決意とかお返しとか
——3月某日、ポケモンレンジャー本部にて。
「——ということで、先月出現した謎の『穴』についての情報は以上だ。各自参考の上、関連情報や類似の目撃情報を入手したらすぐに報告するように」
「了解!」
レンジャー隊長の締めの言葉に、マサギは周りの隊員より一際大きな声で返答した。夕刻に連絡会があるのはたまにあることだが、今日の連絡内容はいつもより多い。それでもマサギは徹頭徹尾、背筋を伸ばして真剣に聞いていた。
なぜなら、この連絡内容がマサギにとって他人事ではないからだ。
「それでは解散!」の掛け声に合わせて他の隊員が持ち場に戻る中、マサギは配布された資料に目を落とす。そこには解像度の低い写真が載っている——薄暗い空に歪な『穴』が開いている奇妙な写真。『穴』の下には、マサギのよく知る建物……彼の入居先のマンションが写っている。
「マサ、どうした」
写真に気を取られていると、隊長が声を掛けてきた。マサギは首を振って顔を上げる。
「……いえ」
「そうか? まあ、そりゃあ気になるだろうな。自宅上空にこんな異常現象が起きたのだから。正体不明で解析も進行中、情報も少ない謎の現象……戸惑うのも無理はない」
隊長はマサギの肩に手を置き、唇を引き締める。
「だが、我々はポケモンレンジャーだ。我々が不安になっていてはならん。お前がこのマンションの入居者と懇意であれば、マサ、お前が率先して入居者を安心させるんだぞ」
「うす」
隊長の言葉に、マサギは即答で頷いた。心の底から隊長の言うとおりだと思う。
自分はポケモンレンジャーだ。何が起きても、あのマンションの人々は自分が守る。
マサギは決心を固めると、「失礼します」と一礼してその場を去った。
今日は夜勤がないので帰ろうとすると、同僚に声を掛けられた。曰く、女子隊員一同から贈られたバレンタインのお返しの買い出しに付き合えとのことである。毎年誰かが男子隊員一同を代表して買い出しに行かねばならないのだが、そういえば先週、その当番を決めるくじを引かされた気がする。
「マサ、お前忘れてただろ。今年のホワイトデー当番」
「……うす」
正直『穴』のことで頭がいっぱいだったマサギは、マンションに一刻も早く帰りたい気持ちを抑えて部隊内の人間関係を優先させることにした。
同僚とともに男2人、ロードバイクで駅前のデパートへ。ホワイトデーフェアのフロアに立てば、そこは甘ったるい匂いとあらゆる年代層の人々でごった返していた。
「うひゃー、めちゃくちゃ混んでるな! とっとと買って帰ろうぜ~」
「うす」
目標は出来る限り低予算、質より量——尚且つ女子隊員から怒りを買わない程度に美味しいものを買うこと。それは2人とも認識していたが、何せ洋菓子、しかもこうしたギフト用の菓子に普段縁のない2人にとってその目標達成はかなり難しいものだった。
「なあマサ、何でバレンタインはチョコしか選択肢がないのにホワイトデーはこんなに菓子の種類があるんだろな」
「さあ……」
「バレンタインと同じでチョコだけ売ってくれりゃ、選択肢が絞れて楽なのにな」
「そっすね」
チョコレート菓子の中でもさらに種類が分かれるのがバレンタインだが、その区別がつかないのは彼らが普段チョコレートに無縁だからである。
……いや、マサギに関しては縁がないといえば嘘になる。彼はふいに先月の出来事を思い出した。『穴』の出現を惜しくも見逃した後、玄関まで戻ったマサギは、ドアノブに引っ掛かっていた紙袋を見つけたのだ。
「すんません、ついでに私用の分も買っていいすか。勿論自分で出すんで」
「えっ……えっ!? マサ、もらったの!? 仕事以外で!?」
「うす。マンションの管理人さんに」
そう返事した途端、同僚が目に見えてホッとした表情を浮かべる。
「なんだ、それじゃ義理か。ビックリさせんなよ、マサにカノジョができたかと思って焦っただろ~」
「違います」
何の感情もなくぴしゃりと言い放つマサギ。するとその時、脇にあったショーケースが目に入った。その中には、色とりどりのカップケーキ状のお菓子が並んでいる。ポケモンも人間も食べられるお菓子、ポフレだ。
——そういえば管理人さんがくれたチョコは、ポケモンも食べられるやつだったな。
『フォンダンショコラ』という名称は覚えられなかったが、マサギはマンションの管理人……イオが作ってくれたそのお菓子を、手持ち3匹と食べたのを覚えていた。
それを思い出すや、後は決まるのが早かった。
「すんません、ポフレ2つ……色ですか、ええと……そこの緑のを2つで」
ポフレを買い、無事に女子隊員たちへのお返し(クッキー2缶)も確保したマサギ達は、デパート前で解散した。
「じゃあマサ、その中身割らないようにな。明日絶対持ってきてくれよ~」
「うす」
ジャンケンでお返しのクッキーを運搬する係になったマサギは、同僚を見送った後、モンスターボールからりきちを呼び出す。
「悪いな、ロードバイクだと揺れて菓子が崩れると思ったんだ。乗せてくれ」
がう
りきちの快諾を得てその背に乗り、あっという間に空に舞い上がる。日が沈んでからだいぶ経つが、夜風はまだ冷え切っていない。すっかり春の空気になっていた。
——管理人さんを乗せた時は、あんなに寒かったのにな。
夜の春風を感じながらマサギは思った。彼は秋に一度、イオとそのパートナー・シオンとともに、りきちに乗ってマンションまで帰ったことがある。
あの時マンションから見た空は、秋の夕暮れに照らされて、それは美しかった。……その一部に歪な『穴』が開くことになるだなんて、予想もできなかった。
「あんな現象、二度と起きなければいいが」
マサギは実際に『穴』を見たわけではないが、それがどんなに奇妙で、見た者を不安にさせるかは知っている。その時『穴』を見たらしいイオは「何でもない」と笑っていたが、その笑顔も心からのものではなかった。
二度と、あんな不安そうな顔をさせるまい。そう考えるマサギが空の帰路を選んだのは、またもし『穴』が現れた時、すぐに発見できるようにと考えたからである。
——管理人さんには……いや、あのマンションの皆には、安心して過ごしてほしい。
「そのために、気を引き締めないと……なあ、りきち」
グオンッ
相棒の首を撫でて呼べば、りきちは力強く答えてくれた。
それに頷いたマサギは、再び前を向いて帰る先の空を見つめた。
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