ガラスの靴

 それは、少し前のトライポカロンから見かけるようになった。
 すべてのパフォーマンス、審査、表彰を終えた後。ポケモンパフォーマー達は優勝を競いあうライバルから、互いの健闘を労いあう同志に戻る。その日もオレや出演者のプリンセス達は、控え室で大会中の演出について話に花を咲かせながら、各々の変身を解いていた。
 すると、コンコンとスタッフが扉を叩く。「失礼します」の一声とともに、彼女はオレ達パフォーマー宛てにファンから届いたプレゼントや、関係者からの差し入れを運び込んできてくれた。中身は花や手紙、安全性が確保されたアクセサリー類だ。
 プリンセス達の名前を呼んで、おくりものを渡してゆくスタッフ。その声が、
 「アンジュさ~ん! また届きましたよ、『白鳥の王子』から」
そんな風に後ろから呼ぶものだから、オレは危うくマスカラを落とすところだった。対照的に、両隣の鏡を使っていたプリンセス二人がキャーッと黄色い声を上げる。
 「アンジュ! 早く取りに行きなよ!」
 「そうだよ~、見せて見せて~!」
 「……プリンセス達、キミ達宛てでもないのに嬉しそうだね……」
 何とか頬を持ち上げて苦笑いしつつ、オレは辛くも落下を逃れたマスカラをしまって立ち上がる。とっとと出入り口まで歩き、封筒を差し出す女性スタッフを小突いた。
 「こら、いたずらっ子め。プリンセス達のマネして変な呼び方を使うんじゃないよ」
 「だって、差出人のお名前がわからないんですもん。本当なら、差出人不明のプレゼントは何が入っているかわからないから、お渡しできないんですよ」
 スタッフは一ミリも悪びれていなさそうな顔でしれっと言う。勝手についたあだ名で便宜的に呼べば渡してもいいだろうという主張だ。オレは肩をすくめた。
 「わかったよ。元々、そこんところをオレの方が無理言って、受け取らせてもらってるんだもんな。でも、あんなに大声で呼ばなくてもいいんじゃないか」
 腰に手を当ててじとっと見てやると、スタッフはペロッと舌を出した。
 「いや~、だって見たいじゃないですか。プリンス・アンジュの貴重な照れ顔」
 「あのね……」
 自分でもわかるくらい、チーゴの実を噛み潰したように頬が歪む。振り返らずとも背後のプリンセス達が余計にそわそわしている気配を感じて、オレは早々に封筒を二本指で受け取った。毎度のことながら軽い――あまりにも軽い封筒だ。
 宛名、つまりオレの名前しか書かれていない封筒。それでもオレは、何となくこの送り主の予想をつけている。
 だってオレの知っている限り、こんなにもオレ以上にキザったらしいことをする奴なんて、一人しかいないんだから。

