島日和<ひょうたん島後記> 12

もうすぐ冬が来て、僕は時々、小さな冬眠をする。

冬は、言い訳ばかりしてちっとも会おうとしない恋人たちのように、僕たちを孤立させ、つまらない退屈な日々ばかりを並べ立てるから、僕はせめて暖かいフトンにくるまって、ウツラウツラと、夢半分、思考半分の中で、日々をやり過ごさなければならないのだ。

子供の頃から僕は、時々言いようのない寂しさに襲われることがあった。
それは何の前触れもなく、何の理由もなくやってくる。
体の中を貫いていくその激痛のような寂しさは、ただじっと、通り過ぎていくのを待つしかない悲しみ。
意味も分からない、深い渦巻のような生理的な寂しさ。
体の中の奥の奥、宇宙のずっと遠くの方から突き上げてくる、漠然とした孤独のようなもの。
それは大人になって、太陽の大きなやさしさに出会い、すべてを受け入れられ包み込まれて、いつの間にか溶けていった生理現象だけれど、近頃妙に思い出すことがある。
優しく甘い思い出のすみで、じっとこっちを見ている、漠然とした孤独のようなもの。
血のように濃い、生理的な、匂いのようなもの。

今年の冬は、ネコが、僕の庭の木々にソーラーパネルのイルミネーションを、色とりどりに巻き付けてくれたからか、12月になるといつも僕の心をかき立てる、街のイルミネーションを見に行きたいという欲求が鳴りを潜めている。
それはネコにとっては、ただいつもの気まぐれのままに、自分のアートを表現しただけのものなのかもしれない。
けれど、僕にとってはとても嬉しいクリスマスプレゼントだ。
暗い冬の庭をキラキラと彩る小さな明かりたちは、毎年見に行く、巨大ステーションのきらびやかなイルミネーションにも、遠い昔に見に行った、夢のように豪華絢爛で舌先のように繊細なイルミネーションのトンネルにも、負けない幸せを僕に与えてくれる。
それは夜になれば、毎晩僕の庭で、僕のために輝いてくれる、小さくて美しい明りたちなのだから。

血のように濃い孤独と言いようのない漠然とした寂しさに、再び僕が沈み込むことがないようにと、いつも僕を抱きしめていてくれる、宇宙の隅ずみに広がった意志たちからの、とりとめのない気まぐれなプレゼントと、僕には解読することができない通信音。

僕の目には見えないけれど、冬の底の、この世界の空間に、びっしりと満ちて、小さくプチプチとはじけているものは、太陽のように屈託のない、底抜けに自由な、愛の純真。