島日和<ひょうたん島後記>

       12-2022   池田良

僕はネコと一緒にいることがとても心地いい。

僕は、ネコに特別これといった魅力を認識できないのだけれど、その穏やかな呼吸が一緒にいて心地よく、僕の呼吸と、合っているような気がするのだ。
だからなんだかんだ言ったって、僕はきっとずっとネコと一緒にいるのだと思う。
たとえ嵐のようなつむじ風に巻き込まれて、どこか知らないところへ飛んで行ってしまったとしても、いつでも、やっぱりネコのいるこの島へ戻ってくるのだ。
・・・もしかしたら、ここにいつもネコがいるから、僕は安心して、どこか知らないところへ飛んで行くことができているのかもしれない。

ネコはいつもたいてい自分の家に居て、そこを居心地のいい空間にすることに固執している。
家の中はしょっちゅう模様替えされていて、座り心地のいいイスを窓辺に置いてみたり、ベランダに移してみたり。カーペットの配置を替えたり、クッションの組み合わせに迷ってみたり。ほんの2,3センチのずれや、ほんのちょっとの角度の違いもとても大切な事で、その差で部屋の風景が変わったりもするという。

「そうやって、自分の周りをひっそりデザインしていくことが楽しいのです。自分の生涯だってそうやってあれこれ自分でデザインしていくものでしょう?」
ちょっと恥ずかしそうにそう言いながら、ネコは、二人でランチを食べているレストランのテラス席のテーブルでも、ジュースの中に入れられた氷を、水のグラスに入れ替えたり、途中で摘んだ小さな花をそこに挿したり。
「世界はすべて私の部屋!って思って生きていけたら、素敵ですよね」
ネコはこっそり笑ってそう言った。
「ほら前に、電車の座席でお化粧している人達がいたじゃない。あれ、なんだがとても異様でちょっとびっくりしたんだけど、怖いもの見たさみたいな感じでちらちら見ているうちに、もしかしたらこの人はなんのてらいもない、すっかり解脱した人なのかもしれないって思ったりしたのです。あの人たちは世間から離脱して、絶対自由の境地にいたのかもしれない。世界中が私の部屋!なんてね」
「ふふふ。それはどうかなあ。でもああいう人達、疫病のおかげですっかり見なくなったね。また、マスクを外して電車に乗れるような時代が来たら、彼女達も復活するのかしら」

風が吹いていて、空気はすっかり乾燥しきっている。乾燥した空気はとても軽い。
顔や手の皮膚が、ピキピキと音を立てて細かい皺をきざんでいる。
テラスで食事をするのには、もうかなり寒い季節なのだ。
突然、ネコは何かの気配を感じて、テラス席の端に置かれた望遠鏡を覗きに行く。
「お客様どうかなさいましたか?」
すかさず、いらいらした感じを押し殺したようなウエートレスがやって来る。食事中にウロウロするなという空気を、やわらかくまとって。
「あ、いえ、鳥が海の向こうの岩に集まって来たので。・・・ちょっと、寒いので、部屋の中の席に変えてもいいですか?」
「お食事が始まってからのお席の変更は出来ません。あと、お飲み物のグラスに花を挿されるのも禁止です」
「あー。はいはい。・・・はいはい」
そう言いながらネコは、とぼとぼと席に戻ってきて、僕にちょっとウインクをして照れ笑いした。

「ネコなんだから、おお目に見てよ。もっと広い心でそれぞれの習性ってものを認めて欲しいなあ」
ネコはひそひそ声でひとり言のようにつぶやく。
「それぞれありますよね。腕力の違いとか、心配りの違いとか。僕は、ネコなんだから仕方ないって言われるの、それほど嫌いじゃありません。それを利用して楽しく生きていけたりもするし。だから、ネコのくせにっていうのも、軽くスルーしちゃうの」
ネコの自由は他人の自由をほっておける自由なのだ。
「でもね、他人に抗議しないって、難しいことなのかもしれない。・・・特に、大好きな人にはね。それで、悲しくなったりしちゃうのにね」
ネコにも、そんなことがあったのかしら。そう思って僕は、ちょっとくすぐったくなった。

食事が終わって、僕たちはお茶を飲みながら、海を見ている。
水平線の向こうに、可愛らしい雲が美しく広がっている。
僕たちは何も言わずに時を過ごし、少し、眠たくなってきて、体がほわほわとしてくる。
音もなく、静かに息をしている。
夢見るようにうっとりと呼吸は続く。
それはいつだったのか、遠い昔。おぼろのかなたから立ち現れて、はるか遠い向こうの、おぼろのかなたへ。ゆっくりと移動していく、僕の生涯という、チクチクした生命の気配。