「トワツガイコンサート2024 ~鳥籠で見る夢~」の思い出、のような、まだ思い出にすらなっていないような何か

5/11、5/12にLINE CUBE SHIBUYAにて開催された「トワツガイコンサート2024 ~鳥籠で見る夢~」(https://concert.towatsugai.jp/)の思い出を、書ける限り書いて沢山振り返ります。そうでもしないとトワツガイと本コンサートにかける想いが重くなりすぎて、自重で崩壊してしまいそうなので、とにかく吐き出しまくります。全然推敲しないで出すつもりなので、とりとめのない内容ばかりになってしまうかもしれません。あとこれ書き終わるの多分深夜になるので、後半になるにつれて感情おかしくなっていくと思います。

結論だけ先に言うと、「今なお夢見心地」です。日常のふとした拍子にトワコンのことを思い出してホロッと来るレベルです。情緒が限界。一番ヤバさを実感したのは、NHKの首都圏ニュース845が始まり、渋谷のスクランブル交差点の映像が流れた瞬間に心がソワソワしたときですね。

※ここでは朗読劇の内容については詳細には論じません。それやり始めると10000字超えになりかねないので……よって、朗読劇に関してはその内容ではなく、全体的な視点に限定して記したいと思います。

写真を見返すだけでも心がゆらゆらする~~

■参加の概況

3公演全て拝見しました。また全てS席を取っています。トワツガイに関するリアルのイベントは、二次創作系を除くと昨年6月の舞台が最後で、ほぼ丸一年ぶりです。そして私自身舞台からトワツガイにドハマリしていったというのもあり、リアルのイベントに関する思い入れが滅茶苦茶強くて、我慢ができませんでした。その後3公演で別々の朗読劇を行うと発表があり、目玉が飛び出ました。
グッズは滅茶苦茶買いました。まだ整理できていません。

ねえねえねえ これお手元にある方は今すぐ開封して確認していただきたいんですが! 縦に3層のアクリル板が連なる構成ですよね。これだけでも結構豪華なつくりなんですが、この3枚とも、スクエニさんのコピーライト表記が台座との接合部分に書かれているので、こうやって立てると表記が見えなくなって、二人の世界に入ってこないんですよ!! そこまでする!? わーい!!!

■音楽・演奏

トワツガイのゲーム内BGMの素晴らしさは今更語るまでもありませんが、ゲームの中で散々聴いたはずの音楽が生演奏になったからといって果たしてどんなものなのだろうか……と、内心少し抑制気味に感じているところもありました。しかし実際にオーケストラレゼルによる生の音楽に触れてすぐ、これはもうスマホで聴くのとは全く比較にならない、完全に別物だと理解しました。歳のせいなのか音楽が気軽に聴けてしまう時代だからなのか分かりませんが、「音楽を真剣に聴く」という感覚って年々薄れてきている実感があって、失っていたその気持ちが急に蘇ってきました。
また、儚さ、寂しさ、悲しさの中に少しの希望が見え隠れするような音楽を、と瀬尾さんが仰ってたと思いますが(意訳につき誤りがあるかもしれません、その場合はご容赦ください)、これが白本さんの仰るトワツガイの世界観とガチガチにリンクしていて(参考:https://www.famitsu.com/news/202302/15291762.html)、細部の細部まで磨いて美を宿らせた音楽が目の前で奏でられている、その幸福を最後まで噛みしめました。
私自身高校でガッツリ吹奏楽やっていたので、ステージに立って演奏する緊張とか興奮とか、終わるときの喜びとか寂しさとか、ちゃんと経験していたはずなのに、気づけばそんな感慨も忘れて久しくなっていたので、音楽で心震わされる感覚を思い出して鳥肌が立ちました。
一方で、オケはやってないしほとんど聴いたこともないので(宝塚で何度かという程度)、弦楽器がふんだんに入ってるステージはそれだけで新鮮ですし、また弦の切ない、また迫力のある響きがこれだけトワツガイの世界観を支えていたのだと再発見させられました。
弦楽器に限らず、「揺蕩う永遠」で深い深い哀愁を漂わせるピアノが、「花に誓う」ではこれこそ永遠を思わせるような尊い響きを奏でていたりと、同じ舞台にいながら全く違う表情に次々変わっていく様に気持ちになりました。ボーカルについてもかなり感激させられて、ゲームだと天使か機械が歌ってるのかなあ、くらいに、ふわっと、特段意識も配っていなかったものが、「ああ……本当に人が歌ってるんだ……」ってしみじみ感じたり。ここでは書ききれませんが他の楽器も同様で、それら全てがトワツガイの世界観を支えている大切な旋律でした。
二時間半、終わってみればあっという間で(もちろん演奏の時間だけではなく下記の朗読劇の時間もあるのですが)、もう、終わりなの……今のは……夢……? って、毎公演頭ぼうっとさせたまま、会場をとぼとぼ離れていました。

