島日和<ひょうたん島後記> 4

春風がくるくると島中をはしゃぎ回り、色とりどりに咲き誇る花々を吹き散らして、舞い上げられた花びらが狂喜乱舞と空間を埋め尽くす。

今日は花祭り。
僕には、人々の宗教はまるで関係がないけれど、花祭りはとても好きな日だ。
子供たちが籠いっぱいに摘んだ花びらをまき散らしながら、山の上の寺院に登って来る。
色とりどりの花で飾られた、ミニチュアのようなアズマヤの中の、幼い仏像に、小さなひしゃくで琥珀色に透き通った甘茶をかける。まるでままごとのような、春爛漫の花祭り。

そして僕たちは、そこに置かれた赤い毛氈の縁台に座って、ご自由にどうぞと書かれた甘茶を、ごくりと頂く。
空間を埋め尽くす花吹雪に、うっとりと包まれながら、様々な薬草の味がするほのかに甘いお茶が、とろりと喉の奥をすべっていく。

春は微かに粉っぽいエーテル。
色とりどりの花の芳香が、鼻の奥から喉の深部を刺激し、うっとりととろけた脳ミソが不思議な夢を見る。
朧な色と淡いかたちの、感覚だけの夢。


遠い昔、水路の町で、僕は道に迷って、名前さえも憶えていないホテルを探してさまよった。

くねくねと続く細い水路は、迷路のように張りめぐらされ、まるで絡み合った糸のように複雑に繋がり合い、ガイドブックの小さな地図をあざ笑うかのように広がっている。
両側にそびえる石造りの家々がぎっしりとくっつき合って続く道は、どこも同じようで、自分が戻るべき場所がどこなのか、それさえも分からないまま、昨夜泊まった小さなホテルを探して歩き回った。

不安と寄る辺なさで身も心も震える夕暮れ。ふとたどり着いた小さな広場に、見覚えがあった。
満開の花をつけた細い木が、風に揺られて花吹雪。
ああこの花吹雪、朝ここを通って見上げた。

それから細い路地を、その角、あの店と、糸をたどるように歩いて、石造りの家々にまぎれた小さなホテルにたどり着いた。
黒いスーツに身を固めた、若い支配人が、精いっぱいの微笑みで僕を迎える。
「いかがでしたか?お散歩は」

彼女の後ろの小さなロビーには、色とりどりのガラスが華やかに輝く、ホテル自慢のシャンデリア。
まるで大きな花束のようなきらびやかさ。
「素敵でしょう。この島名産の色ガラスで作ったシャンデリアですよ。お土産としてもお買い求めになれます」
僕がここに泊まった初めてのアジア人だといっていたホテルは、三日前にオープンしたばかり。新しい内装には、花の香りがあふれている。
「この色ガラスは、特殊な材料で作った匂いガラスで、色ごとに違う花の香りがするのですよ」
初めて支配人をまかされたらしい彼女は、ことさらぴちっとした姿勢でてきぱきとした身のこなし。かなり緊張した笑顔をふりまく。
「いかがでしたか、お部屋は。最上階の一番いいお部屋なんですよ。天井が全部ガラスですから、素敵でしょう?満月の夜は最高ですよ」
古い石畳の人工島は、張りめぐらされた美しい水路を見に遠くからも人々がやって来て、大小さまざまなホテルがひしめき合っている。小さなホテルは古い石造りの家々に挟まれて、一般の家なのかホテルなのか、見分けがつきにくい。
僕の部屋は屋根がガラス張りで明るいのだが、回りの壁には窓が一つもない。きっと隣の家々とくっ付いているのだろう。
その、窓のない部屋が、僕を奇妙に不安にさせた。
退屈な日常とは、かなりかけ離れた造りの部屋のせいだろうか。

「もうすぐ花祭りになると、街中の人々がみんな中世の衣装を着て、美しい仮面をかぶり、この水路と路地の街をあるきまわるのですよ。家々の窓からは、花吹雪が舞い散ります」
あの、どの土産物店にも飾られていた、冷たく無表情なマスクをつけた人々が、狭い水路の街角からふっとあらわれたりするのだろうか。
昼の暗がりや、夜の舟明かりの中で。

そして僕は、月明かりに照らされた眠りの中で、なすすべもなく彷徨い続ける。
冷たく美しいマスクを付けて。