島日和<ひょうたん島後記>

          2-2021

血のように赤い椿の花が、島中で満開になっている。
木々の上だけでなく、落ちた椿の花は枯草の上にも一面に赤く咲き誇っていて、島民たちはどこへ行くのにも、その美しい椿の絨毯を踏みしめていかなくてはならない。

僕たちはこの時期、椿の花で色々な料理を作る。天ぷらにしたり、サラダにしたり。
なかでも僕が好きなのは、鳥のようにその蜜を吸うことだ。
ほんの少し甘いその蜜は、青臭く舌に絡んで、脳髄にツンと沁みる。

雪がまた降り出して、赤い椿の絨毯の上に白いベールをうっすらとかけ始めると、僕は急いで花を集めて家に持ち帰り、部屋中にしき詰めたり、椿の花かんむりを作って髪に飾ったりして、ネコと遊ぶ。

その日、僕は花かんむりを頭にかむって、買い物に出かけた。
少し恥ずかしかったけれど、誰か、そんな僕をいいなと思ってくれるような人に出会えたら、心が通い合えるような気がして。
僕はこの頃、時々とても人恋しくなるのだ。

隣町の、天井の高い大きなスーパーマーケットを、まるで散歩するように僕は回遊する。
ふーん、こんなものがあるんだと、棚に並んだ商品を見物しながら。
その人に出会ったのは、スーパーマーケットのそんな路地をまがった時。
もう一つ向こうの通路を、その人はちょっと辛そうに杖をついて、ショッピングカートに寄りかかるようにして、のっしのっしと歩いていた。
白髪の長い髪にバンダナを巻いて、コートの上に派手なちゃんちゃんこを着て、ただ者ではないオーラを放ちながら。

何だか、昔大好きだったあの友だちに似ている気がするなあと思いながら、買った物を長い台の上に広げて袋に入れていたら、その人がカートを押してやって来て、
「ああ暑い。寒いと思っていっぱい着すぎてきちゃった」
と言いながら、台のふちに腰かけた。
僕は、すっかり疲れて汗を拭いたりしている彼の顔を、横目でチラチラと覗いてみたけれど、マスクをして、メガネを掛けて、髪の毛のかかった彼の顔はよく見えない。

・・・ 僕にはちゃんと分かっている。
あの友だちは、もうここへ買い物になんか来るわけがないことを。
宇宙の果ての断崖絶壁を見る旅に出てしまったことを。

それでも僕は、懐かしい物語が欲しくて、声をかけてしまった。
「ツクヨミ君ですか?」
するとその人は、ふわあっと優しい笑顔になって、
「はい。そうですよ」
と言って、突然大きな声で、鶴のようにひと声高く鳴いた。
精一杯声を振り絞って。まるでノドから血を吐くんじゃないかというほどに。
そしてそのまま何気ない顔をして、外へ出て行ってしまった。
僕も何気ない振りをしながら、急いで外へ行って見たけれど、広い駐車場の中に、彼の姿はどこにもなかった。

こっちへおいでと、ひとこと言ってくれたら、僕はどこにでもついて行ったのに。
たとえそれが、寒くて暗い、宇宙の闇の中へでも。

君は今頃、どこまで広がって行ったのだろう。
まだまだ、この銀河をやっと出たあたり?
それでも僕は知っているんだ。君はちっとも薄まったりなんかしていないことを。

アンドロメダ星雲の方角から、急に暖かい風が吹いてきて、僕の赤い椿の花かんむりを吹き飛ばした。
もうすぐまた、春が来るのだ。今年も、いつもと変わらない、花の香りと鳥の声に満ちた春が。

ねえツクヨミ君、昔君にあげたあの銀色の本を、僕にまたくれないかい?
あの本には、アーベル1689へ行く地図が載っているんだよ。
今の僕には、あの地図が本当に必要なんだ。