紅茶はないがほうじ茶はある
ダイマックスという、いまだ聞き慣れていない言葉を耳にして、マサギの反応がやや遅れた。
「……ええ」
マサギが短く答えた相手はマンションの新しい入居者である青年、スコープである。先ほど挨拶して別れたばかりだが、8階の自分の部屋から1階のマサギの部屋まで追いかけてきたらしい。
スコープはマサギの返答を聞いて口を開いた。
「よかったら、今からでも少しは話せるんだけど。どうかな」
「いいんすか? お引越ししたばかりで忙しくは?」
スコープに尋ねたところ、大丈夫だとすぐに返ってくる。そういうことなら、とマサギは扉を大きく開けた。
「こんなとこで立ち話もなんです、どうぞ」
マサギの部屋はモノが少ない。仕事柄あまり家に長くいないのと、マサギ自身家に多くを置く性格ではないのと、ポケモン達が安全に過ごせるようにモノを置かないのが理由だ。
来客用のソファやテーブルはない。そんなわけで、マサギはスコープをダイニングテーブルに通してその椅子に座ってもらった。
「すんません、ガラルの方なら紅茶の方がいいすか。ウチ、全然そういうのなくて」
「いや、大丈夫。おかまいなく」
スコープが手を振って許可してくれたので、マサギはほうじ茶を淹れる。
お湯を沸かしていると、リビングの方からポケモンの鳴き声が数種類聞こえてきた。と、間髪入れずにキッチンに、ヒトカゲのりりんとリザードのりすけがやって来る。
かげ~
ぎゃうぎゃう
「ああ、すまん。びっくりしたな。大丈夫、俺のお客さんだ」
どうやら別の部屋で遊んでいた2匹が、見知らぬ人間とポケモンの来訪に気づいて駆け込んできたらしい。マサギは2匹を順番に撫でてから、ほうじ茶のカップを2つ持ってリビングに戻った。
「シャンタルさん、すんません。こっちの2匹が騒いじゃって」
「気にしないで。ヒトカゲとその進化形が揃ってるんだね。好きなの?」
「うす。揃っているのはたまたますけど。ヒトカゲがりりん、リザードがりすけって言います。お前達、挨拶だ」
かげーっ
ぎゃーう
りりんとりすけがマサギの足元で、口を大きく開けて鳴く。するとスコープのメッソン、アイジがスコープの肩から降りて2匹の前に立った。3匹揃ってぎゃうぎゃう、うぉううぉうと話している。
「俺の部屋ではりきちが寝てるから、そっちじゃない方で遊んでくるといい。アイジ君と仲良くな」
マサギが言うとほのおタイプのトカゲ2匹は元気よく返事して、水トカゲを連れていった。その様子を見ていたスコープが、ほうじ茶を啜りながら口を開く。
「元気だねえ」
「うす、きょうだいみたいなもんです。……それで、シャンタルさん」
マサギはスコープに向き直った。
「さっき、ダイマックスに興味があるか、俺に聞きましたよね。あれは……」
「ああ、いや、僕がガラル出身だって言ったら、ガラルの話が聞きたいって言ってたからさ。ガラル特有の話って言うと、おおむねダイマックスのことかなって」
違ったかな、と首を傾げるスコープに、マサギは首を振った。
「いえ、まさにそのダイマックスについてお聞きしたいです。少し……その、仕事柄、ダイマックスのことを知りたくて」
自分の任務はもちろんおいそれと他者に話すわけにいかないので、マサギはキョダイリザードンのことを何とかかわす。スコープはふうんと返した。
「いいよ。僕が知っていることでよければ教えてあげる。まあ、そもそもガラルのダイマックス研究の第一人者ですら不明な点が多いって言ってるような、そんなわからないことだらけの現象だけど」
「いえ、助かります。ありがとうございます」
渡りに船とはこのことだ。マサギはスコープの返答に嬉しくなった。
「本当にダイマックスについても、ガラル地方についても、恥ずかしながら何も知りません。基本的なことばかり聞いてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします」
「――とりあえず、僕の知っていることはこのくらいかな」
話しだしてから小一時間ほど経った辺りで、スコープは言葉を締めくくった。マサギはメモを取りきってから、ペンをテーブルに置く。
「わかりました。シャンタルさん、ありがとうございます。とても勉強になりました」
マサギはメモに目を落として、スコープの知識の多さに感心した。ダイマックスの要素であるガラル粒子のこと、その粒子の放出量の多い地にポイントを合わせて造られたガラル地方のポケモンスタジアム。ガラルの人々は観客としてはダイマックスを目にする機会が多いが、実際にポケモンをダイマックスできるのはポケモンリーグ委員会に認められた、選ばれしトレーナー達だけだということ。さらにキョダイマックスは一部のポケモン達だけが突然変異的に起こす貴重な現象だとスコープは話した。
――なるほど、ポケモンハンターがつけ狙うわけだ。
そうは考えたが口には出さず、マサギは頭を下げた。
「お引越ししたばかりでお忙しいはずなのに、すんませんでした。何か、俺にできることがあれば、ぜひお礼させてください」
「そんなに大したことはしてないよ。……ああでも、そうだ」
スコープが最後の一口を飲み終えて、カップを置く。
「答えたくなかったら、答えなくていいけど。何かあったのかなって」
「……? 何か、とは」
「マンションの管理人さんと」
ピクリ、とカップに添えたマサギの手が動いた。
――初対面の人に言われるほど、そんなにおかしな様子だったか。
マサギは少し考えてから、ゆっくり口を開いた。
「……いえ。管理人さんは良いひとです。何もありません」
「そう?」
「はい。……ただ」
マサギは、まっすぐスコープを見る。ただ? と聞き返すスコープに、言葉を考えながら返した。
「見ての通り……あのひとは……あの子は、優しくて、俺達マンションの住人にとてもよくしてくれます。だから……管理人さんと、仲良くしてほしいす」
できればあの子が、ひとりで何かを抱えることのないように……とまでは、口に出しては言わなかったが。
「管理人さんとも、いろいろお話してください。今日、俺と話してくれたように」
「アイジ、帰るよ」
スコープが呼ぶと、アイジが部屋から跳ねて出てきた。メッソンを肩に乗せたスコープは、じゃあ、と言ってドアノブに手を掛ける。
「お邪魔しました」
「いえ、とんでもない。今日はありがとうございました」
「また何か聞きたければ話すよ」
「うす」
部屋を出て行くスコープに、りりんとりすけが手を振る。どうやらこの火トカゲ達も、アイジと遊んで仲良くなったらしい。
「りりん、りすけ、よかったな。友達が増えて」
かげかげ!
ぎゃう!
にっこりとばくはつスマイルを見せる2匹に、マサギも微笑んだ。
「りきちがさっき、アイジ君とバトルする約束をしてた。お前達もしたのか?」
そう言った途端、満足げだった2匹の顔が、えーっと驚愕の表情になった。どうやら2匹は約束していないらしい。
かーげかげ!
ぎゃうぎゃうー!
マサギの足にまとわりついて騒ぎ出す2匹。さしずめ、りきちだけズルい、自分達もバトルの約束したかった、と言いたいのだろうか。
「ふ、わかったわかった。お前達も今度約束すればいいだろう」
マサギは無邪気な2匹に笑いながら、102号室のドアを閉めた。
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