島日和<ひょうたん島後記>

         2-2023   池田良

カーテンの向こうが仄かに白くなってくる明け方に、僕はうとうとと、眠りと覚醒のあいだをさまよい、夢を創造しているような時を過ごす。

それは、鈍く光る古い金屏風の前を、揺れる蝋燭の明かりを手にゆっくりと進んで行くときの浮遊感。事実ではない幼い頃の思い出。他人がのぞき込んでいる僕の日々。僕が作り上げた僕の過去。

子供の頃の思い出は、甘くて苦い丸薬の味がする。
子供は大人よりも工夫のない、むき出しの感情表現をしてしまうから、僕は、小さい頃は子供が苦手で、大人たちのあいまいの方が心地よかった。
僕の周りにはいつも大人たちがいて、特に親族にはおばあさんが多く、彼女たちは数か月に一回、暦の上での色々なしきたりの集まりを各々の家を順番に回って開き、会食をしていた。
僕は大人にとって都合の良い子供、つまりきちんと挨拶ができてお行儀がよく、忍耐強い子供だったので、そういった集まりによく連れだされていた。
彼女たちのお決まりの質問に受け答えしたり、お菓子を貰ったり、その家の子供の相手をさせられたり・・・小さな手で”乙女の祈り”を大迫力で弾き続ける男の子やら、おしろいばなの種の白粉を僕の鼻の上に塗り付けるいじの悪い女の子やら、・・・(僕はその子の唇に蝶の鱗粉を塗りつけて大騒ぎになったことがある)

彼女たちはまるく輪になって座り、小さな箱膳の上に小さな皿をぎっしり並べて、色とりどりの小さな食べ物と小さなおちょこの中の酒で、まるで儀式のような時を過ごす。
窓から見える海は夕焼けの赤に染まって、とろりとした血の色。
やがて彼女たちの言葉は、僕にはよく分からない呪文のようになって、遠い昔の親族の物語をさかのぼり始める。
それは、長大な絵巻物のようでもあり、凄惨なおとぎ話のようでもあり。
僕は、そのよく分からない言葉たちを補うために頭の中で想像心が何十倍にも膨れ上がり、ぐるぐるぐるぐる物語が、螺旋を描いて暴走する。

・・・そしてそんな時には、花吹雪もくるくるくるくると回転しながら降りそそぐ・・・

彼女たちは、咲き誇る花の下での会食も好きで、美しく花が散る、大きな木のある場所を色々知っているから、季節ごとにその花樹の下に集まってうすべりを敷き、御馳走を食べたりもする。
花の盛りのままどろりと落ちては大地に華麗な絨毯を敷き詰める椿に始まって、甘い匂いにうっとりと包み込まれる梅の花、桜、桃、あたり一面が紫の霞になる藤、儚い夢にめまいする百日紅、金木犀、淡雪のさざんか。
彼女たちにとっては、小さな酒杯の中に花びらが舞い落ちることが何よりもの歓びで、花びら酒を飲み干しては、言葉のない謡を謡い、音のない神楽を舞う。
ガラスで作られた小さな盃に注がれるのは、ねっとり透き通った青緑色の液体。甘くて苦い丸薬の匂いがする。

毎年春の初めに、彼女たちは大きな籠を持って、薬草や薬花を探し求めて野山の奥深く入って行く。
僕はその採集に同行するのが好きで、深い緑の中のとろりとした空気に濡れ、様々な花の名前をたずねながら指を緑に染め上げ、何時間も草原や林の
中を歩き回った。
・・・それは来年、美しく発酵して、ねっとり透き通った青緑色の液体。甘くて苦い丸薬の匂いがする・・・

そして、深い木々の中で、ふと顔を上げて空を見ると、自分がどこにいるのか、今はいつなのか、分からなくなる時があった。
僕は今、僕の一生のなかの、どこいらへん?
空はとても深く透き通って、遥かに遠い宇宙の底まで見渡せる。
澄み渡った空深くには、元始の古代星座たちが、ゆっくり回遊している。
あれから、僕はもう、ずいぶん遠くまで来てしまったのかもしれない。こんなに深い宇宙の中で、砕け散った僕たちの分子は、永遠にさまよい続けるのだろうか。それとも、深くて固いコアの中で身動きもできないまま、細胞分裂の夢を見続けるのだろうか。僕たちは本当にまた出会えるのだろうか。

始まりはいつもまぶしくきらめく宇宙の波打ち際。
そのまぶしさに目も開けていられないのに、僕たちは大はしゃぎで、遊び続ける。