじゃないですか?

ってずっと思ってました。ガボラ戦については、「おっ!」ってなるところもあったんですが、ザラブ戦で疑問符が付き始め、メフィラス戦で完全に「あー……」って感じでした。というかこれについてはですね、「ようやく、何年もの時を経て、Ultraman n/aで感じた希望を叶えてくれる作品が現れてくれるのか!?」という勝手な僕の願いのせいでもあります。いやでもさ!普通皆あのn/aの夢を叶える作品が来る!って期待するのがファンじゃありませんことっ!?
 
 ちなみになんですが、飛び人形について。明らかに変に思えるところは無かったです。ただ、ネロンガに蹴りをかましたところと、最後ブラックホールに飲まれそうになるウルトラマンの飛び人形だけは、ちょっと奇妙でしたね。あくまで飛び人形は「空を飛ぶウルトラマン」を再現する上での、技術的、予算的限界の産物であって、「飛び人形を再現する」は、目的と方法がちょっと転倒してる気がしました。

 あと戦闘面について。これに関してはちょっとはっきり言うんですが、昨今、「商業化しすぎでおもちゃっぽいウルトラマン」などとニュージェネウルトラマンを批評する人もいますが、僕個人の感想として言えば、「シンウルトラマンの戦闘シーン」より、「ニュージェネウルトラマンの戦闘シーン」の方が、派手だし、迫力もあるし、説得力もあったと思います。例えば、メフィラス星人との戦いについてなんですが、初代ウルトラマンは「西部劇を思わせる演出」で、最初は光線技、その後空中戦、次いで格闘戦と、それぞれの分野で互角なメフィラスとウルトラマンを巧妙に、それでいて派手に描いたわけですが、ぶっちゃけシンウルトラマンの、ウルトラマンVSメフィラスは、はっきり言って「半世紀前のウルトラマンにすら負けている」ように思えました。ていうか、初代のメフィラス戦をオマージュしつつ、現代風にアレンジした、という意味では、「メフィラスの遊戯」の方がはるかによくできてたと思います。

 メフィラス戦ばかりの不満ばかりで申し訳ないんですが、勿論良いと思った所もあります。それが「ネロンガ戦」です。大胸筋でネロンガの雷を弾くのは、まさに初代リスペクトでしたし(ただそこまでするなら腰に手を当てて、仁王立ちしてほしかったですけど……)、最後のスペシウム光線は見事でした。シンゴジラでは、使徒風の光線で、今までにない破壊力を描写できていましたが、今回のウルトラマンは、スペシウム光線を、原作から全く改変せずに、その迫力だけを現代の目の肥えた視聴者に納得させるほどに仕上げたのは見事と言わざるを得ませんでした

 一方でやっぱり不満点の方が多いです。例えば、巨大長澤まさみですが、これ絶対「半世紀前の巨大フジ隊員」の方が、全然演出や、合成も見事でしたし、迫力もありましたよ。ていうかちょくちょく感想を見てると「ちょっと陳腐に見える演出は、初代リスペクトだよ(笑)」みたいに言ってる人いるんですけど、「お前らには初代ウルトラマンが、あんな陳腐に見えてたのか!?ああん!?」って喧嘩売りたくなりました(実際は売ってません、買わないでください)

(でも子供ながらに見ていた僕のウルトラマンは、全部カッコよかったんですよマジで。ガボラの鼻先にワイヤーフックが見えても、空に影が映っても、そんなの全然気にならなかったですよ。ていうか、ホテルの一室に手を突っ込んでくるラゴンや、火の海を作るペスターとか、すげー迫力で大好きでしたよ。全然時代遅れに感じなかったし……ブツブツ)

 すみません脱線しました
 
 えっと纏めますと、「もう少し何かやりようあったんじゃないですか?」ってことです。オマージュの側面にせよ、最新の技術という面でも、過去現在のウルトラシリーズと比べても、一歩足りない、というのが、特撮、CG面に関する感想です。

ウルトラマン/光の国

 さて、次にウルトラマンについてです。まずはデザイン面から。
 成田の理想のウルトラマンの再現、というのは、PV時点から気づいてはいましたが、これに関しては見事でしたね。ただ折角「ウルトラマンが弱ってるかどうかを視覚的に描写するためのカラータイマー」を外したのに、「体色を変えて、弱ってるかどうかを表現する」ってのはどうなんでしょ?(僕が知らないだけで、実は成田案の時点で「ウルトラマンが弱ったら体の色が変わる」みたいな設定があったのなら話は別ですが。情報待ってます)
 ただ、本当、デザインはカッコよかったです。目に穴は開いてないし。何かよれよれのチャックの背びれも無いし。(でもあれならカラータイマーあっても無くてもそんなに気にならなかったような……)
 
