ガラスの靴はオレのものじゃない

 ――それはまだ、アンジュがトライポカロンを始めて間もない頃のこと。
 「……うーん……やっぱり似合わねえ」
 鏡の中の自分を覗いて、アンジュは乾いた笑い声を上げた。普段なら旅の同行者であるナナハが「そんなことないよ!」と気遣ってくれるのだが、あいにく今は午後10時過ぎ、当のナナハはすでに寝静まっている。
 連れの少女を起こさないように宿泊部屋を暗くしたままで、アンジュはひとり、トライポカロンの衣装をあれこれ吟味していた。
 アンジュのパフォーマンスの成績はまずまずだ。運動神経は悪くない方なので踊ることは苦ではない。ポフィン作りも練習してそこそこできるようになったし、ポケモンの知識だって曲がりなりにも元ポケモンリーグ挑戦者だからそれなりにある。ただひとつ、トライポカロンの関係でアンジュを悩ませるものは――
「ボク、めちゃくちゃスカート似合わねえよ」
――ステージ衣装のことだった。
 アンジュは穿きかけた青いドレスをさっさと脱いで、ベッドに放る。本当はレンタル品なので乱暴なことはできないのだが、まあ、このくらいなら許容範囲だろう。ベッドの上には、他にも次回のトライポカロンで出番を待つ衣装たちが数着広がっていた。
フリルとレースにまみれたゴシック系のドレスから、シンプルだがスマートなラインのスカートまで。多種多様な乙女の装備は、しかしどれもアンジュにはぴんと来なかった。
 「そもそもボク、トライポカロンを始めるまでスカートなんて穿いた記憶すらないもんな。今までよくこんな似合わないもん穿いてたよ。うーん、でも、次の衣装をいい加減に決めないとまずいぞ……」
 自分がトライポカロンの衣装に渋い顔をするたび、ナナハは「大丈夫!」「可愛いよ!」と言ってくれる。その気持ちはありがたいのだが、アンジュの中の違和感がそれで拭えたことはない。
だが、自分はどうあっても可愛くなれない、と卑屈になっているわけではない。アンジュは、たぶんどんなドレスやスカートを穿いても、自分はそれに合わせたメイクやパフォーマンスを計画できる、と自負している。きっとドレスやスカートに合わせた「可愛い」が作れるし、そのために周りのパフォーマーたちの「可愛い」を真似することだって容易だろう。昔から真似は得意だ。
 だけど、それではダメなのだ。誰かの真似では、自分は自分になれない。アンジュはどうにかして、スカートやドレスの似合わない元の自分のまま、パフォーマンスをしたいと思った。
 自分を着飾るパフォーマンスの場で「自分のまま」を貫くことはひねくれている、とわかっている。それでも、アンジュはそれが実現できたらどんなにすばらしいだろうと思う。だからこうして、自分の姿と乙女の祭典にふさわしい衣装の数々の組み合わせに試行錯誤する。
 ――きっと、ボクのままで、女の子らしくなれる方法があるはずだ。そうしたらきっと、あのリボンも似合うようになると思うんだ。
 アンジュが思い浮かべているのは、カバンの一番奥のポケットに丁寧に入れてある、潮騒のリボンだった。生まれて初めて、自分の意思で髪に留めたリボン。あの時も、思わず自分で笑ってしまうくらい似合わなかった。
――案の定、「似合う」とも言ってもらえなかった。
 でも、アンジュは落ち込んでなどいない。あの時の自分はリボンなんて似合わなくて当たり前の悪ガキだった。それに、返事をくれなかった相手はなかなか気難しい男の子だ。たとえちょっとやそっと似合うようになったとしても、そうと言ってはくれないだろう。
だからアンジュはむしろ楽しみだった。困難な挑戦であればあるほど、充ちた達成感が待っているのを彼女は知っていた。
 「いつか会ったら、今度こそ『似合う』って言わせてやろっと。へへっ」
 思わず漏れ出た照れ笑いでナナハとポケモンたちが目を覚まさないよう、アンジュは慌てて口を閉じた。

