引きこもり 体験記

今がつらくてもまるで夢だと思える日がきっと来る

序章

自分は高校時代に不登校から引きこもりになり少し働くもまた6年引きこもりを経験した当事者です。引きこもっていた当時、周りは進学したり、就職したり、彼女がいたりするんだろうなと思っていました。
情報として引きこもりの人がいると知っていても、もしかしたら本当は自分だけではないのかと孤独感がありました。そして今現在は、秋田県の引きこもりの集まりの代表をしつつ、たまに講演などをしています。あまり大したことは言えないかもしれませんが、現在進行形で引きこもり続けている人が、ぜひ自分だけではないということを知ってもらえればと思います。

子供時代から気付いた時には、生きているのがつまらないからか死にたいと思っていた。理由ははっきりとはわからないけれど、この連載を書くにあたり振り返ってみるといろんなことを思い出してきた..。

普通とは違う自分

3歳まで祖父母に育てられおじいちゃん子でした。そして、幼稚園の時からところどころ白髪が出てきました。原因はわからないけど、幼稚園が嫌だったと言うのは覚えています。(そのストレスで白髪になったのかな..)
祖父母の家に行くたびにおばあちゃんにずっと白髪を気にされ、「白髪を染めろ。」と毎回言われてました。
これが正直とても嫌で、この時から普通の人と違うところがコンプレックスになっていました。

私は当時病弱で耳鼻科に定期的に通い、喉も腫れることが多く、小児喘息にもなっていました。小学1年の時には中耳炎で入院したこともあります。その度におじいちゃんにはよく病院に連れて行ってもらっていました。このことは今でも感謝しています。

そんな自分の体の弱さが心配になったのか、母親の親類が事故で若くして亡くなった事を影を重ねる様になんども話されて、自分自身も病弱だったし、いつの間にか自分でも20歳までは生きることが出来ないと思い込んでいました。

幼稚園の話に戻るけど、本当に嫌だった。みんなで発表会みたいなのでダンスを踊るお遊戯がくだらないと思っていた。正直なんでこんなことをしなければいけないと思っていた。他人と同じことができないのか、それともしたくないのかはわからないけれど、この頃から他の人と合わせることが苦手だったんですね。

だから家で一人で自分のペースで進めることができるテレビゲームばかりしていました。ゲームにどハマりしていたので当時ほぼ誰も持っていないゲームギアとバーチャルボーイというマイナーなゲーム機も持ってました。ゲームに限っては、みんな自分の家に遊びに来てくれるし、自分が好きなものを共感出来て楽しかったという印象があります。

でも、基本は団体行動も苦手で、一人で遊んでいたほうが気が楽..という感じだったと思います。

ずれた感覚

友達に話したら驚かれたが突然小学生3年か4年の時にお小遣いがなくなりお正月のお年玉による年収制になった。なのでお正月にはなるべく親戚と会いできるだけ媚を売っていました。お年玉だけでやりくりしていたからなのか自分から両親に何かものをねだることもなかったし、どこかへ遊びにいきたいということも少なかったと思います。

自分の記憶では、誕生日とかクリスマスの時にプレゼントをもらったりしたことがありません。なので未だにプレゼントという習慣があまりわからないです。

母親から聞いたのが、自分が小学1年の時に「サンタクロースが死んだ日」という題名の絵を書いていたという事...。この時とても母親は心配していたらしい。もしかしてプレゼントをもらえない事の腹いせにそんな題名を思いついたのかも...。

今もテレビは大好きだが、当時からテレビっ子だった。でも、普通の男の子がハマるいわゆる戦隊モノにはあまり興味が湧きませんでした。当時好きだったアニメはドラえもん、クレヨンしんちゃん、サザエさんでした。(唯一の例外はジャンパーソン)TSUTAYAという存在を知ったのは中学生になってからでした。それこそ夏休みになると一日中テレビを見ていたこともあったし。今から考えるとテレビは受動的なメディアだからこれも引きこもる要素だったように思います。

でも、同時に学校の授業を受けることも苦痛ではなかった。受動的だから。しかし授業中手をあげることは苦手でした。ということで本当に昔からあまり自主性はありませんでした。

一番のトラウマ、スポーツ

自分は太っていて、自分の思い通りに動くことができなくてスポーツが苦手だった。小学2年の時に誰かに誘われてラグビーを始めたけど、練習がきつかったり部活内で友達ができなくてすぐにやめてしまった。

この時チームメイトや両親から何で辞めるんだとかあーだーこーだ色々言われて「余計なことをするよりも何もしないほうがいい」というのが自分の座右の銘になってしまった。両親からも「人に迷惑をかけてはいけない」ともよく言われていたし。

体育の授業などでの「好きな人と二人組になって〜。」というのが嫌で嫌でしょうがなかった。
あと残酷なドラフト形式もゴミ。
先生は最後まで選ばれない側の気持ちを何もわかっていないよね。
今は禁止になっていることを祈ります。
またスポーツのチーム分けをする時に「菅原を入れるからボールはこっちでいいよね。」ということも。
おかげさまで自分の存在は何だろうと考えるきっかけにはなりましたよ。

そして年に一度ずつ嫌なイベントとして、自分がメンバーに入るとチームが負けると言われた運動会や、万年最下位でトップ集団からは当たり前のように周回遅れとなったマラソン大会もそれぞれ惨めな思いをしていて嫌だった。

自分が病弱だったりして、普通じゃないことに気づきつつ、その中でに周りと合わせるのが苦痛だったんじゃないかと思う。そんなことから自分なんかが生きてて良いのかわからなくなり、全く自己肯定感を持てなくなった..のかも。
今回思い出して書いてみたことが将来引きこもりになる原因のかけらだったかもしれない。

中学生のとき不登校気味なこともありましたが、初めてのこともとても苦手だったし、この時はサボりとかいうよりは幼少期の様々な思いから「もう疲れた、休ませて欲しい。」というのが本音だった...。

不登校気味から始まり高校には完全に引きこもってしまうのですが、その話は次の章でお話できればと思います。

更新するペースは遅くなると思いますが、
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