 「は!? オメーらステージに参加すんの!?」
 荘厳で華やかなイブニング・パーティーにおよそ似合わない、ノアのうるさい大声。その音量に、オレとジュノの身体が同角度でやや傾く。コイツ、何で昼間あんなに騒いだのにまだ元気なんだろう。まだ子どもだからかな。
 キーンとする耳鳴りを抑えながら、オレはじとっと返してやった。
 「うるさいな、参加するけどそれが何だよ」
 「聞いてねえんだけど!?」
 「言ってないからな」
 「ハァ~!? このノア様を差し置いて!? お前らだけ!? あんな楽しそうなトコ登るの!? ホンットそういうトコがムカつくんだよアホアンジュ!!」
 「ノア兄、まだステージ参加は受け付けてるから……」
 優しいジュノがアドバイスすると、ノアは「それを先に言えよ!」と叫ぶ。
 「こうしちゃいらんねえ、このポケチューバーノヴァ様が参加しないワケにいかねえだろ! 行くぞアーモンド!!」
 ふぃ!?
 走り出すノアに置いていかれて触角をピッと跳ね上げたのは、ノアのパートナー……ニンフィアのアーモンドだ。昼間の運動会ではポケモンセンターで回復中だったので、今日顔を合わせるのはこれが初めてだった。聞けば自分の触角を踏んづけて転び、足を捻挫していたとか。必死ながらも軽やかにノアを追い始める足取りからして、もうすっかり元気になったらしい。よかったよかった。
 「配信禁止なのわかってんだろうな!? 参加締切ギリギリだから、できなくっても文句言うなよー!!」
 オレは嵐のように去っていくノアの背中に向けて、手をメガホンにして呼びかける。聞こえているのかわからなかったが、まあ、アーモンドがいるから何とかなるだろう。オレとジュノの足元では、パートナーのカシューとイチゴも『大変そうだなあ』と呆れた顔をしてアーモンドを見送っている。
 「ったくアイツ、アーモンドが進化してからも苦労かけさせやがって……」
 「ホント変わんないねー、ノア兄」
 オレがため息を吐きながら言うと、ジュノがそう返して笑った。月のように落ち着いた微笑みは、兄であるノアよりも大人びている。ちょっと見ない間に身も心も成長したと思っていた弟だけど、今はパーティーに合わせた盛装がさらに大人っぽさを上げている気がした。ノアと兄弟順を逆に間違えられても、ノアは文句を言えまい。言うと思うけど、アイツの性格上。
 「それにしてもジュノ、お前もイルミネイト・ステージに参加するとはオレも予想外だったよ。お前、今は顔出し無しで配信してるんじゃなかったか?」
 「うん、まーね。でも今日はホラ、アン姉も言ったとーり、配信はないし」
 ジュノは今、顔を出さずに音楽配信活動をしている。ポケモンパフォーマーのオレ、ポケチューバーのノアとはまた違う方向性だが、エンターテイナーという意味ではきょうだい全員、似たことをしているわけだ。
 「これでアイツもステージに出ることになったら、きょうだい全員参加か。あのバカ、変なことをステージでしなきゃいいけど……お?」
 話の途中で何気なく目をやった先に、昼間見かけた顔があった。短い黒髪に褐色肌の男と、緑色のワンピースドレスに身を包んだ少女。確か、ビーチバレーをしていたオレや対戦相手のセンカを応援してくれていた気がする。男の隣には赤いネクタイを締めたガオガエン、少女の肩には黄色いリボンを頭に結んだアマカジがいた。
 ジュノに「悪い」と声を掛けてから、オレは彼とオレ達それぞれのパートナーを引き連れて、二人に近づく。
 「こんばんは、プリンスにプリンセス! 昼間は応援ありがとう」
 ひらりと手を振りながら声を張ると、男女はすぐに振り向いた。そして、
「おお、キミは昼間のビーチバレー選手! 白熱した勝負だったな、見ていて楽しかったぞ!」
 「こんばんは! 素敵な試合だったねえ」
男の方が白い歯を見せて笑い、応援の時と同じくらい大きな声で応える。少女の方も、花が咲いたようにふわりと笑った。
 「うん、オレも楽しかったぜ。ずっと応援のお礼を言おうと思ってたんだ。ここにいるってことは、キミ達も八年前の新人トレーナー合宿にいたんだよな?」
 「おう! 俺はエモリマサヨシ、こっちはワカバだ。そっちは――」
 「アン姉、アン姉」
 マサヨシと名乗る男に応じてこちらも自己紹介しようとした矢先、ジュノが控えめに口をオレの耳元へ寄せる。
 「この人、ジャスティスレッドじゃない?」
 「ジャスティスレッド?」
 しまった、突然出てきた謎のワードに声量調整が間に合わなかった。小声でジュノに聞き返すはずが、目の前の二人にまで聞こえる大きさでオウムがえししてしまう。が、マサヨシはオレより先にそのワードに反応した。
 「キミ、昔の俺のことを知っているのか!? 懐かしいな。いかにも俺は八年前、合宿で『ジャスティスレッド』を名乗っていた」
 まさかのコイツがジャスティスレッド。いやその前にジャスティスレッドって何だ。
 ……いや待てよ。どこかで聞いたことがあるぞ。ジャスティスレッド、ジャスティスレッド……
「あ!! 思い出した、ノアがレッドの座を執拗に狙ってた奴だ!!」
 謎のワードが出てくるのが突然なら、その正体を思い出すのも突然。オレは目の前の男が、八年前にオレ達きょうだいをヒーローごっこに巻き込んだ、ジャスティスレッドことマサヨシであることをようやく思い出した。
 「む、そういうキミは」
 「オレはアレだよ、えーとホラ……。ジャスティス……何だっけ、何とかブルー……。双子の片割れでさ、もう片方が何とかレッド。弟……コイツが何とかイエロー」
 青、赤、黄。当時着ていたジャケットの色から付けられたのであろうオレ達の二つ名は、うろ覚えでも充分記憶の覚醒剤になったらしい。マサヨシは「おお!」と目を輝かせた。
 「もしやキミはコバルトブルー! そしてキミはサルファーイエローか!」
 「そうそう、そうだったそんな名前だった。ジュノもよく覚えてたな」
 「まーね」
 オレの言葉に、マサヨシも頷いて同意する。
 「うむ、覚えていてくれて嬉しいぞ、サルファーイエロー。コバルトブルー、クリムゾンレッドは一緒じゃないのか?」
 「ノア? ああ、アイツはステージ参加の手続きに行ってる。あんまり会わない方がいいぜ、アイツたぶんまだレッドの称号狙ってるから」
 「ははは! 残念ながらそれはまだ譲れないな! しかし、キミ達はずいぶん印象が変わったな」
 マサヨシは感心したように、オレ達を頭の先から爪先まで見る。それはまあ彼の言うとおりだろう。特に、青いジャケットにズボンを穿いていた姿から一転、黒いドレスを纏い、アクセサリーで飾ったオレについては。
 「へへ、そうだろ? 悪いなレッド、今晩のオレはコバルトブルーじゃなくてサンドリヨンなんだ。タイムリミットはステージ登壇だぜ」
 「む、キミもあのステージに上がるのか! それは楽しみだ」
 「おう。プリンセスと二人で楽しみにしててくれよ」
 そう言って、ワカバと紹介された少女とマサヨシ、二人に向かってウインク。するとその反応を見る前に、
 「アンジュ!」
後ろからオレの名を呼ぶ声がした。見ると、緑色の髪を揺らしながら、オレのよく知る少女が金色のきつねポケモンとともにやってくる。
 「ナナハ!」
 「あっ、ナナハちゃん!」
 オレとワカバが同時に声を上げた。ナナハとワカバ、知り合いなのか。世間は狭いな。
 ナナハの方も「ワカバさんも来てたのね」と寸の間微笑んだが、しかしその笑みはすぐに焦り顔に変わった。昔からちょくちょく見かける、ナナハの特徴的な困り顔だ。
 「アンジュ、よかった! 昼間は合流できなかったから」
 「ああ。会おうって連絡取り合ってたのにな。まあでも、今会えてよかったよ。そんなに急いでどうしたんだ?」
 「ひとを探しているの。青いドレスを着た金髪の女の子を知らない? 赤と緑の目をした……」
 ナナハの問いに瞬きをしてから、ジュノにも視線で聞いてみる。弟は首を小さく振った。
 「ごめんな、オレも弟も見てないや。レッド……じゃなくてマサヨシとワカバは?」
 「いや、見てないな」
 「わたしも……ごめんね、ナナハちゃん」
 申し訳なさそうなワカバの言葉に、ナナハは慌てて首と手を振る。
 「ううん! こんなに人がいっぱいいるんだもの、気にしないでください。もし見かけたら、教えてくれると嬉しいな」
 「ああ、わかった。オレもちょっと探しものしてるんだ、ついでに引き受けとくよ」
 「アン姉は何を探してるの?」
 ジュノがちょっと驚いたように目を丸くして聞いてくる。この子にも言ってなかったことだから、まあ驚いて当然だ。
 オレはジュノにウインクして答えた。
 「ガラスの靴さ」

