虹色に混ざりたい

 失敗してしまった、と思った。
 ここはグリトニルシティジムリーダー・ベリルさんとジムトレーナーのルーミィさん、そしてアオイさんとで飛び込んだ巣穴の中。奥に潜んでいたポケモンはあまりにも巨大で、最初は巣穴の中に小高い丘が聳えている異様な光景に圧倒された。その丘そのものが、カビゴンだと気づいた時には、すでにこのレイドバトルは始まっていた。
 全体的な戦況はまずまずといったところかもしれない。ベリルさんとルーミィさんは、さすが堅牢無比なはがねタイプポケモンのエキスパートだ。白金色のメタグロスも、青銅色のドータクンも、カビゴンの繰り出すわざを受けてなおどっしりと構える。カビゴンのノーマルタイプのわざがはがねタイプのポケモンには効果がいまひとつであることもあるけれど、それ以上に二匹が、お二人が固いのだ。
 ――お二人の守りがあれば、大丈夫。
 私はすっかりそう思いこんで、アザラインを前線に出しすぎた。
 「フクジュ!」
 カビゴンのダイアタックで地面が割れる。そのひびの中心にいたのは、アオイさんのワンパチ、フクジュさんだった。
 「アザライン、フクジュさんを……!」
 アザラインに庇ってもらおうと声を掛けてから、『しまった』と気づく。カビゴンに効果バツグンの『アームハンマー』を打ち込んだアザラインは、すばやさが下がってしまっているのだ。『ニトロチャージ』でスピードを取り戻そうとしてももう遅い。
 結局、フクジュさんは、地割れの衝撃に捕らわれてしまった。
 「フクジュ、大丈夫か!」
 アオイさんがバトルフィールドの中に駆け込む。危険を顧みずワンパチの小さな体の元へ寄ると、そっと抱えて戻ってきた。
 「アオイさん! 怪我はありませんか」
 「はい……! 何とか」
 わたしが声を掛けると、アオイさんは頷く。でも、その視線はフクジュさんに向いていた。無理もない、ぐったりと目を閉じるフクジュさんは見ていて痛々しいくらいだ。
 ――わたしが、もっとタイミングを計って『アームハンマー』を打っていれば。
 思わず唇を噛む。仮にもポケモンジムのジムトレーナーを任されている人間が、一般トレーナーのポケモンを傷つけることを許してしまうなんて。ポケモントレーナー達を育て、応援し、守るのが、ポケモンリーグのジムに任された仕事のはずだ。
 ぎゅっと、自然に両手を握りしめた時だった。
 「大丈夫。安心して後ろに控えているといい」
 重厚な声が、パイプオルガンのように洞窟内に反響した。ベリルさんの大きな体が、アオイさんとフクジュさんを守るようにして彼らの前に立った。
 「ぼくたちに任せなさい」
 アオイさん達に向けられた言葉が、わたしの耳を震わせる。するとベリルさんの胸元で、何かがカッと輝き出した。
 ――何?
 反射的に目をつぶろうとしてしまい、だけど慌てて細めるだけに留める。眩しい光――その色は、赤、青、緑……いえ、虹色。
 ぞくり、と背中が震えた。
 あれは――!?
 虹色の光が伸びて、ベリルさんのメタグロスに向かう。正確には、その身に着いた石飾りに。不思議な色の石だと思っていたけれど、そこからも光が伸びて、ベリルさんの光と合体する。
 やがて光はメタグロスを飲み込んだ。
 あれは、あれは一体……!?
 わたしにとって見たことのない虹色だった。だけど、この衝撃は体験したことがある。そう、カキョウ先生と初めてバトルして、初めて彼の極彩色を目の当たりにした時と同じくらいの衝撃だ。
あの時のカキョウ先生の色とはまた違う、ベリルさんの虹色。それに包まれたメタグロスは、やがて姿を再び現した。
 八本の太く屈強な脚。大きく光る、金色の十字。メタグロスは、まるで進化したように姿を変えてしまったのだ。
 わたしははっとした。この現象のことを、確かどこかで聞いたことがある。トレーナーとポケモンの絆がじゅうぶんに結ばれている時、バトルで起こす超常の現象。
 名前は確か、メガシンカ。
 「ルーミィくん、トニくん。きみたちはまだ戦えるね」
 「はい」
 「っあ……はい!」
 ベリルさんの落ち着いた声で呼ばれ、慌てて返答する。呼ばれるたびに背筋の伸びるような声音だ。
 ベリルさんは穏やかに頷いた。
 「ではチームプレーと行こう。ぼくに考えがある」
 ベリルさんの碧い瞳が、きらきらと輝く。その輝きを見て、わたしは悔しさも、衝撃も急いで振り払った。
 ――そうだわ、ここで止まってはいられない。早くフクジュさんを元気にするためにも、がんばらなくちゃ。
 わたしはベリルさんを見上げて、「はい」と大きく頷いた。

