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緑に赤は相容れないのか
早いもので、時忘れの歪での調査も最終日を迎えた。十日目となる本日も、木々や草の緑が瑞々しくて美しい。葉の上に乗った朝露が、木漏れ日から熱を受けて少しずつ大気に戻る時に、土の匂いを大地からさらっていく。立ち込める森の匂いと視界いっぱいのフォレストグリーンを楽しめるのも、いよいよ今日が最後だと思うと、わたしの鼻が自然と深呼吸をする。
「なんだか、最終日でようやく肩の力が抜けた気がするわ」
ぶおん
ぶび!
息をゆっくり吐いてから言うと、エンブオーのアザラインとブビィのキーロも、わたしに合わせて深呼吸した。息と一緒に鮮やかな青と弾けるような黄色の炎が吹き上がる。森の新緑を背景に見る火は夜のそれほど目立たないけれど、やっぱりきれいだ。
「アザリー、今日もがんばりましょうね。ジムに戻ったらまたキーロとヴィオにがんばってもらうから、今日のうちにいっぱい体を動かしておきましょう」
ぶぉ
アザラインはにっこり笑って頷いた。新人トレーナーが最初に挑戦するジムのひとつ、ダグシティジム――そこでのわたしのバトルメンバーとして、彼らのレベルに合わせてキーロとヒトモシのヴィオレットが選ばれる。わたしと長く旅を共にしたアザラインは、初心者向けのジム戦に出すにはちょっと強火が過ぎるのだ。
わたしはアザラインの腕を取って撫でた。太く逞しく、温かい腕。
「あなたとまたバトルできて嬉しかったわ。最後までよろしくね」
ぶびび~!
声を上げたのは、アザラインよりキーロの方が先だった。黄色い炎をぽんぽん吹いて跳び跳ねている。
「うふふ、キーロもお手伝いご苦労さま。あなた、アザラインのバトルをちゃんと見れたかしら」
ぶび!
「そう、よかった。アザラインからたくさん教えてもらって、あなたもジムバトルポケモンとして強くなりましょうね」
わたしがそう言うと、キーロはぽすんと拳で胸を叩く。『任せといて!』のアピールの割に、アザラインより拳も腕も小さくい。わたしとアザラインは手を握りあって笑いをこらえた。
がんばらなくてはならないのは、キーロだけじゃない。わたしもジムトレーナーとしてまだまだ強くならなくては。カキョウ先生やハウンドさんと仕事の場所を分かち、ギセルさんとも違うレイドバトルチームに入ったこの十日間で、その思いは強くなる一方だ。グリトニルシティジムのリーダー・ベリルさんはもちろんのこと、ジムトレーナーのルーミィさんも、冷静な状況判断と的確な指示のできる素敵なトレーナーだった。違う町のジムの方々があんなに強いのだから、わたしも負けてはいられない。
「調査に出る前より、少しは腕が上がっているといいのだけれど。……今回のこと、カキョウ先生達に胸を張ってご報告したいわね」
そのためにも、調査終了と撤退の時までしっかりやらないと。
「さあ、行きましょう、ふたりとも」
わたしは足を踏み出した。落ちた枝を踏んだらしく、ぱきりと音が鳴る。キーロが後を追ってぱきぱき足音を出して、しかしアザラインはぴたりと止まった。
「アザリー?」
大火豚の鼻がヒクヒクと動く。じっと体を止め、青い鼻が宙の風に向いた。
――何か嗅ぎ取ったのかしら。
わたしとキーロが咄嗟に息を潜めた瞬間、
ザアッ!
木々が騒いだ。
バシン!
「きゃっ!」
鋭い殴打の音が空気を切る。わたし達は身をすくめ、アザリーがわたし達を庇うように腕を出した。
「アザリー、大丈夫!?」
こくりと頷くアザライン、その右腕は少し赤くなっている。こうかはいまひとつのようだけど、何か攻撃を受けたみたいだ。前を見て横を見て後ろを向いて、だけどヒトもポケモンも見当たらない。
フッ、とわたし達の周りが薄暗くなった。
――上!
「『アームハンマー』!」
上空を指して叫べばアザラインの拳が天に突き上がり、モスグリーンの影を弾き飛ばす。弾かれた鞭のような影の隙をついてアザリーの左手がそれを掴み、ぐんと引っ張り下ろした。
ザン!
引きずられた鞭の先が、わたし達の頭上の木から真正面の地面に飛び降りてくる。大きな黒い猿ポケモンだ。両腕に植物の太い蔓が巻き付いて、鞭はそのうち右腕の方から伸びている。これがモスグリーンの鞭の正体らしい。
――野生のポケモン!
