島日和<ひょうたん島後記>

                 7-2020

一人で家に居ることが多い日々が続くと、言いようのない寂しさに抱きすくめられる時がある。
その衝動のような感覚は、子供の頃ふとしたはずみに襲われた、あの強烈な悲しみに近い感覚かもしれない。

子供の頃、それは何の前ぶれもなく、何の理由もなく、突然の吐き気のように体の奥からこみ上げてくるものだった。
そして意味も分からないままじっと耐えていれば、2,30分で消えていくもの。
大人になって君に出会ってからは忘れていたもの。
その感覚が近頃、まるで体の奥で眠っていたウイルスが目覚めてしまったかのように、強烈な寂しさなってよみがえってくる。

体中の細胞が涙を流して泣いているような、手の施しようのない寂しさ。
僕はそんな時、無理にでも笑えるようなテレビ番組を探してみたり、音楽を大きな音量で流してみたり、家中の窓を全開にしたりして、何とか呼吸を確保しようとする。
窓をすべて開け放てば、初夏の島の、素晴らしく美しい匂いの風が家の中に流れ込んできて、僕を抱きしめなぐさめてくれるから。
「大丈夫だよ。この世界の何もかもは、君のためにあるのだから。寂しさも、悲しみさえも。」

僕の部屋の南側の窓の前は、明るく広い草原で、北側の窓の外は、鬱蒼とした森が広がっている。
それぞれの窓から入ってくる空気は、匂いも温度も明らかに違っていて、部屋の真ん中で混じり合い、緩やかな川になって家中に流れていく。
その中にたまに、海の匂いが混じる時があって、それは東側の窓の向こうに遠く見えている海から、風向きによって上って来るものだ。
そして僕は、その匂いにつられて、海への散歩に出かけることがよくある。

僕は先日、その海への散歩で、ちょっと不思議な体験をした。
それは別に何が起こったわけでもない、ごく普通のことだったのだけれど。
ふと、奇妙な空気の層に滑り込んでしまった、精神的なめまいのような。

その日、散歩から帰ってみると、腰に巻き付けていたはずのシャツがない。
どこかで滑り落ちてしまったのだろうか。
僕は慌てて、もう一度海への道をシャツを探しながら戻って行った。
あのシャツはもうだいぶ古いものだけれど、結構好きなシャツなのだから。

郵便局の坂を上って、先生の家の前を下って、小さな温泉施設だった跡の林を抜けて。
結局海岸にたどり着くまで、何処にもシャツは落ちていなかった。
もう空は夕暮れになりかかっていて、海岸には5人の人達がいた。
みんな一人ずつ、広い砂浜に、ポツンポツンと座っていて、じっと海を見ている。
そんな砂浜の真ん中に僕のシャツは、まるで迷子になって取り残されたように、ポツンと寂し気に落ちていた。

嬉しさとばつの悪さで慌てて駆け寄って、拾い上げながらふと海を見ると、水平線の上にくっきりと、天使のハシゴが光っているのが見えた。
しかもぐるっと、水平線全体に何本も何本も。
雲の隙間から降りている光のハシゴ。
こんなにたくさんの天使のハシゴを、僕は今まで見たことがない。
それはどれもみんな音楽のように、キラキラと輝いている。
まるで何かが、海を渡って島へ帰ってくるような気配。

そのあまりに美しい空と海の光景に、陶然となってどのくらい見とれていたのだろう。
ふと気が付くと、砂浜に座った5人の人達も、みんな魂を抜かれたように身動きもしないで、沖を見つめていた。

帰り道。シャツを大事に抱きしめながら、なんだか変に体のバランスが悪くて、ちょっと気持ちが悪い。
遠くの山の上の空を見ると、僕の片方の目だけが目まいを起こしていることに気が付いた。
片方の目がプルプル震えて、何か、とても大切なことを感じている。

もうこれからは、少し空に浮かんで暮らしていこうかな。
ほんの少し。3センチくらい。