進化しない

 「ゴマ! 『あばれる』」
 ヴァオオオ!
 ノアが怒気を孕んだ声で命じるや否や、ボールから出てきた恐竜が咆哮を上げる。ガチゴラスはオレのブーバーン・ヘーゼルに向かって突進してきた。
 「ガチゴラスか……!」
 オレは思わず唇を噛んだ。ほのおタイプのヘーゼルにとって、いわ・ドラゴンタイプのガチゴラスは相性が悪いポケモンだ。いくらヘーゼルがバトル上手といっても、どこまで相手を止められるものかわからない……だけど、だからといって降参するわけにはいかない。
 「迎え撃てヘーゼル! 『きあいだま』だ!」
 オレは右手を突き出してヘーゼルに言う。ブーバーンはオレに合わせて右手を突き出し、
 ドン!
その掌の砲口からエネルギー弾を放った。
 「弾け!」
 ノアが空いた左腕を振る。ガチゴラスも『あばれる』の勢いのまま、ブンッと大きな尻尾を振った。バチン! とエネルギー弾が尻尾に当たって弾ける。直撃は直撃だが、急所じゃない。
 バシ! ガチゴラスの返す尾にヘーゼルの頬が巻き込まれる。
 「ヘーゼル! 『ほのおのパンチ』で『あばれる』を受けるんだ!」
  ブゥバ!
 間合いを詰められると、ヘーゼルは『きあいだま』の装填ができない。オレはガチゴラスがあばれ終えるまで、接近戦をやり過ごすことにした。
 ガツン、ゴツン! ガチゴラスの腕が、脚が、尾がヘーゼルを襲う。ヘーゼルは拳を燃やして腕を、脚を、尾を受ける。
 「アン姉」
 二匹の戦闘を見つめるオレのすぐそばで、ジュノが囁いた。
 「一瞬でいーよ。ノア兄からおれを隠して」
 「よしきた。何とかする」
 オレは戦闘から目を離さないまま答える。ノアが舌打ちするのが聞こえた。
 「なァにコソコソしてんだよ!」
 「わかってんだろ、お前を邪魔するための作戦だよ!」
 わざわざオレが言わなくたって、ノアにはわかりきっているはずの答えだ。そしてわざわざ言えばノアの火に油を注ぐこともオレにはわかっている。その上で注いだ。案の定、ノアの顔が歪む。
 「ッお前、マジ何なんだよ! 昔は一番俺にノッてきたくせに! 何で邪魔すっかなあ!?」
 「それがオレのお役目だからだよ! ヘーゼル!」
 ブゥ、バァン!
 ヘーゼルがガチゴラスの爪を受け流した。と、一瞬相手の動きが鈍る。『あばれる』が終わったんだ。
 「今だヘーゼル、距離を取れ!」
 「ゴマ! 逃がすな!」
 ノアの指示は、しかしガチゴラスに通らない。『あばれる』の反動でこんらんしているんだ。ヘーゼルは隙を逃さず後方に跳ぶ。
 「もう一度『きあいだま』だ!」
 バァン!
 今度は左腕で構えるヘーゼル。ノアがガチゴラスを呼んでいるが、もう遅い。
 ドッと発射された『きあいだま』が、今度こそガチゴラスの巨体に命中した。
 「……! ゴマ!」
 ノアが声を荒げる。昔からそうだ、ちょっと勝負が不利になるとすぐこれだ。
 「起きろゴマ! 『もろはのずつき』だ!」
 ヴァ……オ!
 ガチゴラスの目の焦点がはっきりする。『きあいだま』を食らって目が覚めたのか、ノアの声が届いたのか。恐竜は大ダメージを負いながら、なおもこちらに向かってくる。
 「来る前に倒そうヘーゼル! 『きあいだま』!」
 「避けろゴマ!」
 ヘーゼルはオレの指示を素早く聞いてくれたが、ノアの反応も速かった。ヘーゼルの撃った三発目の『きあいだま』は、ガチゴラスが走路をずらして空振りになる。元々『きあいだま』は発射までの隙が多く、軌道も一定だから避けられやすいわざだ。
