《今日の新譜》サックス五重奏 クレオファ:S.ジョプリン


《今日の新譜》サックス五重奏 クレオファ:S.ジョプリン
ジャズの台頭を導いたアメリカのラグタイム作品をお楽しみください。
ぜひこちらからYoutubeで全曲視聴してみてください。
参考音源
https://youtu.be/ploz59CDQXc
Youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ
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サックス五重奏 クレオファ:S.ジョプリン
Cleopha (March and Two-Step)
Scott Joplin

編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
木管五重奏、クラリネット五重奏、金管五重奏、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。

弾むように楽しい雰囲気のラグタイムをコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3
https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html

この曲は1902年にS.ジョプリンによって作曲されました。 Cleophaとはクレオパトラを意味します。
この曲は、コメディ・コンピレーション、ブルーパーズビデオやワイルド・ウェストの雰囲気にぴったりで、
モノクロの無声映画を描いた面白いビデオによく使われている曲です。この曲は、ラグタイムスタイルの典型的な音である
「ホンキートンクピアノ」がよく似合う曲でもあります。
1902年は、3年前に出版された「メイプル・リーフ・ラグ」以来、ソロの演奏がほとんどなかったジョプリンにとって、
実に多作な年でした。セントルイスに完全に定住した当時、この町のラグタイムに影響を受け、作曲をする時間の増加したことが、
この急増に拍車をかけたのでしょう。1902年の彼の作品のほとんどはピアノ・ラグでしたが、この年の初期の作品として、
この興味深いマーチがあります。この曲は、意外にもジョン・スタークから出版されていません。
1901年から1902年にかけては、ジョプリンがスタークと対立していた時期です。1901年末、彼はセントルイスでシャッティンガー・ミュージックから
有名な『イージー・ウィナーズ』を出版させました。同時期の作品に「ピーチェリン・ラグ」があります。
冒頭は明らかにはっきりとしたなマーチです。Bパートではシンコペーションの傾向が見られますが、トリオは再びな行進曲に戻ります。
終盤にかけては、はところどころでリズムのパターンに柔軟性が見られます。
クレオファはこの時期の他の作品のように広く知られることはありませんでした。
シンコペーションをあまり使わない行進曲の特徴があるので、速めのテンポで演奏してください。

スコット・ジョプリンはアメリカ黒人が作り上げた音楽スタイル「ラグタイム ragtime」の中で、
最も良く知られている作曲家/ピアニストです。
明治維新の年にテキサス州テキサカーナで生まれ、1917年、ニューヨークで亡くなりました。
1885年から1893年にかけてはセントルイスのナイト・クラブで演奏し、90年代にはミズーリ州のセダリアで
ザ・クイーン・シティ・ニグロ・バンドでコルネットを吹いていました。
93年には、シカゴ万博にも出演しています。

当時のアメリカでは、楽曲はシート・ミュージック(楽譜)の売り買いによって世間に広まりましたが、
ジョプリンも例外ではなく「Please Say You Will」「Picture of Your Face」など自作曲の権利を売っていました。
彼にとって初めてのラグタイム曲となる「Original Rags」(1899年)も同様でした。
しかし、彼の代表作「メイプル・リーフ・ラグ Maple Leaf Rag」は印税契約という、当時の黒人としては異例の方法が取られました。
そして、この契約を申し出たジョン・スターク(白人)と共同歩調を取ることによってスコット・ジョプリンは、
ラグタイムの象徴となりました。
ちなみに「メイプル・リーフ・ラグ」(1899年)のシート・ミュージックは、発売されたその年だけで7万5千部も売れました。
ジョプリンはその後、たくさんのラグタイム曲を出版しましたが、彼の望みはバレーやオペラなど「格の高いジャンル」で
認められることでした。このような彼の意識背景には、アメリカの黒人差別がありました。
ジョプリンはバレー曲「The Ragtime Dance」(1902年)、オペラ「The Guest of Honor」(03年)を作曲しましたが、
ことごとくが失敗に終わりました(「The Guest of Honor」は出版されなかった)。
そうこうしているうちに、ラグタイムに影響され、より黒人色の強いジャズが台頭しきました。
ラグタイムがアメリカ最初の「自国の音楽」として欧米で持て囃されたのは19世紀末から1920年あたりだと言われていますが、
ジョプリンはまさにその短い時代に世に出て、そして亡くなったミュージシャンでした。
1910年頃には彼は梅毒におかされ、17年に亡くなりました。

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