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第六話 魚屋の辰三さん

今回は、さかがみ文具店のお客さん(吝いけど)の辰三さんの話です。都内には少なくなってきた魚屋さんの何代目?かです。
お店の名前はよくある、魚辰。魚辰さんが休みの日の夕方に、たまたま街で私が辰三さんに会って、流れで飲み屋に連れ込まれたときに聞いた話です。

魚辰の徹底ブリ

この辺では、魚辰を知らない人はいないくらい店は有名です。まだ、現役で働くオヤジと呼ばれる辰哉さんが中心だった頃より、辰三さんの代になってからの方がメディアなんかに取り上げられて、有名になってますね。
なにせ、辰三さんは大卒で、魚だけでなく、魚の産業とかにもにめちゃくちゃ詳しい、魚屋ですからね。ちょっと講釈をたれ始めると、話もうまいから人がすぐに集まります。

辰三さんが時々、さかがみ文具店に来て言う口癖は「魚屋とか、八百屋なんてもんが使う文具なんて、鉛筆だけでぇ!」なんですけど、八百屋のケンちゃんに、いつも反論されています。
「そんなのはてめぇだけでぇ!八百屋はハサミも、消しゴムも、ノートだって使うんでぇ!この、スットコドッコイ!」
二人のどちらもこの辺(江戸と言われていた土地)の生まれで、いまだに茶化してこんな言葉を使うことがあります。楽しそうでもありますから、羨ましいです。二人は仲良しですからね。

魚辰さんは、江戸の頃から振り売りで魚屋をやっている老舗であることを、いつも自慢しています。辰三さんのオヤジさんはまだ店に出ていますが、
「その辺のぽっと出の店と一緒にすんじゃねえ!」なんて、よく喚いています(笑)。だけど、実際は何代目なのかは不明という、いい加減さも持ち合わせています。

ただ、人の名前だけは 徹底していて、おじいさんは辰吉、オヤジさんは辰哉。そして息子で三男坊の辰三さんと、全員に辰がついています。二人の兄は商社に勤めていて、海外にいるそうです。日本の魚を海外に広めるんだ!と息巻いているとのこと。すごい気概です。そして、辰三さんが跡を継いだ。ちなみに、お兄さん二人は、辰徳と辰夫です。

デッサン好きだった

以前は理由を知らなかったけど、さかがみ文具店で辰三さんは鉛筆ばかり買っています。そして、毎月のように買いに来ます。絶対、ハイユニを買います。他の文具は安いのばかり買うのに(笑)。

辰三さんは、子供の頃から絵を描くのがとても好きだったそうです。小学生の頃は、魚屋によく出て魚の絵を描いていたんだとか。
ところが、中学生になり思春期になって、女の子たちから魚屋は臭いとか、ダサいとか言われはじめ、すっかり店には顔を出さなくなってしまったそう。それでも、その間もずっと絵は描き続けていて中学校、高校では、美術部にも入っていたそうです。静物画が好きで、たくさんデッサンしていたようです。
だから、あまり絵の具を使ったりするような絵は描かないので、鉛筆でデッサンするのがとても上手になっていったみたいです。
その頃はぼんやりと、できれば美術で生計を立てたいと思っていたそうですが、この世の中そんなに簡単ではないですよね。

辰三さんの変化

デッサンに夢中になっていたころ、魚屋を継ぐ気は全くなかったそうです。高校2年の夏まで、進路が全く決まっていない状態だったとのこと。これはまずい。
担任の先生は、まだ時間があると高をくくって、何も言ってこなかったそうです。でも、美術部の顧問の先生は何かと気にかけてくれていたみたいです。デッサンだけでは生計を立てられないでしょうしね。

ある日、美術部の会合で顧問は「今日は水族館に行き、みんなでデッサンしよう。たまには外に出かけるのもいいだろう。ただし、参加は任意で良い」と言ったらしいです。
辰三さんはこの企画に対して、別になんとも思っておらず、たまには外も良いななどと思っていたとのこと。

さて、行った先の水族館ではその日、漁業の特別セミナーがあり、美術部の部員もそれに参加したそうです。顧問が「描くものの背景や周辺もも知っていたほうがいい絵が描けるだろう」と言ったから。