 ナナハが人探しに戻り、オレ達もマサヨシ・ワカバと別れてしばらくしてから、オレとジュノも一旦別行動を取ることにした。何せ八年ぶりに訪れるレイメイの丘なんだ。ジュノにも再会したい友達はいるだろう。オレもオレで、探している人はたくさんいる。そろそろコトキちゃんとノエちゃんの衣装も着付けが終わった頃だろうし――ステージ参加受付のために、オレとジュノで先に会場に入らせてもらった――、半年前のメモフェスでできた友達とも会いたい。
 みんな、どんな風に自分やパートナーを飾っているかな。今のオレを見て、オレだとわかるかな。
 ――昼間に会えなかった奴らも、今なら会えるかな。
 遊園地を巡り歩いていると、ふわりと夜風が耳元を撫でた。右耳に掛けたイヤーカフの羽根飾りが揺れる。スワンナの羽根でできているという、薄青と白のそれ。羽根より軽いなんて言葉があるが、このイヤーカフはそれなりに重い。風が吹くたびに、揺れてその存在感をオレに知らしめる。
 何でこのイヤーカフは、オレの耳にあるんだろう。これをオレに送った奴の真意が、オレには結局わかっていない。知りたい気もするし、知りたくない気もする。なんなら、全然何も意味なんてないのかもしれない。でも、アイツが考えなしに贈ってくるとも思えない。
 この一年間、イヤーカフが風に揺れるたびに、そんな疑問がぐるぐるとオレの頭を巡っている。
 ――いい加減、何とかしたい。
 だからオレは、ここに来たんだ。
 ふぃあ
 カシューが一声鳴いて立ち止まった。彼の視線を追ったオレは、一瞬息を止めた。
 ――いた。
 二人組。優しい色合いのブロンドの男女。赤と碧、対の瞳。……いや、男の方は赤を前髪で隠している。
 昼の月のような白いワンピースの女性と、夜の空のような濃紺のタキシードの男性。お互いの色をあしらったリボン。それぞれの隣には、同じ色合いのニャオニクス達と、オレの知らないポケモン。
 揃いの衣装に、そっくりな顔立ち。並び立つその姿。
 額縁に入った絵のように、完璧な構図だ。
 ――ああ、よかった。ちゃんと、『ケリ』をつけたんだな。
 オレは確かに安心した。目の前の絵画に、感動といってもいいほど心が震えるのがわかった。溜息が出るくらい、その光景は美しくて、その光景に安心して。
 ……だから、胸が締め付けられるような痛みを覚える資格なんて、オレにはない。
 カシューがオレを見上げる。「行かないのか」と聞いているらしい。そう、彼と彼女は確かにオレが探していた人々のうちの二人だ。
 ……行かなきゃ。あの完成された絵の中にオレが入っていいわけはないけど。
 それでも、返してもらわないといけないものがある。
 オレは一つ深呼吸してから、ヒールのないパンプスを踏み出した。
 「オルボワール、ムッシュー、マドモアゼル。久しぶりだな」
 パフォーマンス用の声音で震えを隠し、はっきりと呼びかける。二人は同時にこちらに気が付いた。
 「オレがどっちか、わかるかい」
 

 一年前のこと、忘れたなんて言わせないぜ。オレの大事なガラスの靴を盗みやがって。
 返してもらおうか、白鳥の王子。

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