島日和<ひょうたん島後記>

       11-2023   池田良


ここはどこなのだろう。
大都会の真ん中の、きらびやかな人々が行きかう雑踏から、ほんの少しずれた横道の突き当り。
道行く人も少ない通りにぼうっと佇むそのビルの入り口を、僕は見つけた。
新聞の片隅に小さく紹介されていた、古いビルの中のその店。「地球儀屋」

その名前と、なんだかよく分からない紹介文に好奇心を刺激されて、僕はそこに書いてあった住所を頼りに店を探し歩いた。
都会の真ん中の、大きな駅のそばの、有名なビルの裏と書いてあるんだから、すぐ分かるだろうと・・・。

すぐそこの大通りには、たくさんの人々が楽しげにざわめいているのに、店の周りは、ひっそりとした空気が漂っている。
僕が、その可愛らしいガラス窓から店の中の様子をうかがっていると、マスターのような真っ白いスーツを着た女性が、招き入れるように、ドアを開けた。
「いらっしゃいませ。どうぞ」

中は、思ったよりも広くて、回りはズラッと本棚に囲まれ、その上の壁には、たくさんの地図が飾られている。
空間には、大小さまざまな地球儀が、吊り下げられたり、床や台に置かれたりしている。
まるで、地球だらけの森の中に足を踏み入れたようだ。
「今日はどんな地球儀を、お探しですか?」
彼女は、とても慇懃な発声とかなり高慢ちきな微笑みで、僕を見つめる。
「・・・どんな地球?いえ、どんな店なのかなと、ちょっと、覗いてみただけで」
僕は訳も分からずしどろもどろ。
「さようでございますか。ではごゆっくりご覧ください」
そして彼女は、ぴちっと伸びた背筋のまま、店の奥へと消えていった。

大都会のこんな真ん中に、こんな古いビルが残っていたのだ。
店の中の空気は、ちょっと澱んだシトラス系。
壁の地図は、かなり古びた用紙とイラストのものが多くあるが、地球儀はどれも、ぴかぴかの新品のようで美しく、鮮やかな色のものや斬新なデザインのものもあって、不思議なことに、どれも、まるで生きて呼吸をしているように生々しい。
ー まるで本物の地球のようだ ー
僕が、ベージュがかった小さな地球儀にちょっと触れると、それは深いため息をついて、微かに震えた。

「いかがですか?そういう生態的システムの仕掛けが中に入っているのですよ」
白スーツの女性がいつの間にか後ろに立っていて、得意そうに微笑んでいる。
「こちらの地球儀はどれも、特別な仕掛けがほどこされております。他では決して手に入りません」
そして、かなりリアルに緑や青で彩色された地球儀を手に取って、僕に渡した。
それはまるで、生き物が呼吸しているように、微かに表面が上下している。
手に、小さな鼓動が伝わってくる。
僕は少し怖くなって、思わず手から落としそうになった。
「おっと危ない。落としたら壊れてしまいますよ。地球儀ですから」
僕は増々怖くなって、彼女の手に、それを返した。
「ほっほっほ。大丈夫ですよ。そんなに簡単には壊れません。宙に浮くかもしれないし。たとえ壊れても小さな地球がたくさん増えるだけかもしれないし。遥か昔の始まりの時間から、どんな環境になっても、惑星は生き続けてきたのですから。私たちが思うよりも、ずっとしぶといのです。(私たちは、遅かれ早かれ、絶滅しますけど)・・」
そして彼女は僕の手を取って、奥の部屋の、大きなブースの中へと連れて行った。
白い手袋の手が、氷のように冷たい。

そこには、突然広がった巨大空間に、大きな地球儀が一つ。夢見るように浮かんでいる。
「この地球儀には、現実の、今の地球の様子が投影されているのですよ。ほら、こちらをご覧ください。戦争をして殺し合ってる様子がはっきり見えますでしょ。それからいろいろな紛争や内戦。それでもほら、こちらでは、美しい運河をゆったりと旅している人。海辺て踊っている人達、大都会のレストランで美食を楽しんでいる人々、砂漠の中の町で、まさに今飢えで死んでいく子供。ここでは、壊れかけの古い原発で黙々と作業をしている人達。とてもくっきり見えますでしょ。すごい解像度なのですよ、この地球儀は。まるで、目の前で見ているような・・・。いかがです?こんな地球儀が家にあったら、世界の今が、日々リアルに分かりますよ」
そして、白スーツの女性は、人間ではないような微笑みかたをした。
「いえ、僕には、・・・僕には、薄いマクが必要なのです。世界と僕との間に。それがないと、息ができない」
「ああ、そうですか。それは、それは」
そして彼女は、まるで、くるりと体の内側と外側をひっくり返すような奇妙なくねらせ方で歩きながら、僕を店の外へ送り出した。

「いつか、またいらして下さいね。
風からも、雲からも、透明な光が降り注いで、あなたの食事となりますように。」