 ゴッと鈍い音がして、ガチゴラスの頭がヘーゼルの顎を打った。
 「ヘーゼル!」
 オレが思っていたよりヘーゼルのよろけ方がすごい。しまった、『もろはのずつき』はいわタイプのわざ。ヘーゼルに効果はバツグンだ。一方ノアは、初めて唇を歪めて嗤った。
 「ハッ、そう何度も『きあいだま』が当たるかよ! ゴマ、連続で『もろはのずつき』!」
 ギャオオ!
 ガチゴラスが頭を振りかぶる。『もろはのずつき』は自分にも反動ダメージが入るはずなのに、相手はものともしていない。何かそういうとくせいを持っているんだろう。
 「ヘーゼル、拳を燃やせ! 『ほのおのパンチ』で受けろ!」
 身体の大きなヘーゼルは、間合いを詰められると相手の攻撃を避けきれない。だから接近戦は『ほのおのパンチ』で応じるのが彼の常套手段だ。が、ノアはそんなオレたちの戦い方をよく知っている。
 ゴッ、ガッ、ゴッ!
 「ヘーゼル……ッ!」
 『もろはのずつき』だってそんなに命中率は高くない。が、効果バツグンのわざを何度も受けてはヘーゼルもいつまでもつかわからない。『あばれる』と違って隙もできない状況、さあ、どうしよう……。
 オレの頬を汗が伝う。ノアはこちらを指差した。
 「ほらほら、俺の邪魔するとか何とかエラそうなこと言っといて、どうしたんだよアホアンジュ! やれるもんならやってみろよ! 俺より先にリーグで負けた奴がさあ!」
 「……ッ、まだ、そんな昔の話引きずってんのか……!」
 オレの声は呟きに等しいほど小さかったはずだった。が、ノアの地獄耳は恐ろしい。
 嗤っていた歪な顔が、今再び憤怒の形相を得た。
 「あぁ!? 誰のせいだと思ってんだよ! ガキの頃は俺より悪さを考えてたくせに!」
 「オレのせいにするな! 言っただろ、もうその頃とは違うんだ。オレはもうガキじゃない!」
 「だから何だよ!? そんなん理由にならねえよ!」
 「なる! もうオレたち、何でも通じ合うガキ同士じゃない。一人ずつ違う人間なんだ。オレはノアとは違うんだ!」
 「だから何だっつってんだよ!!」
 ノアの咆哮と共に、
 ゴッ
ガチゴラスがヘッドバットを決める。ヘーゼルは受けきれなかった。
 「ヘーゼル!」
 膝をつくヘーゼル。息も絶え絶えだ。ガチゴラスはとどめの一撃の号令を待っている。
 だが、号令を上げる当のノアは、オレの方を黒い目で真っ直ぐ睨みつけていた。
 「お前の言うこと、マジでわかんねえ! 前から言ってっけど、お前のそれ何なんだよ!? 『ノアとは違う』? 『ガキの頃とは違う』? 何も違わねえよ、お前はずっとアホアンジュのままだろが! 俺の片割れだろうが! 何も変わらねえくせに、イミわかんねえことばっか言いやがって、俺を置いていきやがって!! 何なんだよ、お前、何なんだよ!!」
 ノアの怒号が空気を震わす。オレの鼓膜をビリビリ揺らして、思わず後ずさりさせられそうになる。オレは拳を握りしめて、両足に力を込めて踏ん張った。
 心臓がバクバクと鳴る。ノアごときとのきょうだいゲンカなんて、これまで何度もやってきた。でも、こんなに緊張するのは初めてだ。
 だって、今回ばかりは絶対に負けられない。本当のことを言い合いながら、その上でアイツに勝たなくちゃ。

