島日和<ひょうたん島後記>

       3-2023   池田良

空気の中に、色々な花の匂いが混然一体となって溢れている。
なかでも抜きんでて強いそれは沈丁花。

広場いっぱいにたくさんの花や木の苗が並んで、食べ物や雑貨の屋台も一緒に、どこからともなく花市がやってきたのだ。
ずいぶん久しぶりのような気がする。
「この前花市が来たのはもう7,8年くらい前じゃないの?」
そう言ってネコは、花の苗の間をしゃなりしゃなりと歩き回る。
「・・・やっぱり、野の花の匂いよりきつい」

島の人達は、春の暖かさと花々の甘い匂いにうきうき気分で、冬の扉を開けて広場に集まってくる。
もうすっかり春なのだ。
空はやさしい水色で、出始めた草はやわらかな緑が美しい。
「ここいら辺の草はたいてい食べられますから、野原で草を摘んで、海で魚を釣って食べていれば、それで十分なんですよ」
天文台で働く青年が、いつかそんなことを言っていたっけ。

小さなトラックが多い花市の車の中で、他よりひとまわり大きなトラックがあって、その荷台には、見たこともない珍しい植物の苗が色々積んである。
毛根の様な細い枝が無数に絡み合って生えているものや、太い切り株にいきなり小さな花がぎっしりと咲いているものや・・・ この車の持ち主はどこで店をひろげているのだろう。そう思いながらトラックの中を覗いていると、若い女性がやって来て声をかけた。
「いかがです?お安くしておきますよ」

カーリーヘアーをポニーテールにして、日焼けした肌が輝いている。かなりいかつい顔立ちの女性だ。外国の人かしら。
「変わった植物が色々あるでしょ。みんな私が世界中から採取してきたものですよ」
「すてきですね。でも、どれも世話をするのが難しそう。僕は、よく植物を枯らしてしまうから」
すると彼女は、にっこり笑って声をひそめた。
「植物を育てるのにはね、コツがあるのですよ」
風が、笑うように通り過ぎた。
「ちやほやするのです。褒めて甘やかしてちやほやして大切にすれば、それは美しく育ちますよ」
「えーっ、そんな。・・・それは、僕にはちょっと難しいことかもしれないなあ」
「そんなことが、難しいの?とても簡単な事じゃないですか。とても楽しいことじゃないですか。絶対的に甘やかす。愛って、そんなものでしょう?」
そうなのかしら。
そうだったのかしら。そうだったのかもしれない。それが僕にはたりないものだったのかもしれない。
そういう、単純で純粋な愛が。
風が、踊りながら通り過ぎた。僕は思わず深いため息をつく。

「植物採集は、どんな所へ行くのですか?」
少しの沈黙の後、僕はたずねた。自分で自分の声がなんとなく沈んでいるなあと思いながら。
「プラントハンターですよ。植物採集とは、ちょっと違います。その植物を持ち帰って販売するのです。お客さんのオーダーで探しに行くこともあります。面倒な手続きや色々な許可を申請したりしてね。結構、いろんな所へ行きますよ。熱帯雨林の奥の奥とか、植生限界の高山とか。でもね、植物も、えっこんな所に?っていうような身近に、珍しいものが発見されることもあるのですよ。この島なんか、なにか・・・、そんな雰囲気がすごくあります」
僕は思わず含み笑い。それをごまかすつもりで下を向く。
それはそうでしょう。この島には世界のすべてがあるのですから。さあ、五感のセンサーを研ぎ澄まして、よく探してみて下さい。世界のすべてがあるのだから。

「それでは、僕が島を御案内しましょうか。僕もね、ここへ来てからもう10年にもなるんですけど、まだ島のことがよく分からない。だからこの機会に、少し一緒に探検して、植物のことも色々教えて頂きたいです」
僕がそう言うと、島がかすかにぶるっと震えた。
なにか島のことがまた少しわかった時に、僕は、また少し悲しくなるのだろうか。
訳の分からないあの悲しみに、またおそわれるのだろうか。

「でもその前に、まず花市を始めないとね」
彼女はそう言って腕まくりをし、とびきり明るく笑った。
空はやさしい水色で、空気の中に色々な花の匂いが混然一体となって溢れている。その中に食べ物の屋台の匂いも交じって、春を告げる、懐かしい花市の思い出回帰。

探検には、ネコも一緒に連れて行こうかな。
島のコトは、やっぱり、ネコの領分かもしれないし。
ネコが、僕たちをどこへまで連れて行って、どこにまで引きずり込むか、少し怖い気もするけれど。

ワタシは右手に猫じゃらし
から紅の花飾り
こけおどし口ずさみ
朝までさまようとこしえに