祈りの場

就職が決まったので、お参りしていた神社とお寺にお礼参りに行っている。
近所の神社含めて5か所。
パワースポットや御朱印には興味がなくて混雑も苦手なのであまり行かないがしっかりお参りするから後ろに並んだ人にとっては迷惑かもしんない。

昨日はかなり大きな寺に行った。
本堂は人が多く、ご本尊は外からは拝めなくてお経を少し聞いて帰った。
おかしなもので、家で読むお経のリズムとトーンに慣れてしまったので合わせづらく、お経の文字が無いため居心地悪し。人多いし。
まあ、仏様はけちくさくないから帰ってもOKだろうと都合のよい解釈をして本堂を後にした。

その後、あちこち歩きまわり少し外れた所にある観音様、お釈迦様を拝む。
真言は短いからお手軽だ。
観音様(聖観音)は女性的で美しく、清らかでthe慈悲って感じでしばらく眺めていた。観音様みたいな人になりたいものである。おこがましくも。
お釈迦様に手を合わせていたら日が差した。2回。こういう偶然は嬉しい。
就職のお礼以外にも仏教で心が落ち着き、考えや行動が改まったので、お釈迦様には感謝し尽くせないので改めてお礼を言っておいた。

ベンチでしばらくぼんやりした後というか、涙出てきて明らかに怪しい人なので座ってただけなんだけど、お寺があって、日々祈祷やお祈りがされて、人がお参りして、誰かがお堂や仏像建立を企画して誰かが作って、私たいなビジターが拝んで勝手に感極まってたりする。参拝者がいなくても仏像はそこにあり、参拝者の祈りの名残りも併せて世の安寧を願うのだろうなどと考えていた。

子供の頃、お参りやお祈りって何?と考えて、きっと水の循環のように誰かの思いがどこかに集まり、雨や雷のように誰かにふってくると思いついて納得したことを思い出した。神様、仏様はパワーすごい人かどこに振り分けるか決める人で、神社や寺は窓口。
直接願いが聞き入れられることもあるけど集約して分配する。
ご先祖様は身内贔屓してくれる。
ぼーっと空を見ているとそういうことを考えてしまうもんで、それは昔も今も変わらない。
大日如来は空いっぱいに広がっている(?)イメージ。


そんなんで、日々の読経では転職上手くいきますようになどという個人的な願いの他、ざっくり広くのお願いもしている。

祈願文
至心発願 天上地久
即身成仏 密厳国土
風雨順時 五穀豊饒
万邦共和 諸人快楽
乃至法界 平等利益

日々の読経の他、痛ましい事件やあんまりな状況に接した時にも唱えている。
そして募金やクラファン少々。あとは仕事に精進し心身ともに健やかに過ごす。

以上



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