 コランダリーグのチャンピオンがベースキャンプに戻り、オーロットや黒いポケモン達は、ようやく猛攻を止めて森へ退いていった。辺りは凄惨な状況だ。あちこちでテントが剥がされたり、ポケモンの攻撃に使われた土木が散乱していたり。ケガをしたトレーナーやポケモン、それを助ける人々が右往左往して、みんなずっと落ち着かない。
 「なんとかなったのかしら」
「ああ。ようやく……終わったみたいだな」
 「ええ……」
 シーさんが首を傾げると、アオイさんが疲労からか溜息交じりに返答する。わたしも力なく頷いた。すると、するり、と頭から何かが滑る感触がする。
 「あら? ……あっ」
 頭から何かを脱いだわたしは、思わず声を上げてしまった。アオイさんが驚いた顔で、「どうした」とこちらを向く。わたしが両手に持ったのは、彼のジャケットだった。
「ア、アオイさん、ごめんなさい! しわになってしまいました……」
 わたしは慌ててジャケットを手で伸ばす。ポケモン達に襲われていたわたしを匿ってくれた、アオイさんのジャケット。いつの間にかその一部に、ひどくしわができてしまっていた。気づかないうちに握りしめすぎていたのだろうか。
 「ああ、どうしましょう……」
 「気にしなくていい。服なら洗濯なりアイロンなり、どうとでも直せる」
 「でも、ひとさまのお洋服ですのに……」
 わたしはどうにか、何とかしたくて言葉を探す。
 「アオイさん。もし上着に替えがあるのでしたら、こちらお預かりしてもよろしいでしょうか? お直ししてお返しします」
 「いや、そこまでしてもらわなくても」
 「いいえ。あちこち傷ついていますもの。お借りしたものを傷つけたまま、お返しするわけには……」
 わたしの申し出は自己満足かもしれない。アオイさんは困ったような顔をしていた。
 でも、このままアオイさんに迷惑を掛けて、それきりお別れするわけにもいかない。
 わたしはジムトレーナーだ。一般トレーナーに迷惑を掛けていい者じゃない。ベリルさんやルーミィさん――他のジムに所属するトレーナーに力を借りなければ、誰かを守ることもできず、かえって助けられてしまうような、まだまだ力不足のジムトレーナー。それが今のわたし。
 ――わたし、強くならなくちゃ。
『誰か一人が身を張り欠けるだなんて、護ることと離れた話だ』
 カビゴンとのレイドバトルで、ベリルさんがアオイさんに掛けた言葉が、わたしの耳に返ってくる。その通りだと、強く思う。
 虹色は、どれか一色でも欠けてしまえば虹にならない。
 けれど、だからこそ。欠けてしまわないように、周りの色に弱いところを埋めてもらう必要がないように、すべての色が等しく輝かなければならない。
そのためには、やっぱりわたしがもっと強くならなくちゃ。もし次に、ジムのみんなで戦うことがあってもいいように。グリトニルの皆さんだけではなくて、わたしのダグシティジムの皆さん――カキョウ先生やギセルさん、ハウンドさんとも並んで戦えるように。
 そして今は少しでも、誰かの手を煩わせることをしたくなかった。
 わたしはアオイさんのジャケットを畳み、こちらに引き寄せるでもアオイさんに差し出すでもなく、半端な位置に持って留める。
「無理にとは言いません。ですが、ダグシティジムトレーナーとして、お受けしたご恩はお返ししたいのです」

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