雑感 2023/10/21 BLUE SKY COMPLEX=青空自卑感
今回は、テーマ投稿。
「#好きな番組」と言われたら、もう、これしかない。
CBCラジオ「K’s up」
あなたの人生を変えた番組は?と問われれば、私の場合は間違いなく、CBCラジオで放送されていた「K’s up」である。
この番組がなければ、大石アナがSOPHIAに傾倒していなければ、私がSOPHIAに出逢うことはなかっただろうから。
東海ラジオ J-POP MAGIC SOPHIA・黒柳能生のかかってこいや!O
「K’s up」をきっかけにSOPHIAを好きになった私であるが、黒柳のことを好きになったのは、1998年ごろから聴いていた「東海ラジオ J-POP MAGIC SOPHIA・黒柳能生のかかってこいや!O」がはじまりだった。
1996年ごろからSOPHIAがパーソナリティーを務めていたのであろうこの番組は、恐らく彼らの最初期からのレギュラーラジオで(よく知らないが、96年頃のエタの会報の画像に、レギュラーラジオとしてこの番組が載っているのを見たことがある。)、いろいろな変遷を経て、私が聴き始めた頃には黒柳一人がしゃべる番組になっていた。
そして、当時のクラスメートが「SOPHIAがラジオやってるよ?」と教えてくれたとおりに、火曜日深夜1時に東海ラジオを聴いてみると。そこでしゃべっていたのは、松岡ではなく、ベーシスト・黒柳能生だった。
私には、ラジオを聴き続けると誰のことでも好きになるという悪癖(笑)がある。La'cryma Christi、MALICE MIZER、MASCHERA、Plastic Treeなども、それぞれの冠番組が私にとっての入り口である。
ということで、例に漏れず、半年間聴き続ける間に、すっかり黒柳ワールドの虜になった私。
当時の松岡は、彼自身の言葉を借りれば「社会に中指立てる」ような曲、詞ばっかりを書いていたけれど、黒柳は、その松岡のさらに斜め上を行くキャラで、松岡とは少し違う視点から、社会やリスナーに遠慮なく食ってかかっていた。
そんな黒柳に私が心酔したのは、当然の帰結であったとしか言いようがない。
「かかってこいや」も、当時、ノートに手書きで、毎回5行ずつくらいの感想を書いていた。授業中は、感想文を書く時間だった。
今、そのノートの行方が分からないのが悔やまれる。
東海ラジオ ミッドナイトスペシャル BLUE SKY COMPLEX
さて。ようやくブルスカ。
私がnoteを始めた理由は、今から20年ほど前に、黒柳がレギュラーパーソナリティーを務めていた「東海ラジオ ミッドナイトスペシャル BLUE SKY COMPLEX」のラジオレポをひっそりと書き溜めていたのだが、それを誰かにも見てもらえたらいいなと思ったから。
全235回、4年半余りの放送期間のうち、私が聴いて、レポートにまとめているのは、123回から最終回までの2年強、113回分。
投稿を終えてほぼ1年が経ったが、多くの方に読んでいただき、スキをいただき、楽しかったですとコメントをいただいた。
本人の声が残っているわけではないのに、このような反響をいただけて、嬉しい限りである。
記事はマガジンにまとめてあるので、興味のある方はご覧ください。
(目次がほとんどできていなくてごめんなさい。)
ブルスカで印象的なのは、やはり、私のメッセージを何度も採用してもらったことだろう。
あたかの採用率は比較的高く、20分の10ほど。下のマガジンに、採用された回のみをまとめてあるので、よろしければどうぞ。(別番組での採用も少し混じっています。)
黒柳の回答を文字起こししててあるのもいくつかあります。
そして、もっとも思い出深いのはこの回。
ブルスカの次の番組は、テニミュなどでおなじみのKimeru(現KIMERU)がパーソナリティーの「キラキラ☆れこーでぃんぐ」だったのだが、Kimeruは、自分の番組の中で、SOPHIAや黒柳について言及することが多かった。
なので、思わずメールを送ってしまい、何故だか採用されたのがこの回。
私の投稿がきっかけになったとは思わないけれど、この2つの番組をぶち抜いて、2時間スペシャルとして放送されたのが、先ほどの224回の放送。
内容については記事を読んでいただくとして、黒柳の交友関係の深さや後輩への深い愛(笑)なんかも垣間見えて、忘れることのできない放送である。
私がブルスカのレポを書き残そうと思ったのは、先述した、かかってこいやの時に書き溜めていたノートが始まり。
本当は録音を全部取っておきたかったし、全部文字起こしをしたかったけれど(当時は本当に文字起こしをして自分のサイトにアップしている人がいた)、それは自分には無理だと承知していた。
それでも、書きたい、残しておきたいという思いは止まず、また、そんなころから「俺様!」をコンスタントに見るようになっていたのもあって、文章を書くのが楽しかった。
当時はパソコンも高かったし、USBメモリも128MBとか(GBじゃないところに時代を感じる)しか入らなかったような時代に、これだけは絶対に取っておかないといけないと思って保存を続けていたこのレポートが、彼らの9年ぶりの復活とともに日の目を見て、いろんな出会いをつないでくれた。
私の大事なものは、ここにある。
読み返すたびに新たな発見がある、そんな、大切なレポたちである。
サポートくださった方には、スキのお礼画像の種明かしをします。 そうでなくても、スキをたくさんしてくださると、きっとどんな秘密が隠されているか分かります。