 段差があれば先に上がってこちらの手を引く。
 アトラクションのチケットを買う時はこちらを人通りの少ないところで待たせる。
 こちらが椅子に座ろうとすると、さっとそれを引く。
 クルールの流れるような動作は、女性をエスコートする男性のそれとして完璧で――それゆえにアンジュは、その動作を目にするたびにギシリと体をこわばらせた。
 「あ、りがとう」
 ひっくり返りそうになる声をどうにか抑えて椅子に座ると、クルールが向かいに立ったままくつくつ笑った。
 「慣れませんね、『お姫様』」
 「お前、わかっててやってるだろ……」
 アンジュはじとりとした目を向ける。カントー女の自分が王子キャラを完成させるために苦労して身に着けた、女の子を「お姫様」扱いする流麗なエスコートの動作。それをクルールはいとも簡単に行ってしまう。7年前の気難しくて素っ気なかった姿とは対極的だ。7年の間に性格が変わったのか、それとも昔と今のどちらかが演技なのか。
 慣れないエスコートへの動揺とまったく覚えのない友人の姿に、アンジュはいつまで経っても戸惑っている。
 「クルール、お前それ、イリーゼにもやってるのか?」
 カロス地方やガラル地方では、子どもが小さな頃から家庭でエスコートの所作を教育されるという。そういえばクルールは昔もイリーゼを守るように気にしていた――まあ、時々は見捨てるように距離を置いていたが。
 クルールの自然な動作は育った文化のものなのだろうか。それを聞くという意図でアンジュが質問すれば、クルールは不思議そうな顔をした。
 「『それ』って?」
 「エスコートだよ。昔もお前、妹姫の騎士だっただろ」
 「ああ……いや、『騎士』って勝手に呼んでたのはそっちだろ。それに、忘れたのか。イリーゼとは長いこと会ってない」
 「えっ……あ」
 アンジュは先ほどの会話を思い出した。クルールがイリーゼのふりをしていた時に、イリーゼの口調でそう言ったのだ。
 「あれは、ホントだったのか……」
 「あんなところで嘘ついて何になるんだ。それより、何かお飲み物でも?」
 クルールが含みのある目付きになる。げ、とアンジュの体がまた固まった。口で呼ばれていなくても、翡翠の瞳が「お姫様」と自分を呼んでいるのがわかってしまった。
 「……じゃあ、カフェオレ」
 「かしこまりました。少々お待ちを」
 ぎごちなく返した答えにさらりと応じると、クルールはジジを連れて売店に向かっていく。彼らの姿を見送りながら、アンジュは「はーっ」と大きく息をついた。
 ふぃ~
 自分の足元でカシューが鳴く。労うようにも聞こえる声に、アンジュは苦笑いした。
 「いや、クルールにも参ったもんだね。イリーゼのふりしてクイズを仕掛けてきて、そんで罰ゲームでエスコート? アイツ、この流れ計画してたのかな。でもあそこで会わなければ計画なんて意味なかったから、やっぱり今も含めてアドリブでやってるんだろうね。いや、ホントに何やってるんだアイツ」
 自分で振り返っておいて、アンジュは首を傾げた。カシューはその答え――クルールの真意は7年前の「お返し」ということ――を知っているが、あいにくそれをアンジュに伝える方法がない。だから、曖昧に鳴くだけにとどめておく。
 ひとり答えの出ないアンジュは、テーブルに頬杖をつく。すると右手が右耳に掛かるイヤーカフに触れた。スワンナの羽が指を滑る。
 ――このイヤーカフも、本当は何なんだろう。オレにやる意図がわからないし、そもそも会えるかわからないオレに用意してたなんてことがあるか?
 一瞬その可能性を考えて、アンジュは自ら「いやいやいや」と首を振った。
 まさかまさか。だから意図がわからんっつーの。昔のオレしか知らないクルールが、こんなアクセサリーがオレに似合うと思うなんてありえない。似合うと思って買うのなら、きっと誰かべつの――。
 「………!」
