島日和<ひょうたん島後記>

          7-2021  池田良


一年に一度しか会えないなんて、もう、一生会えなくてもいいんじゃないの?
昔はそう思っていた。
一週間に一度会える恋人たちが羨ましかった、あの頃。
会いたいとどれだけ囁き合えるかが、恋人の価値を決める。

サラサラサラサラと、繊細に静かに、風にきらめく竹の葉の眩しく美しい竹林で、道に迷ってしまったことがある。
それほど広くはなかったはずの竹林から、抜け出すことが出来なくなった日。風はからかうように美しく、竹林を駆け回る。
いつも首にかけている方位磁石は踊るように針を回転させ、どちらが北なのか、どちらが南なのか、見当もつかない。

昼間だというのに、空にはうっすらと輝く天の川が、大きくうねっていた。
あの川の片方のほとりで、僕はもう永遠に一人だ。
いつもしっかり僕の手を握って、すべての悲しみから僕を守ってくれていたあの人と、離ればなれになってしまったのだから。
もう、この声も、口びるも、舌も、一生何にも役立たず。
斜めに差し込む日の光が夢の様に美しい竹林は、僕を慰めてくれているのか、苦しめているのか。
もうすっかり神様になっちゃったあの人は、今頃、銀河のどの岸辺をとぼとぼ歩いているのだろう。
きっとまた、杖をつきながら、曲がり角を間違えてばかり。
そして僕も、銀河の下の竹林の、あるはずのない曲がり角を、間違えてばかり。
もしかしたら竹林は、地球のように球体なんだろうか。だから入り口もなければ、出口もない。グルグルグルグルと、永遠に続く散歩道。

そして、もう、だいぶ歩き疲れた頃に、ひとすじの川もない竹林の中に小さな竹の橋が見えて、そのたもとに、女の人が一人、しゃがみ込んでこちらを見ていた。

「こんにちは。あなたもこの竹林から抜け出せなくなったの?」
そう言って、彼女はふっくらと笑った。
「私なんかしょっちゅうなの。でも大丈夫。もうすぐ彼が迎えに来てくれるから。あなたも一緒に出られるわよ」
この竹林を、ちゃんと出たり入ったりできる人がいる。僕は少し救われた気がして、少し笑った。
すると彼女は、ポケットから時計を取り出して、少しイライラした感じで見た。
お腹のあたりが、だいぶ、ふくらんでいる。
「あの、赤ちゃんが、いるのですか?」
僕は、ちょっと失礼かなと思いながら、小さな声で聞いた。
「ふふふ。これはね、麹を温めているのよ。麹を発酵させるには、人間の体温くらいの温度がちょうどいいんですって。お味噌もお醤油も、作る時には麹が必要でしょ。お酒だって造れる。発酵食品を造るのって素敵なことよ」
そう言って彼女は、上着をめくってお腹に巻いた布帯を見せた。とても充実した笑顔で。

それからだいぶたって、彼はまだ現れない。

「竹林の中で迷っているのでしょうか?」
僕がそう言うと、彼女はまたイライラした様子で時計を見て、
「・・・来る気がないんでしょ」
と、かすかな息でつぶやいた。
「私たち、一年に一回しか会えなくなっちゃったの。昔はどこへ行くのにも一緒で、会える時間が2,3分しかない時でもとんできたのに。でも、あんまり愛を求め合い過ぎて、バチが当たったのよ。それで、一年に一度しか会えなくなっちゃって。そんな時って、愛にしっかりしがみつける人じゃないとだめね。彼は段々と、とても意地悪になってきたのよ。とても、ひどくね」

竹の葉はサラサラと音を立てて、光り輝く海のさざ波のように美しくキラキラと揺れている。
まぶしく光る風は傷ついた心に突き刺さり、微かなめまいを残していく。
「でも私は私の恋心を消したくないの。たとえ彼の実体がどんな状態になっても、私は一生愛することができる。彼が手を離さないでいてくれさえすれば」

彼はやっぱり現れない。

やがてあたりは段々暗くなってきて、空にうねる巨大な銀河は満々と光を湛え、ごうごうと音を立てて濁流となり、回りの小さな星たちを飲み込んで、巨大な竜となってのた打ち回る。
一年に一度のこの日。
恋人たちの逢瀬の涙は宇宙を満たす雨となって、キラキラと光りながら銀河に降り注ぐ。

あの頃、一年に一度会える恋人たちが羨ましかった。

彼はまだまだ現れない。