 さて、光の国とウルトラマンの設定は、カイジュウ同様、シンウルトラマンは結構斬新な変更がありました。この世界では、ウルトラマン、及び光の国は、「宇宙の秩序の為なら犠牲をいとわない」という、「上司にサノスがいそうな組織」でした。 
 勿論これについては別に気に入らない、ということはなく、そもそも別世界のウルトラマンだし、あとひょっとするとこういう「傲慢な組織」である可能性は、個人的には「あり得そう」というラインの範疇でした。また、怪人ゾーフィが言っていましたが、光の国にとってみれば、「138億の星の一つに過ぎない」というもので、これについては「地球の危機の為、一人を犠牲にする」くらいの問いだった可能性もあるのですが。
 ただ、ここもしかしたら重箱の隅をつついてる可能性あるんですけど、マルチバースの概念持ち出したの、絶対失敗だった気がします。だってマルチバースを認識してるなら、「光の国のウルトラマンのようになる可能性のある種族=地球人」を全宇宙が認識することが危険である、と判断したから地球を滅ぼそうとした、という光の国の決断がすげー滑稽なんですよ。だって隣の宇宙行って、地球と同じ場所行けば良いだけになりません?(まぁもしかしたら、シンウルトラマン世界のマルチバースは「一歩隣に行けば、全然宇宙の成り立ちから違うものばかりで、ぶっちゃけ地球と地球人は、このユニバースにしか存在しない」、って可能性は十分あるんですが)
 
 あとゼットンとゾーフィの話、僕てっきり「当時の適当な児童誌が捏造した設定」だと思ってたんですけど、もしかしてこれも「元々原案としては存在した」んですかね?ご存じの方いたら教えてください。ただゼットンの設定も結構ひっかかって仕方なくて、「ウルトラマンすら敵わないほどの文明リセット自立兵器」が、「ウルトラマン程の強さを持つ異星人」に必要なのか?って凄く疑問に思いました。これ暗に「他の星にはウルトラマンですら敵わない存在はそこそこいる」ってことを言ってるのか、それとも「光の国は偽善者集団なので、いくら宇宙のためだからといって、自分の手を汚すのも不愉快なので、自立兵器に全部任せてる」のか、どっちなんでしょ。ていうか、ひ弱な地球にすらゼットン持ち出したあたり、「多分後者の可能性が高い」ってのが更にあれですね。アリを潰すようなもの、と言いながら罪悪感は人一倍感じるクソ種族、みたいに途端に見えてきました。 
 
 ただし、絶賛したいところが一つあります。それはウルトラマン自身に「ウルトラマンは神ではない」と言わせたところです。メビウスの名台詞を思い出しますし、そして何より「最近のウルトラマンは神秘性が無い」by愛染マコトみたいな言葉への、一種のカウンター的台詞です。僕はこの言葉が滅茶苦茶好きなんですが、僕シンウルトラマンを見る前は、「ひょっとすると、ウルトラマンの神秘性を前面に押し出し、神たるウルトラマン、みたいなのを描きなおしたいのでは?」って戦々恐々としてたのですが、杞憂に終わって本当に良かったです。そればかりか、この大好きな台詞まで言ってくれて、とても満足です。

 ちょっと脱線するんですが、僕がウルトラマンが神ではない、という台詞が好きなのは、怪獣が好きな理由に似てるんですが、「感情移入できるから」ってのが大きいです。ウルトラセブンが、等身大の悩みをしてる姿とか、ジャックが人を救う価値なんてあるのか?と苦悩する姿がとても好きなんです。ヤプールの野望で、人々から疑いのまなざしを向けられるエース、偉大な先達たる兄弟を乗り越えんと躍起になるタロウ、そんな彼らを、子供ながらにずっと見ていたからなんです。彼らは超越者ではなく、力と身体が強く、そして頭が良いだけの、同じ「生物なんだ」と思える、そんな一瞬があるから、僕はウルトラマンが大好きなんです。だから、たった一言ではあるんですが、それだけで何だか救われた気分になりました。

 ただ、だからこそ声を大にして批判したいのが、ウルトラマンの最後です。
 本来ゼットンを倒すのは、ペンシル爆弾という、人間の発明品です。「小さな英雄」で、イデ隊員は、「怪獣はウルトラマンが倒してしまうんだから」と、自分の矮小さに悩みますが、彼は一喝を入れられ、ジェロニモを倒す兵器を開発するわけです。そしてその後、ゼットン編で「もうウルトラマンに頼らなくてもいい」ことを、人々は証明する必要があった。僕はこの美しい「親離れ」ならぬ、「ウルトラマン離れ」のエピソードが大変好きなんです。最近だとウルトラマンタイガでは「デブリ問題は俺たちが解決する問題ではない」と、地球の環境汚染など、「地球人の自業自得」をウルトラマンに頼ってはならない、という教訓を伝えるエピソードもありましたが、こういう話が僕凄い好きなんですよね。
 シンウルトラマンは、確かに「初代ウルトラマンのゼットン」へのオマージュを行いますが、僕にはその流れがあまり好きではありませんでした。何故なら「人間の考えた作戦」ではあったわけですが、それを実行したのは、他ならぬ「ウルトラマン」だったからです。しかも「ウルトラマンの命を犠牲にする作戦」だったわけですから猶更でした。それでは結局ゾーフィの言う「一人を犠牲にして全体を救う思想」から抜けられていないじゃないか、と思ったわけです。「ウルトラマン本人が名乗り出たんだからええやん」、みたいに反論される気もしますが、僕にとって「尊い自己犠牲」は「全体を救うために一を犠牲にする功利主義的思想」を、美辞麗句で装飾しただけにしか思えません。しかもウルトラマンは、その亡骸を、今後人類に襲い掛かるであろう新たな災厄のために、地球に残すわけですから大変です。

