引きこもり体験記ーカミングアウトから大学卒業

序章

自分は高校時代に不登校から引きこもりになり
少し働くもまた6年引きこもりを経験した当事者です。
引きこもっていた当時、周りは進学したり、就職したり、彼女がいたりするんだろうなと思っていました。情報として引きこもりの人がいると知っていても、もしかしたら本当は自分だけではないのかと孤独感がありました。

そして今現在は、秋田県の引きこもりの集まりの代表をしつつ、たまに講演などをしています。あまり大したことは言えないかもしれませんが、現在進行形で引きこもり続けている人が、ぜひ自分だけではないということを知ってもらえればと思います。

子供時代から気付いた時には、生きているのがつまらないからか死にたいと思っていた。理由ははっきりとはわからないけれど、この連載を書くにあたり振り返ってみるといろんなことを思い出してきた..。

初回はこちらからご覧ください。https://note.mu/atack20/n/n8b48c4314cba

登場人物 工場勤務の時に再会した同級生 H君
     前回東京で知り合ったハーフの人  Nさん

引きこもりをカミングアウトしたら受け入れられたこと

  前回の話に出てきたハーフのNさんには今でも度々お世話になっていますが、前回の半年後は大学の試験終了後の休みに東京に行き自宅に泊まらせていただくことに。(この頃H君はNさんの家でシェアハウスのように住んでいた)

そして一緒に秋葉原に観光に行ったときに近くに住んでいる小中時代の同級生に会う流れになりました。(この人とは同じ部活で汗水流したが、最初の引きこもり期のときに地元の図書館でたまたま会ったときに私が無視よりもひどい態度を取り、また高専に進学以降何度もかつての部活の集まりがあったがことごとく欠席していたので非常に会いづらいひとでもあった)そんなこともあり、会って開口一番でそのときのことを謝りました。当人は覚えてもいなく特別気にしてもいなかったが許してもらい、また少し同級生に会うハードルが下がりました。

 そしてその後のある夜に、前回の連載の石巻のときと同じように輪を作り、祈りの時をもつ時間がありました。そこで「何かこの場で言いたいことがある人」との問いに、もともと引きこもっていたことは話していなかったので思い切ってカミングアウトしてみたのです。そうしたら特別気を遣われたり、よそよそしい態度を取られることもなく「あっそうなんだ」「そんな風に見えない」「よく話してくれた」などと好意的に受けいれられました。

このとき引きこもりを宣言して受けいれられたことで、引きこもりではなくなったような感覚になったのです。実際にこのとき以降、外に出ていくことに格段に嫌ではなくなった覚えがあります。(前回と今回の経験により、Nさんの自宅を自分の居場所だとも思えるし、もっと言えば第二の故郷のようなものになりました。自分が行くたびに「ここに帰ってきた」という感覚があります)

 なぜカミングアウトしたかはあまり覚えていないが自分のような引きこもりでも受け入れてくれるひとがいるんだという異様な安心感に包まれていたことは覚えています。(だがここから半年ごとに東京に行くたびにおかしなことになり始める。行き先を告げられずに車で連れていかれたり、罰ゲームと称して動画を撮影してそれをyoutubeに投稿したり、突然の無茶振りから落語を披露することになったりします)

ということで大変な目にもあったが東京へいくたび楽しい経験をしました。また印象的な出来事としては何度かNさんの自宅へ行った際に、初対面の人達に「いつもあなたの評判は聞いています。こうしてやっとお会い出来てうれしいです。」と言われ非常に驚いたのです。なぜなら基本的に他人は自分のいないところでは悪口を言っていると思い込んでいたからです。このあとからは「人を信じる」ということができるようになったのです。(引きこもっていた当時は「世界中の人々が全員いなくなってしまえばいい」と思っていたほどである)

小中時代の同級生たちと会うことに

 単位も順調に取得していた大学3年のときに、H君が雪の降る期間だけ帰省することになった。しばらくは限られた人としか遊んではいなかったが、ふとH君が「どうせあそぶなら小学校のときの同級生たちとも交流を持ちたい。」と提案された。

 正直「こんな引きこもりの自分には会ってくれないだろうし、まだ同級生が怖いとも感じていたし、仮に会うことになっても対等には接してくれないだろう。」と思っていた。実際ある同級生と連絡すると親御さんから素っ気ない態度も取られたりしました。(考えてみれば当たり前の反応、なんせ6年遅れの大学生である)

 だが予想に反し10人弱の同級生と連絡がとれ、たまに遊ぶようになりました。(趣味としてミニ四駆で盛り上がっていたが自分はあまり興味がなかった。それでも仲間はずれにされなかったのはありがたいと思っています)

 そして、たまたま自分の誕生日が近かったため急遽誕生会が開かれることになった。当日はほぼすべてのメンバーに祝福されなかにはプレゼントをくれた友達もいました。実は今まで自分の誕生会をしてもらったことがなく自分のためにわざわざ忙しいなか集まってくれたことには感謝の気持ちしかありません。この日は一生忘れることはないと思います。本当に皆さんありがとうございました。(食事先で思わぬ警察ごとに巻き込まれたというエピソードはいまだに語り草です)

 というわけで、あれだけ嫌がっていたかつての小中の同級生とも自然体に会えることができるようになりました。もっといえば小学校時代よりも気楽に接しているかも。(このときの感情は「自分のためにみんなが集まってくれて嬉しかった」というよりも「会うことすら拒んでいた同級生たちに祝ってもらえる自分の幸せ」というものを噛み締めていたと思います。)

