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下北沢について-吉本ばなな-

明け方におじいちゃん亡くなった。
うすく覚悟はしていて、寝起きのLINEの通知アイコンで察しつつ、父親からの文面を見てはらはらと涙が出たけどすぐ止まった。
本当にずっと可愛がってもらったから、今は悲しみよりも感謝の気持ちが大きい。
葬儀で顔を見たらまた泣くと思う。

祖父母の住む横浜市鶴見区で生まれて、父親の転勤後も何度も訪ねた鶴見をわたしはホームタウンだと思って生きている。
大好物ばかり並べてくれる食卓。
レジ袋をさげて一緒にのぼった坂道。
鶴見駅西口のマクドナルド。
2階の窓際の席でポテトSサイズを食べる園児のわたしの前に座って、愛おしそうに微笑みかけてくれた優しいおじいちゃんを覚えてる。
大好きだった。
おしゃべり好きなおばあちゃんは残されてこれからどうするんだろう。

自分が特にそれほど好きでないものを、相手の速度と目線に合わせてむだなくらいの長時間観たり聞いたり探したりすること。

とことん相手に合わせてみたり、ゆずってみたり、無為な時間と思われる時間を過ごしてみることでしか、思い出の塊はできないように思う。
今、あの日々を思い出すとあまりにも濃くて美しい塊になっているから、びっくりする。

毎日の中でちょっとだけ、全部手を開いて、はいはいどうぞと言って、相手にゆずってあげることはきっとこれからもできるだろうと思う。おりをみて、家族に友だちに、少しでもそんなふうにしたいと思う。

下北沢について

私はおじいちゃんの深い愛情でつくられた美しい思い出の塊を持っている。
今でも思い出す、愛おしくかけがえのない時間がある。
おじいちゃんからもらったことを、大切な伴侶のおばあちゃんに返していけたらいいのかな。
時間を見つけては会いに行って、代わりにおしゃべりしたらいい?

土地がその場所を特別なものにするんじゃなくて、そこで出会えた人や、もらったあたたかな感情がその土地を自分にとって特別なものにする。
作者は下北沢でのかけがえのない体験を愛しているから、下北沢を愛している。
わたしはおじいちゃんが生きてわたしを愛してくれた鶴見を愛している。

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