「それは、血を吐きながら続ける、悲しいマラソン」ですよ……

最後に

 とまぁ、酷評気味でしたが、でも僕こんだけ長々感想かいているのだから、実は「よくわからないけど、実はシンウルトラマンのこと好きなんじゃね?」って思えてきました。ウルトラマンもそんな感じに地球人の事好きになってたし。
 ただし、最初に感じたのは、シンウルトラマンは、成田亨、庵野秀明、樋口真嗣、金城哲夫、上原正三…etcの要素を一つ一つ、つまみ食いしてるような作品だな、という感じでした。「ファンにだけわかる、フフッとなる要素」が沢山散りばめられた、あえて良い言い方をすれば「おもちゃ箱」のような作品だったわけですが、むしろ僕には「ファンにだけわかる要素」が、どれも文脈にそぐわずに並んでいるせいで、何がしたくて、何がしたくないのかわからなくなってしまっていました。凄く意地の悪い言い方をすれば「識者にだけわかる専門的な記号を濫用し、それを無意味に羅列しただけのもの」という、ソーカル論文みたいな印象を受けてしまいました(いらぬ注釈ですが、僕はソーカルの立場や、彼の論文については否定的な立場です)。
 流石にそんな酷くはないし、そもそもそんな「ファン騙しの作品」みたいなのを庵野監督と樋口監督が作るとは思っていないので、あくまで「そんな印象を受けた」程度の話なので、あまり真に受けてほしくはないんですが。
 
ただ、

  • 成田のデザインを踏襲したウルトラマンなのに、結局体色が変化して、ピンチの状態を知らせる

とか

  • カイジュウが既に存在する世界で、それを対策する組織もあるという、初代オマージュをしているが、シンゴジラの政治的ドラマを展開するために、カイジュウは日本にしか現れないし、対策組織も日本にしかない

とか

  • 折角CGで、色んなウルトラマンの派手な描写が見れるのに、半世紀前の作品の「技術的な限界からの妥協案」を敢えて踏襲する

など、そっちをするなら、そっちをしなくてもよくない?みたいなチグハグさを感じました。どっちの要素が駄目、とかではなく、要素の取捨選択があまりに乱雑、というのが、今作の総評です。


おまけ

 はい。

 ということで、この記事を書きながら思ったことを、ちょっとここでツラツラと話します。
 
 スナイダーカット、ではないんですけど、シンウルトラマンを、坂本監督や田口監督、市野監督が撮ったらどうなるんだろう?ってスゲー気になりました。
 坂本監督なら、多分巨大長澤まさみをもっと大暴れさせたんだろうなーとか、市野監督ならちょっとドキッとさせるメッセージを投げてきたりするのかなーとか、そんなこと思ったりしました。円谷さん、折角だし今からウルトラマンn/aを、今もウルトラマンの前線で活躍し続ける監督さんに任せてみません???

 とまぁ、なんというか、最終的にちょっと飲み会の愚痴っぽくなるんですが、「そんなにシンウルトラマンが皆好きなのかよ。俺の好きなウルトラマンは今も昔もこんなにすげーって俺ずっと言ってるのによぉ」っていう感じです。自分で書いてて思ったんですが、何か「そういう今まで自分の中で積み上がっていた何か」が崩されてしまったようで、ちょっと嫌なのかもしれない、と冷静になってきました。しかし考えてみればそれは、「自分で勝手に積み上げた物」だし、それを「自分が勝手に崩されたと思い込んでる」のだから、僕は相当厄介なこと言ってんじゃないか、とも思えてきました。

 ただ、これ、改めて最初の当事者研究という話に戻るんですが、これ僕にとって初代ウルトラマンは、子供の頃に見たものではあっても「半世紀前」に見たものではない、ってのが凄く大きいんじゃないかと思いました。僕にとって初代ウルトラマンは「30年弱前の記憶」、なんですが、庵野監督や樋口監督にとっては、初代ウルトラマンは「50年以上前の思い出」なんじゃないかなぁと。僕は頭にあるウルトラマンの姿と、昔本当に初代ウルトラマンをリアタイしてた人たちのウルトラマンの姿は、全然違うんじゃないか、そしてその違いこそ、すれ違いの原因なんじゃないかな、と仮説ですが、ここで建てておきます。
 
 あんまり感情任せで感想を書くってのは初めてなんですが、たまには愚痴っぽいのも良いかもしれません。

 ただ、これを書いてて、途中で思いました。

「そんなにウルトラマンの事が好きだったのか、人間よ」

 僕はウルトラマンが滅茶苦茶好きなんだなって思いました。シンウルトラマン、そういう意味では実は「お前の好きなものの原点を見るがいい」っていう、とっても厳しくも優しい作品だったのかも。




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