島日和<ひょうたん島後記>

        6-2023   池田良


小さな明かりを、家の中にも外にも、あちらこちらにたくさん灯している。
雨の降り続く暗い日々には。

それが優しく、心を温めてくれるから。その温かさが、気持ちをゆったりゆたかにしてくれるから。
小さな明かりは可愛らしく輝いて、僕の心を楽しい方へと導いてくれる美しい力がある。
・・・でも、それは本当に深く寂しい時には、より悲しい方へと心を引きずり込む、ほの暗い力でもあるのだけれど・・・

僕は今はもう、ずっと上手に小さな楽しみを身にまとって生きていけるから、悲しみの底深くまで引きずり込まれるようなことはなくて、いつでもそこからすぐに浮かび上がって来られる。
それは、世界の捉え方をちょっと変えるだけでいいことなのだから。

夕方から、小さな明かりをたくさん灯していると、それに吸い寄せられるように、色々な人々がやって来る。
近所の人や、もう何年も会っていなかった友達や、会いたかったのにちっとも来てくれないあのコや。

「やあ、なんだかすごいことになっていますねえ。こんなにいっぱいキラキラ明りを家にまとわせて、いったいどうしちゃったのかな?」
そう言って、久しぶりに会った友達は、相変わらずの皮肉屋笑い。それでも僕の好物をちゃんと覚えていて、手土産に持ってくる。
「やあ、来てくれてありがとう。ずいぶん久しぶり。どうしていたの?」
僕は本当に嬉しくて、久しぶりに会った友達がまぶしくてじっと見つめられない。
風は、刈り取ったばかりの草の様な匂いをぷんぷんさせてすましている。

「うん。何だかずっと忙しくてね」
そう言って友達は、カバンの中をごそごそ探っている。もうずいぶん長いこと、言葉を探す仕事をしている人なのだ。
「今度、こんな本を作ったの」
そう言って取りだした本の表紙は、宝石のような美しさ。
銀色の地の上に、色とりどりの細密画のように細かい唐草模様が絡み合っている。
「この細かい模様のひとつひとつにね、言葉が編み込まれているの。ほら、同じ色は同じ言葉だから、色と模様をたどっていけば、文章が浮かび上がってくるでしょう」
そう言われて手渡された本を、パラパラと開いて見ると、中は、まるで眼球の訓練集のような、細かい唐草模様の極彩色。文字は一つも見当たらない。
「模様の組み合わせを、ひとつひとつ解読していくの、時間をかけてゆっくりと。そうすれば言葉が浮かび上がってくる。その言葉がまた絡み合って、美しい文章になり、今まで聞いたこともないような不思議な物語が、目の前に大きく広がっていくのです」
じっと見つめていると、同じパターンを繰り返す模様の中に、心が吸い込まれそうだ。
そして、本から顔を上げたとき、ふと、自分がどこにいるのか解らなくなる。僕は、今どこにいたのかと。

「この本は、美しいけれど難しいですね。雨が降り続く日に、ゆっくり解読してみたらおもしろそう。辛口のジンジャエールとか飲みながらね」
「そこは甘口のリンゴジュースでしょう」
友達がそんな所に反論してくるから、僕は可笑しくて笑ってしまった。
「こういう作品を作るのはとても大変でしょう?時間もかかるし。命もすり減ってしまいそう」
「ふふふ。でも、生きるってそういう事でしょう?だから何の問題もない」そう? 生きるって、命を少しずつすり減らしていくこと。
だから死ぬまでに、全部を使い切ればいい。
昔、そう言って笑っていた人がいたっけ。乳房をひとつ、失ってしまった後に。

「明かりは夕方が一番きれい」
うっすらと薄墨をまとった夕暮れの朧の中で、オレンジ色の明かりがやさしく匂う。
僕たちは、遠くに海を眺める庭のデッキで、ビールをリンゴジュースで割ったドリンクを飲みながら、かみ合わない昔話をさぐり合う。
ラベンダーの花の香がきつい雨上がりの空気は、湿度120パーセント。
きめ細かい霧の繭にやわらかく包まれて、そのくすぐったさに二人は、クスクス笑いが止まらない。

・・・今宵は月も出ぬそうな