 ――ノアさんは、置いてきぼりにされたと思ってるのかな。
 昔、ナナハがオレにそう言った。
 ――寂しくてどこにも行けない感覚……クルールは、ノアくんの気持ちよく分かると思う。
 今日、イリーゼに化けたクルールがそう言った。
 ナナハ、クルール、ありがとう。キミ達が教えてくれたから、オレはアイツと向き合えるよ。
 なあ、ノア。
 かつてはへその緒で繋がっていた腹の内、今ここで割って話そうぜ。答え合わせといこう。

 「ノア。お前、寂しいのか」

 しん、と辺り一帯が静まり返る。
 オレも、ジュノも、ヘーゼルもガチゴラスも、女の子も動かない。女の子の隣のエーフィも、ノアの足元のアーモンドも。
 その場の全員が、時を止めてしまったノアに注意を向ける。そのノアは、口をぽかんと開けて、真っ黒な目を穴みたいに見開いて、そこに縫い留められたようだった。
 ――が、次の瞬間。
 「……うるっせえなあ!!」
 ノアの顔が、目が、真っ赤に燃え狂う。奴はガチゴラスに指差した。
 「ゴマ!!」
 号令のかかったガチゴラスが頭を振り上げる。
 「ヘーゼル、『かえんほうしゃ』!!」
 オレの指示にヘーゼルは何も言わず、すぐに従ってくれた。紅蓮の炎がガチゴラスを、その場の空気ごと包み込む。
 しかし、岩の恐竜にほのおタイプのわざはいまひとつ。ガチゴラスの石頭は、火炎の勢いを押し切った。
 ガツン!
 頭突きをもろに受けるヘーゼル。その巨体は、炎を吹きながら倒れゆく。覚悟していた結果だ、オレはモンスターボールをすぐに構えた。
 「ヘーゼル、ありがとう!」
 彼が地に倒れ伏す前に、ボールから発射された光線がブーバーンの身を包んでボールへ引き戻した。ノアの方は、こちらを射殺すような目つきで真っ直ぐ睨んでいる。
 「お前ホンットうぜえ、今そんなん関係ねえだろが!!」
 「関係ある! 結局はノア、お前置いていかれたくなかったんだろ、オレに! それでキレてんだろ!」
 「わかってんなら、最初ッからイミわかんねえことすんなっつっんだよ!」
 「イミわかんねえのはテメエだよ!!」
 オレはボールを持ち変える。ヘーゼルが倒れた今、頼れるメンバーはわずかだ。
 それでも。
 「ココ! 『ハイドロカノン』!!」
 投げたボールが割れた瞬間、カメックスが両肩のロケット砲から激流を噴射する。ブーバーンの炎で熱された空気が急に冷えて、シュワーッと白い蒸気が立ち込めた。
 「イミわかんねえのはテメエだよ、ノア! 何でそんなに昔っからお前だけ変わんないんだ!」
 「テメエだって変わんねえだろが!」
 「オレはさあ!!」
 ノアの姿が白い霧状の煙に紛れて見えなくなる。たぶん、向こうも同じだ。
 オレは霧の中で、霧の向こうに向かって声を張り上げた。
 「オレはさあ、ノア! オレは変わりたかったんだ! だから変わった! 『青いノア』じゃなくて、『双子の青い方』じゃなくて、『アンジュ』になりたかったんだ!」
 「それがわかんねえっつってんだよ! お前は最初っからアンジュだろうが!」
 「聞けよバカノア!!」
霧の向こうが刹那の間押し黙る。オレは息を吸った。
「お前はさ! 昔から何をするにもオレ達の先頭にいてさ! いつもバカほど明るくて、お調子者で、みんなのこと巻き込んで、何かやるのはいつもお前が最初だった!」
 そうさ。イタズラを考えるのはオレだったけど、そもそもイタズラをしようと言い出すのはノアの方だった。
 イタズラだけじゃない。七年前、あの運命の合宿のポスターを最初に見つけたのも、バトル大会に出ようと言い出したのも。全部全部、ノアなんだ。
 「喧嘩っ早くて、すぐに手が出て! でもお前は自分より弱い奴には手を出さなかった! 自分より強い奴にはめちゃくちゃ噛みついた!」