セミナーでは、漁業の大変さや凄さ、そして彼らが持つ魚への思いなどを聞き、辰三さんはすっかりはまってしまったんですって。そして、自分が魚屋の両親をバカにしていたことを反省したようです。思春期のこととはいえ、周りのヤジのようなものに振り回されていた自分を恥じたんだとか。
さらに、自分は魚のことを大して知らないことにも気付いてしまったようです。その時は将来、店を継ぐとも思えなかったそうですが、自分を育てた魚屋の基礎になる魚を知りたいと思ったのは、この水族館がきっかけだったらしいです。

兄貴の思いと進路

既にこのとき、長兄は商社に勤めていて、ノルウェーからサーモンを仕入れたりする仕事をしていたんですって。あまり家に帰ってこない長兄にメールで話を訊くと、オヤジさんの店に自分の仕入れた魚を並べてもらうのが、ひとつの目標だと返信してきたそうです。次兄も同じようなことを考えていて、なんだか自分だけ取り残されている気がして悔しかったとのこと。

そこで、美術部の顧問に思い切って相談してみたんですって。自分はどうするべきかと。美術部の顧問は言ったそうです。
「それはあなたが決めること。でも、それは今日ではないかもしれない。よく考えるために、大学で魚の勉強をしてもいいのでは?」
と。魚を知りたいと思っていたから、このアドバイスにすっかりはまってしまい、その日から水産系の勉強ができる大学を探し回ったそうです。そして、父親に水産系の大学に行きたいと話すと、まだ、継ぐとも決めてないのに
「魚屋に学は要らねえ!」
などと怒鳴られたらしいです。が、兄たちは当然のように大学を出ていたし、母も賛成してくれたので、オヤジさんは折れたようです。そして約束させられたんだとか。
「やるんだったら徹底的にやれよ」と。
そう言って、ハイユニを1ダース買ってくれ、勉強に役立てるようにと。オヤジさんの辰哉さん自身もハイユニを使っていたんですね。

大学以後の辰三さん

なんとか、大学に滑り込んで、大学時代は魚そのもののことだけでなく、漁業や水産資源の環境についてなども、一生懸命に勉強したとのこと。私とは違うなあ。
大学の勉強とは別に各地の漁港や水族館、魚に関するイベントなどがあれば、積極的に出かけても行ったそうです。すごい!
そして、気づいたことをオヤジさんにもらったハイユニで、たくさんメモしたそうです。もちろん、行った先でのデッサンも欠かせませんね。もらったハイユニがなくなったら、さかがみ文具店に買いに来ていたこと、店長も覚えてましたよ。

辰三さんは大学卒業のとき、両親にお礼をしようと考えたそうです。金もなかったし、できることはこんなことだろうってことで、自分の好きなデッサンで魚屋を描き、プレゼントしたんだとか。今でも、両親の寝室に飾ってあるそうです。その時のデッサンもハイユニで描いたそうです。

絵をもらうとき、オヤジさんは
「もう、魚屋は流行らねえ。お前の兄貴たちももう家には戻って来ねえだろ。お前も好きにしろ」
と言ったそうです。確かに、どこの商店街でも一番先になくなるのは、魚屋さん。でも、辰三さんは
「そうかも知れねえけど、俺は魚辰を、魚屋をやりてえ。兄貴たちが輸入する魚を店にきちんと並べてやれるのは、オヤジか、俺しかいねえ。兄貴たちは海外に日本の魚を売っても回るが、それも国内に魚の産業がなきゃ、話にならねえ。だから、俺は魚辰を継ぐからな」
と啖呵を切ったらしいです。親父さんは、
「このバカ息子が!勝手にしろ!」
と言ったらしいけど、内心、絶対泣いてたはずです。

鉛筆を使う理由

こんな話を聞いてきましたよ、とさかがみ文具店の店長にかいつまんで話すと、店長もひとつ、教えてくれました。
店長が以前、辰三さんに「なんで、鉛筆ばかり?ボールペンとかあるでしょ?」と訊いたらしいです。すると、辰三さんは、
「八百屋、肉屋に比べると、魚屋は圧倒的に水に近い。濡れる可能性が高いんだよ。ボールペンはものによって濡れたら書けねえし、滲んだりすんだろ!鉛筆が最強よ!」
と言っていたらしいです。なるほどと思うところもありますけど、でも、本当の理由を私は知っています。自分が若い頃から使っていて、家族との思い出もいっぱいあるからに決まってます。

ところで、店長、今回のPOP、内容は最高だけど、魚辰さんを知らないと成り立たないよ。
「魚辰を育てたハイユニはこちら!」


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