思いもよらず引きこもり支援団体の代表に

 大学生活を無事に過ごし、卒業も見えてきた4年生の秋。地元の地方紙にあるイベントの紹介を目にする。それはある引きこもりの支援団体の支部を地元にも作ることになり決起集会を開くとのことだった。もともとせっかく引きこもりの経験があるのだから、その経験を活かし支援をしようと考えていた時期でもありました。

またネットで引きこもりに関する記事を連載しているジャーナリストの方も地元に来ると聞きひと目会いに行きたい気持ちがあったため決起集会に出席することになりました。会場は総勢150人ほどが出席していました。なかにはマスコミや行政の関係者も多数いるようでした。東京の理事長の講演やお目当てのジャーナリストの講演など盛大に集会が行われました。その後に役員などのメンバーを決めるため集まって下さいとのこと。このあと特に予定がなく、何かしらの支援をしたいと考えていたため自分も輪の中へ。

 そこで東京の理事長から「できるだけ当事者目線で会を運営してほしい」とのこと。しかし当事者は自分しかいなかったのです。そして自分に向かって「いま当事者はあなたしかいないようだから、あなたが代表になりなさい」と驚きの一言。しかしこの指名を断ることも出来ずにその場では了承して、会の名称や他の役員が決まり地元の支部が発足しました。というわけで思わぬ形で支部の代表になりました。(当時を振り返るとどう考えても自分には力不足だと感じていたし心の準備もなかったため発足半年ぐらいはわけもわからず会に臨んでいました。)

 けれども今では運営委員の方々や行政の方や同じような団体の人々にも助けられて月に一度充実した例会を行っています。

大学卒業、そして

 学業の方では履修する分野が変わってきた。今まで社会、経済、政治のを主に勉強していたが、大学4年になってからは宗教、哲学、文学などの分野を履修しました。この分野は一見小難しそうに見えるがそうではなく、引きこもりなどの一般社会ではうまくいかなかった人や社会的にマイノリティーに分類される人にとってはとても魅力的な分野でした。(自分の胸に響いた言葉がたくさんありました。)

 そして放送大学を続けてこれたのは普通の大学と違い明確な先輩後輩の上下関係ではなく、またほぼ年齢が一緒の対等な同級生という関係でもない、多種多様な学生の中で学習することが出来たことが大きいと思います。(年齢で言うと、10代から70代の学生で、自分とおなじような人や、キャリアアップしたい社会人や教養を身につけたい会社の重役、子育てを終えた主婦、定年後学び直したいお年寄り)などタテやヨコの関係ではなくいろいろなナナメの関係性を持つことが出来た部分が大きいと思います。(要するに変なしがらみがなかったのである。地元ではこのような大学は放送大学しかないと思う)

 ということで、少しの間並行して代表と大学生の二足のわらじを履いてきたがとうとう大学卒業の時期がやってきました。全国としての卒業式が東京で行われH君とH君を通じて知り合ったカメラが趣味の人と出席してくれました。(晴れの舞台を写真に収めてくれました。このときH君は調子に乗って卒業生の席に同席してしまう)

 このあとさらにH君とお世話になったNさん夫婦と一緒に卒業記念として飲みにいくこととなりました。このときバーにいったのだが急になんとも言えない感情がこみ上げてきました。

 引きこもっていた数年前には想像もしていなかった大学卒業とその記念のために祝福してくれる人達がいることが信じられない思いで胸がいっぱいでした。

 よくふいに思うことがあります。

 それは「高専をやめずに順調に人生を歩んでいたらどうなっていたのだろう」ということです。しかしそうなっていたら人間性が怪しいし、いわゆる成功してはいたかもしれない、決して幸福にはなっていないだろうと思うのです。

 また自分は運がいい人間だとも感じています。(高専をやめて6年ひきこもりましたが)なぜなら、引きこもっていなければあらゆる人との出会いもなかっただろうし、いろいろな人とつながれているこの有り難さというものが理解できなかったと思うからです。そして自分のこれまでの人生はこうでしかなかったとも感じるのです。なによりも「生きていてもいいんだ」と思えることが出来たのです。

 終わりが近づいてきましたが、今引きこもっている人に伝えたいことがあります。それは今がすべてではないということ。そして今の状態ではいられなくなるということです。

 また一般社会ではこれは立派な生き方で、あれは卑しい生き方などといわれるかもしれません。ですが、本当にそうでしょうか?いろんなタイミングが重なりそうなることも多いです。また、自己責任かどうかといえばおそらく半々なのではないでしょうか?

 そのほうがうまくいったときは謙虚になれるし、うまくいかなかったら自分を責めずにすむような気がします。だから今引きこもっているとしてもたまたまそうなっただけだと思います。そして今現実におこっていることもまったく現実の様子が変わると、夢だったと思うことが人にはあると思うのです。

 今非常に苦しいときでも「いやぁ、そんなときもあったな。」と笑えるときがきっとくるはずです。要するに状況は必ず変わるし、状況が変われば現在や過去の出来事の意味も変わるということです。そう思えなければ「自分が生きていても一生いいことはないだろう。」と思い込んでしまうのです。(自分もそう考えていました)

 最後に引きこもっている人、そして過去の自分に。

「人生はどんなふうに変化したっておかしくないんだよ」

 それはなぜか?

だってあなたは生きているのだから。

なお今回で本編は最終回となりますが次回は番外編としてあとがきを書いて見ようと思っています。更新するペースは遅くなると思いますが、気に入ったらぜひフォロー、投げ銭等してくださると励みになります。よろしくお願いします。

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