見て盗めは半年ROMってろくらいの意味で本来は優しさ

 タイトル以上に言うことはないので以下全て蛇足です。

 職人として食うようになっておおかた四半世紀になる。最初の師匠は明治生まれの大工の棟梁だった父方の祖父。高校生時分に暇を持て余した僕に色々教えてくれた。

 今北産業→把握、残念ながらこの流れだけで一丁前にはなれない。職人仕事をマニュアル化したらホッブスの哲学原論よりも膨大な書き物になるだろう。そんなものを読んだだけで始めたての身体はそれを再現できるだろうか。

 できる人のやることを食い入るように見て、ちょっと自分でもやってみる。当然失敗する。次に見るときは自ずと視点が変わる。またまじまじと見る。またちょっとやってみる。失敗する。これをひたすら繰り返す。その時間を許容するだけの度量が現場になくなってしまった。

 なにがしかを習得するのは本来途方もない時間がかかるものだ。OJTだとかなんとか訳のわからん横文字で誤魔化した馬鹿げた無責任さで都合よく使い捨てようとする阿呆、合理性の意味を履き違えたままただひたすら冗長性を捨てまくった阿呆、これらの超近視眼的成果主義がこの国を徹底的に破壊した原因の一端であることは疑いようがない。

 見て盗めという言葉を都合よく使って新人さんを潰す粋がったド阿呆三下自称スゴウデ職人気取りのゴミクズクソ雑魚ナメクジあほあほ類人猿(本当はこの世の全ての罵倒を浴びせたい)が目立つようになった。いや僕こそが本物で一流だなんて言うつもりは全くないけど。本当は、焦らなくてええんやで、くらいの意味を含んで使うものなんです。

 新人さんは半年ROMってりゃええねん。ローマの道はなんとやら。気楽に気長にゆっくりいこう。それを損失だとか言う阿呆は僕が全員ぶん殴って差し上げたい。

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