引きこもり体験記ーきっかけと出会い

序章

自分は高校時代に不登校から引きこもりになり少し働くもまた6年引きこもりを経験した当事者です。引きこもっていた当時、周りは進学したり、就職したり、彼女がいたりするんだろうなと思っていました。情報として引きこもりの人がいると知っていても、もしかしたら本当は自分だけではないのかと孤独感がありました。

そして今現在は、秋田県の引きこもりの集まりの代表をしつつ、たまに講演などをしています。あまり大したことは言えないかもしれませんが、現在進行形で引きこもり続けている人が、ぜひ自分だけではないということを知ってもらえればと思います。

子供時代から気付いた時には、生きているのがつまらないからか死にたいと思っていた。理由ははっきりとはわからないけれど、この連載を書くにあたり振り返ってみるといろんなことを思い出してきた..。

初回はこちらからご覧ください。https://note.mu/atack20/n/n8b48c4314cba

ふとしたきっかけで放送大学に入ったこと

いつものように何の変化のない日々を過ごしていたが、たまには(就職、進学、アルバイト)などを検索することがあるわけで、広告欄のふと放送大学という文字が目に止まった。実は高卒認定を合格したくらいのときに「せっかく大学に入る権利を手に入れたからそれで通信制の放送大学に入学しよう」と検討したことがあったが、(当時はCSでの放送で視聴するには専用機器が必要で、またテレビ番組の録画機器を所有していなかったことそして回数は少ないとはいえたまにいくことになる地元の大学の放送大学センターにいくことで小中高の同級生などの知り合いに会う危険性があった)などの理由で入学を断念していました。それが数年ぶりに放送大学のホームページを開いてみると地デジが始まったときにBSでも授業が観られるようになり、買い替えた薄型テレビでHDD録画で安価に授業が視聴できるようになったこと、同級生などはもう卒業して出会うこともないこと、しかし一番の決めては普通の大学よりも学費が安いということで入学する決意をしました。(同時にネット配信授業も充実していた時期で、入学時点ではしらなかったがこれは嬉しい誤算)もともと勉強は嫌いではなかったし、この状況を変えたいという意思が強くなっていたと思います。また実は小中のときはテストの点数は一番社会が高くて科目としても好きだった。(例えば小4のころに衆議院の小選挙区比例制度を理解していました)ということで専攻は社会、経済、法律、政治を中心にしました。(高専とは真逆の分野である)

 両親に大学に行きたいというと快く許してくれた。なるべく途中でやめないでほしいといわれました。この時のことは今でも感謝しています。

 入学当初は、普通に入学した人より6年のブランクがあったため授業内容についていくのがやっとだった。このとき問題となったのは勉強に対するモチベーションの維持でした。(当然だが勉強の習慣はとっくになくなっていた)友達が紹介してくれたスタディアプリという学習用SNSのおかげで乗り切ることができました。基本的には独学で勉強していたため同じような仲間には励まされました。(実際卒業までこのアプリにはお世話になりました。学習用アプリとしてかなりおすすめです)

そんな中引きこもっていた影響があらわれたのは、最初の試験の時だった。

 まず電車に乗ると具合が悪くなり目的の駅の手前で降りてしまった。恐らく視線恐怖症がひどくなったからだと思う。大学の試験中にも問題が発生します。なんと手が震えて文字が書けなくなった。これは極度の緊張のためだと考えています。以上のように精神的にも身体的にもある意味異常の状態で試験に臨んだが受講した単位はすべて合格しました。(いわゆる基礎科目を中心に科目を選んだだけだが)このあとテスト期間が終わり夏休みになるといろいろな人と出会うことになります。

大学に入ってからの人との出会い

 テストあとの夏休みに18歳の時に一緒に地元の工場で働いていた友達に東京に遊びに来ないかと誘いを受けてあまり乗り気ではなかったけど、東京に行きました。(正直行くことにかなり躊躇していたが断りきれず行くことになります。今から考えてみると大学生という身分を手に入れたことと試験科目をすべて取ったことによる自信が多少はついたのかな?)