 アンジュはそこではたと気づいた。
 もしかしてこのイヤーカフは、誰か違う「お姫様」にあげるつもりじゃなかったのか?
 今のオレが演じている仮初めのシンデレラじゃなくて、本物のクルールのお姫様。クルールにとって大切な存在で、でもどうしてか今のクルールが一緒にいないひと。クルールは、本当はそのお姫様に会って、これをあげようとしてたんじゃないのか――。
 そう考えたアンジュの胸が、きゅうと締まる感覚を覚えた。アンジュにとってクルールのことはわからないことだらけだが、彼の大切な存在なら、ひとり心当たりがある。
 そうだ。7年前から、あの子がアイツのお姫様じゃないか。
 「アンジュ、ただいま」
 テーブルの向こうから声を掛けられて、アンジュは弾かれたように顔を向けた。クルールがカフェオレの入ったプラスチックのカップを、アンジュの手元に置いているところだった。
 「どうした、ぼーっとして。何考えてたんだよ」
 「クルール。イリーゼのところに行こう」
 その言葉はするりと出てきた。クルールは途端に目を見開いた。
 「……は? 何、急に」
 「急じゃない」
アンジュは思わず立ちあがって、クルールと目線を合わせる。
「オレはずっと考えてたんだ。そうだ、お前言ってたじゃないか。『兄って立場だと余計に寂しさが際立っちゃう』って……アレはお前の本心じゃないのか? お前、本当はここにイリーゼに会いに来たんだろう。オレと罰ゲームしてる暇なんてないんだろう」
 「……でも、『寂しがってちゃいられない』んだろ?」
 クルールが目を細めて言う。アンジュはぞくりとした。クルールの、猫ポケモンのように目を細める動作は、背筋に緊張を走らせてくる。
 ――コイツ、オレのセリフを。
 「それは……そう思うけど。でも、オレはそもそもそれを、何も知らずに言ったんだ。今だってあのバカの本心なんかわかったもんじゃない。でも、オレの言い分はオレの言い分、ノアの言い分はノアの言い分だ。お前がヒントをくれたから、オレはそう気づいた。今は、少なくともあのバカともう一度話をしないといけないと思ってる」
 「………」
 「クルールも同じじゃないか? 何でイリーゼと長い間会ってないのか知らないけど、少なくともお前は今日ここに、イリーゼに会いに来たんだろ。なら、イリーゼと会うべきだ。イリーゼと話をするべきだ」
 置いてもらったカフェオレは汗をかき始めている。それでもアンジュは、クルールから返答をもらうまで、それに手を付ける気にはなれなかった。
 「クルール。オレたちはオレたちの片割れと、もっと話さなきゃだめだ。なあ、行こうぜ。イリーゼのところに」

 ――クルールの計画の有無はわからないが、アンジュの方では、一応計画らしきものはあった。
 もし会えたらパフォーマンスを見るように言う。パフォーマンスとステージに立つ自分を見てもらえたら、どう思ったか聞くつもりだった。
 胸に留めた潮騒が似合うか、聞くつもりだった。
 何もかもが「たられば」でできた計画だった。それでも「たられば」のうちひとつが叶ったから、あわよくば、と思っていた。
 でも、そうそう上手くことが運ぶわけはない。この広大な遊園地から来ているかもわからないイリーゼを探すとしたら、それだけで罰ゲームの時間は終わる。その時点でイリーゼが見つからなければ、きっとその後もクルールはイリーゼを探す。アンジュは王子に戻って、クルールは騎士に戻る。元から泡のように曖昧だった計画は、その時こそ水泡に帰す。
 ――いや、それでいいんだ。
 アンジュは強く意識した。一言ひとこと、口に出すようにして想った。

 なあ、クルール。
オレのちっぽけな計画なんかより。
お前がお前のお姫様とちゃんと会えれば、オレはそっちの方がいいよ。

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