 オレとはすぐ喧嘩するくせ、ジュノにはカッコつけたがった。
 照れ臭いくせにコトキちゃんを背負って、コテージまで送ってやっていた。
 何度でも、何度でも、オレが諦めかけたとしても、リーグ挑戦を諦めなかった。
 「オレは……ボクは!! お前のそういう、ボクにできないところをボクのそばで平気でやってのけるとこ!! カッコよくて、大ッ嫌いだよ!!」
 そう、ボクに『ノア』はできないんだ。
 マキナが怯えていた時、助けてやれなかった。
 ポケモンリーグだって、第一回戦で敗退した。
 「ボクはあの合宿で、ずっと『双子のどっちか』だった! 周りもお前もボクとお前が一緒に見えてたろうけど、そうじゃなかった! お前にできてもボクにできないことなんていっぱいある! それなのにお前がボクに合わせちゃ、お前もボクも進めない! だからボクは、お前から離れたんだ! お前がいなくてもできることを探すために!」
 「――わかんねえ。だから何?」
 霧の向こうから、声が帰ってくる。低くなってしまった、七年前とは違うノアの声が。
 「だから? だから何で離れる必要があんの? 別に一緒にいたってできることは探せるだろ? 何で一緒にいちゃダメ? 何で俺がお前に合わせちゃダメ? 俺を置いてく必要って何?」
 迫りくる火のように責めたてる声がそう言った時。
 霧がわずかに晴れて、倒れているガチゴラスが見えて。その向こうでポケモンを戻すためのボールを突き出しながら、こちらを睨むノアの黒い目と視線が合って、
 「――先にボクを置いてったのはお前だよ、ノア」
オレは確かにカチンときた。そして同時に、腑に落ちた。
 そうか。ノアは昔から子どものまま変わらないんじゃない。
 ノアは昔から『ノア』として、もうできあがっていただけなんだ。
 「寂しかったぜ。お前はどうだ」
 オレの口を突いて出た言葉に、ノアは完全に気を取られる。だから奴のそばで霧が揺らめいたことに、奴の気づくのが一瞬遅れた。
 ヌッと黒い手が霧から伸びた。ノアと女の子の繋いだ手に向かって。
 「!」
 先に気づいたのは女の子で、彼女の動揺でノアが我に返る。黒い手の主はそのまま、女の子の手首を目指した。
 「ジュノ! テメ……!」
 ノアは目を見開いて、目の前の弟とオレの隣を見比べた。オレもつられて左に視線をよこすと、そこにいたはずのジュノがいつの間にか黒い狐のポケモンになっている。いや、逆か。この狐のポケモンの技か何かで、この子がジュノになっていたんだ。ジュノが言っていた通り、本当に一瞬――白い蒸気でノアからジュノを隠した間に。
 本物のジュノの指先が女の子の手首に触れる。ノアがギリと歯ぎしりして、
 「コトキ!!」
思いっきり彼女の手を引いた。
 ――えっ? コトキちゃん?
 オレはびっくりして女の子を見る。だって彼女は、オレの記憶にある姿と全然違った。長い黒髪はばっさりと短くなっていて、彩り豊かだったワンピース姿も真っ黒なタイトスカート姿に変わっている。何より――オレ達との別れ際、あんなに輝いていた瞳が、今やあんなに真っ黒だ。
 だが、
 「いた……ッ」
『コトキちゃん』が微かに……本当に微かに声を上げた時。
 ノアは、あんなに強く握っていた手を、びくりと揺らして緩めた。

 瞬間、オレは確信した。あの子はコトキちゃんだと。
 だってノア、そうだよな。お前はそういう奴だもんな。

 お前自身は思わずって感じでびっくりしてるけど。
 そうやって、最後の最後に『泣かさない』ことを外さない奴だよ。

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