まず東京という大都会に自分が馴染むことができるのかと心配していました。でも行ってみるとそんな心配とは裏腹に、誰も知り合いがいない土地ということで街の風景を楽しんでいました。(近所の知り合いに会いたくなくて引きこもっている人には自分のことを誰も知らない土地にいくのはおすすめかもしれません)

 何日か東京を満喫していたが、友達に「毎週聖書について話している場があるんだけど一緒に行ってみない」と誘われた。実はこの友達はクリスチャンで小学校のときは土曜日になると教会に行って学校を休んでいた。だけどこの提案をされたときは「聖書?なにか宗教に入らされるための危ない勧誘か?」と当時は思いました。(この感覚は日本人にとって普通の感覚だと思う。)しかし断る理由がなく恐る恐る待ち合わせの渋谷のガストにいくことになります。そこには見かけは外国人だけど日本語は流暢な人が2人いました。(感じのいい人ではあったけど、普段の自分であれば友達の知り合いではあるが見ず知らずの人には会いにいってはいないと思う。旅行気分でテンションがあがっていたのかな?)

 そして自分以外の3人は当たり前のように聖書の気になる部分について語りあっていました。自分にとってはちんぷんかんぷんな話題が続いたが、帰り際にそのうちの一人のハーフの人に家に遊びにおいでよと誘われ、東京滞在の最終日に訪問させてもらいました。何気なく玄関にはいるときに「自分の家のようにただいまと言って家にはいって」と一言。

 このときうれしい気持ちの半面、「なんで昨日初めて会った見ず知らずの自分にこんなことを言ってくれるのか」と戸惑いの気持ちのほうが上回っていました。

 これで東京旅行も終わりかけたとき、ハーフの人に「明日、石巻にボランティア活動しにいくけど一緒に行かない?」と誘われました。自分の地元は東北で帰り道とほぼ同じルートだったので石巻にいくことになりました。それは東日本大震災の復興の手伝いでした。実際現地に到着してみるとまだまだ復興にはほど遠い景色が広がっていました。次の日にゴミを集めたり、通りかかった車の洗車をしたりしました。その夜のバーベキューはとても楽しかった記憶があります。(このときのような大人数での食事はおよそ十年ぶりのことでした。)

そして本当に地元に帰る最終日。朝起きるとみんな輪をつくって集合している。何やら祈りの時間のようでした。そこでおもむろに自分のことを紹介されてみんなが自分のために祈り同時に拍手をして歓迎してくれました。多分そこにいた人達にとっては当たり前のもてなしかもしれないが、自分には大げさですが「生きていてもいい。」ということが承認されたような気がしたのです。今まで感じたことのない安らかな気持ちになりました。

帰りの電車の中で長い間泣きながら帰っていました。(当時24歳の男がないているのは周りからみたら異様な光景だったと思うけど...)

この日を境に幼い頃から抱いていた「死んでしまいたい」という感情を抱いていた状態から、少し自己肯定感を持つことができるようになりました。またいろいろ病気としての症状もだんだんと治まっていったように思えます。

例えていうなら本当に生まれ変わったようなそれほどこの体験は自分に多大な影響を与えました。

 今回は大学に入りそして、東京での人との出会いが自分を変えたということでしたが、まず東京に行ったことも、ハーフの人との出会いも、石巻の経験もすべては偶然といえるのかもしれません。

 しかし少なくともいろいろ誘われたときに拒んではいなかったともいえると思います。いまもし引きこもっている状態ならば日常のちょっとした変化があったときに変化を受け入れるともしかしたら色んなことが変わっていくのかもしれません。(もちろんとても勇気がいることではあります)けれども状況が変われば否応なしに引きこもりという状態ではいられなくなると思います。

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