■朗読劇

3公演でバラバラの内容が語られるということで、死ぬ気で筆記していました。まだ整理の途上です。人生でこれほど万年筆が活躍した2日間はありませんでした。
結果的にそれなりにはまとまったつもりですが、実は個人的には少し後悔しています。視線がほぼ手元のノートとペンに固定されてしまって、舞台上で展開されていたであろう様々な演出をほとんど視界に収められないまま終わってしまったからです。
また朗読そのものについても、声優さんの表情、表現、立ち振る舞い、どれも文字として起こせるはずもなく、もちろんそこに乗せられていたメロディーも情報としては欠落してしまいます。一瞬、ノートから舞台へ視線を向けたとき、高橋さん(スズメ)が不安を語りながら、実際に立花さん(エナガ)のほうを不安そうにちらと見ていたような場面があり(それも私の感覚として「そんなような気がする」という程度にしか定着しておらず、意識がそれくらいノートに引っ張られてしまっていました)、そういった、朗読という媒体を介して舞台から溢れてくる様々な魅力から目を背けてしまったことを悔やんでおります。上田さん(ツル)が放つ言葉の激しい寒暖差も、耳には届いていてその音声の記憶にはあっても、そこでどんな表情をされていたのか、立ち振る舞いをされていたのか、私には永遠に分からないんです。
トワツガイの世界を全身で味わうためにここにいるのか、記録を取るためにいるのか、途中で分からなくなってきてしまって、それでも完遂させなければならないと言い聞かせ、99%ノートだけを見つめていました。そんなわけで今となっては、本当にこれで良かったのだろうか……と思わざるを得ないわけです。
ただ、今はどれだけ心を記憶の海に漂流させることができていても、時間の経過に伴ってどんどん船は進まなくなってしまい、やがて欠落した記憶よりも「記録」のほうが重宝される日もやはり来ると思っているので、このノートは思い出として取っておきます。

80ページ分が埋まった

ただいずれにせよ、こういうテキストデータをどれだけ完璧に残せたとしても、それ以外の膨大な情報、つまり音楽、舞台演出、演技、表情、その他諸々、更に言えば会場の空気感なども含まれるのでしょうか、そういったものは全く伝えられるものではない、これは現地参加した皆さんなら全員、全力で首肯してくださると思います。主語がデカすぎることとか気にせず、ここで断言します。
なので、現地組の方々が展開されている様々な情報を、今回不参加だった方々がご覧になるときは、そのあたりを考慮されるとよいかと思います。テキストやイラストとして再現された情報と、現場で感覚器官を駆使して拾い上げた情報は全然違います、似て非なるものです。更に、客席で同じものを浴びても、そこに各人の思考と解釈が乗るので、ひとつとして同じ像ができないのですが、実は現地参加した他の方とあれはああだった、こうだったと見解を交換し合う楽しさがあったのも事実です。そして再構築されたイラストやテキストをツイッターで見るのは……それはそれで滅茶苦茶楽しいんですよね!!!
もしトワコン2が開催される日が来たら、今回現地の方はまた現地で!! 今回不参加だった方は可能であれば今度こそ現地で!! 楽しみたいですね!!

※台本、映像、音源、色々尽きぬ思いはありますがここではあえて言及しません……!

■各種演出

実のところ、朗読の口述筆記を取るのに必死になりすぎてて、朗読後の数曲は思考回路が焼ききれてしまい、フォロワーさんから公演後にあんな演出があった、こんな演出もあったと教えてもらって驚いたくらいでした。情けない話です。
そういった事情もあって比較的ステージへの集中が強かった時間帯の演出が意識に残りやすかったのですが、特に「揺蕩う永遠」の、死から蘇っていく二人を象徴するような映像演出が非常に好みです。そこにバイオリンの切なすぎるソロが乗ってきて、もう感情が揺さぶられまくりでした。こんなに運命ちゃんのことが好きなのに運命ちゃんはこの世界にはいないしあの世界でももう死んじゃってるしでも生き返ってるし二人はラブラブだしでもこれからどうなるか分からないしでも二人とも希望は捨ててなさそうだしこれからも画面の外で見守るよウッウッ(ここまで1秒くらい)

■鳥籠の中にいた

ところどころで事前に耳にしていたような気がしますが、鳥籠の中はステージではなくて、客席だったんですよね。鳥籠の中にて、その中で夢を見ているのは舞台の上の方々ではなくて、観客だった私たちだったんですよね。そして鳥籠の向こうに見えていたはずの夢の景色は、少しずつ雲の中に消えていって、その影はどんどん薄くなっていって、それがまた悲しくて切なくて、でもきっと今のカラスさんも同じように日々感じているのかもしれなくて。それなら私もこの悲しさ切なさをちゃんと受け止めてみよう。そんなことを考えています。まあそのせいで、振り切れるほどの幸福と少しずつかすれていく夢の間で感情が乱高下してるわけですが。
そしてツイッターでも投げたんですが、最終公演での近藤さんの挨拶「みんな仕事とか学校とか大変だけどトリたちも命がけで頑張ってる、だから一緒に頑張りましょう」(意訳)が、本当にトワツガイのコンセプトそのもののように思えるんですね、「私なりには」ですが。二度目の命をまっとうするために頑張ってる人がいる、だから私達も精一杯生きようと思える、背中を押してくれる。そんなことを考えているうちにますますトワツガイのことが好きになりました。

■最後に

何か書くか迷うのですが、やっぱり「感謝」だと思いました。
この舞台を企画してくださった偉い方々、美しい音楽でトワツガイの世界観を舞台上に再現してくださったオーケストラレゼルの皆様、迫力ある表現でキャラクターを演じてくださった声優の皆様、その他多くの方々に「本当にありがとうございます、トワツガイとトワツガイの音楽がもっと好きになりました」とお伝えする他ありません。
あと現地でお会いしてくださった多くのフォロワーさんにも大感謝です、おかげさまで本当に楽しい2日間になりました、どうか皆さんもお体に気を付けてお過ごしください。そしてこれからも一緒にトワツガイで一喜一憂悲喜交々狂喜乱舞していきましょうね。原稿頑張りましょうね。

……これから舞台トワツガイⅡが待ってるんですよね、心保てる自信がない
2日目昼公演始まる前くらいに運命2人の動画が公開されたんですよね
即聴いた、ニコニコしちゃった ↓これ
https://x.com/towatsugai_st/status/1789490683792744581


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