大猿はアザラインに引きずり落とされたとはいえ、咄嗟に上手く受け身を取って素早く蔓を持ち直した。そのまま二匹は力比べのように蔓を引き合う。その隙にわたしはじっとポケモンを観察する。蔓を操るからにはくさタイプのポケモンだろう……だけど、わたしの知らないポケモンだった。
――くさざるポケモンならヤナップ、いえヤナッキー? でもどちらとも似ていない。ナゲツケサルとは得物が違うし、ヤレユータンはこんなに動かない。このポケモンは何?
すると、
ヒュッ
相手が地面を蹴った。あえて近づいて膠着状態を解く気だ。速い!
ガツン! 相手の足がアザラインの腕にめり込む。アザラインの腕の力が抜けて蔓が落ち、相手は再び跳んで距離を取る。蔓は腕に巻き戻っていった。と思うと、今度は反対の腕を振り上げる。
「アザリー、『ニトロチャージ』!」
相手が腕を下ろして蔓を飛ばし、アザラインの身が燃えて前に出る。蔓と拳がぶつかった。またも互角の力だ。
蔓は戻っては飛んでくる。速い動き。重量タイプのアザリーには分が悪い。
「『ニトロチャージ』を続けるのよ!」
ぶぉん!
わたしの声に応えて、あごの青い炎が噴き出した。距離を取ろうとしながら蔓を飛ばす猿、追いかける青い火だるまのアザライン。「ニトロチャージ」は使うたびに自分のすばやさを上げる技だ。どんどんアザラインの動きが俊敏になっていくが、それでも相手のスピードにはまだ届かない。
「がんばって、アザリー!」
指示を飛ばすわたしの鼓膜を、その時、後ろから再びガサッと葉擦れの音が震わせた。振り向いて、
「えっ……?」
ぽかん、としてしまう。
木の上にゴーゴートがいる。いや、ゴーゴートの首だけだ。思わずぞくりと背筋が凍った。だけど下は布、四方から人間の手足が伸びている。ゴーゴートではなく、その首をお面に模して被った人間だ。背は小さい。子どもだろうか。隣にはもう一匹、対戦中のポケモンと同じ種類の猿がいた。
――何? いえ、誰?
「●✕△%◆*!」
つんざくような音、ではなく声がした。ゴーゴートの面の下から、面の分だけくぐもった、甲高い子どもの声が空気を震わせる。でも、言っていることがわからない。
「あなたは誰?」
「▼☆@○#!」
何を話しているのだろう。そもそも人間の言葉を話しているのだろうか? 声の色は怒っているように激しいけれど、わたしの分かる言葉は出てこない。
「●□✕!」
子どもはわたし達の方を指差して叫んだ。すると、
ビュッ
隣の猿が腕を振る。
ビシ!
びぶッ
とてもではないが目が追い付かない。悲鳴に反射して地面を見て、キーロが叩かれたことに気づいた。
「キーロ!」
わたしは慌ててブビィを抱える。小さな身体いっぱいに蔓の跡が赤く腫れた。
――今のはあの子の指示? あの子はバトルをしようとしてるの?
わたしは顔を上げたが、子どもの表情は面に隠れてわからない。声色だけが激しく荒い。
ぶん!
アザラインが攻防の隙を縫ってわたし達の前に立つ。青く燃える炎の塊が子どもと猿に向かって跳んだ。が、
バシ!
「きゃ!」
わたしの足元に衝撃が来た。アザラインをすり抜けて蔓がこちらにとびかかる。すばやさの上がった青い火球は彗星のように猿達を追うが、
ビシ! バシ!
彼女を無視するように――いや、違う。わたしを、トレーナーの人間を狙って、猿達は蔓を放ってくる!
ザッと風を切る音がした。仰げば子どもが背を向けて、枝から枝へ跳ねて行く。その後を隣にいたポケモンが追いかけて、
ザザッ
入れ替わるように木陰から、ギョロリと赤い瞳を覗かせる巨木の群れが現れた。ろうぼくポケモン、オーロットだ。真紅の眼はそのすべてが、わたしに真っ直ぐ向けられている。心臓が凍った手で鷲掴みされたような感覚がした。
――彼らにわたしを狙わせているのは、あのゴーゴートの子? それならこれはポケモンバトル? でも、あの子はどこかに行ってしまった。それにバトルで人間に攻撃するのはルール違反だ。ではこれは野生のポケモンの襲撃? だけどあの子がわたしを指差した……。
――わからない。これはポケモンバトルなの?
考えをまとめるには、一瞬の時間は短すぎた。そしてわたしが「考えている暇はない」と結論を出すにはタイミングが遅すぎた。オーロットの長い木の枝の腕が、真っ黒な影を伸ばして飛んでくる。
――わからない。どうして? どうして? どうしてわたしなの?
「きゃああ!」
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