火竜とみずとかげ


 「失礼します! マサギ・ジュウモンジ、入ります」
 ここはポケモンレンジャー本部管制室。本部長に呼び出されたマサギは、きっちり定刻通りに管制室の扉をくぐった。
 数人のオペレーターが機器類と向かい合う部屋の中央で、初老の男性ーー本部長がマサギを迎える。
 「よく来たな、ジュウモンジ。早速だが用件を伝える。まず、このボールを見てくれ」
 本部長はハイパーボールを差し出した。受け取ったマサギがボールを覗きこむと、1匹のリザードンが入っている。
 「リザードンすね」
 「ああ、見ての通りだ。このリザードンはガラル地方のワイルドエリアという地域で保護された。用件というのは、お前にこのリザードンのケアを担当してもらいたいんだ」
 マサギはボールから目を離した。
 「ガラル……? ずいぶん遠くから来ましたね」
 「そうだろう。その理由を説明したい。これを見てくれ」
 本部長が背後のパソコンを操作すると、すぐさまいくつかの画像がモニターに現れる。1枚目は恐らくワイルドエリアと呼ばれた地域らしき場所の写真だ。雄大な荒野のあちこちで、野生のポケモンが活動していることがわかる。2枚目は不思議な写真で、地面に空いた穴から紫色の光が真っ直ぐ伸びていた。
 続けて3枚目の写真を見たマサギは、はっと目を見張った。翼の形をした炎を背負った巨大な竜が、4人の人間と4匹のポケモン相手に火炎を吐いている。
 「これ……リザードンすか?」
 本部長に尋ねると、察しが良いな、と返された。
 「順に説明しよう。そもそもガラル地方では、『ダイマックス』及び『キョダイマックス』と呼ばれる不思議な現象が起こる。ワイルドエリアを中心に、ガラル地方に点在する特別な場所で、一部のポケモンが戦闘中に巨大化する現象だ」
 本部長は2枚目の写真を指した。
 「ガラル地方のリザードンも、その一部はキョダイマックスすることが確認されている。このボールに入っているリザードンは、元々この写真にある巣穴にいた個体だ」
 「じゃあ、3枚目はこいつのキョダイマックスした姿すか」
 「そういうことだ。……キョダイマックスする個体は大変珍しいことから、ポケモンハンターによる密猟事件が後を絶たない。このリザードンも、キョダイマックスするかどうか確かめるために無理矢理ダイマックスさせられたんだ」
 「………」
 マサギは眉を吊り上げた。正義感の強いこの男は、ポケモンハンターの話を聞くと般若のように険しい顔になる。
 本部長は話を続けた。
 「一方の部隊がハンターを追跡する傍ら、キョダイマックスを解くために、見ての通り別部隊が4人がかりでこの個体に立ち向かったそうだ。それで何とか捕獲に成功したはいいが、ガラル地方に留まっていてはまたキョダイマックスする恐れがあると判断された」
 「それで、キョダイマックスする心配のない、この地域に移送されたんすか」
 「そうだ。移送先を地方間で協議した際、お前のことを思い出してな。リザードンの世話はリザードン使いに任せるのが一番だし、この地域ではキョダイマックスの恐れもない。それでお前に任せるために引き取ってきたというわけだ」
 改めて、と本部長は姿勢を正す。
 「ジュウモンジ、この個体を頼めるか? 心身共にケアしてやってほしい」
 「うす」
 マサギの返答は決まっていたので、短く、力強かった。ハイパーボールを強く、しかしできるだけ優しく握る。
 ーー大変な目に遭ったな。もう、大丈夫だ。
 マサギの真っ直ぐな目とボールを握る手を見て、本部長は深く頷いた。
 「よろしく頼むぞ、ジュウモンジ」


 退勤時間になったので外に出たマサギは、さて、とハイパーボールを覗き見た。
 ーー引き受けたはいいが、俺はガラル地方のことも、キョダイマックスのこともわからない。どこかで勉強しないと。
 ボールの中のリザードンは眠るようにうずくまっていた。しばらくはそっとしておいた方が良いだろうと判断し、とにかく帰途に着くことにする……と、そこで使い慣れたモンスターボールが光って開いた。
 「りきち? どうした」
 中から出てきた相棒に聞くと、そのリザードンはヴァウと一声鳴いて屈む。乗れということらしい。
 マサギは微かに苦笑した。
 「お前、すっかり飛んで帰ることに味をしめたな。ロードバイク通勤も俺のトレーニングの一環なんだが」
 ギュオン!
 「わかったわかった。じゃあ、頼む」
 そう答えて背中にまたがると、りきちは思いきり翼を伸ばして地を蹴った。あっという間に大空に舞い上がる。
 りきちはもう、マサギが何も指示しなくてもマンションの方向がわかっているようだった。竜は滞空することなくぐんぐんと進んでいく。
 やがて見慣れた屋上の家庭菜園がぽつんと見えてきて、近づいてくる。安全に降りられるか確認するため、着地前に一度真上までりきちを飛ばしてから見下ろす。すると、人が2人、こちらを見上げていた。
 「……?」
 マサギは帽子のつばを上げて目を凝らした。2人のうちひとりはよく見慣れた少女だが、もうひとりの男性は初めて会う。誰だろう、と考えながら、マサギはりきちに着地の指示を与えた。
 りきちがばさりと翼を畳んでマンションの屋上に降りると、少女ーーイオが男性を連れてこちらに来た。
 「十文字さん! お仕事お疲れ様です。こちら、新しい入居者のシャンタルさんです」
 イオの紹介に合わせて、男性がキャスケット帽をついと上げる。マサギもキャップを取った。
 「こんにちは! いや、こんばんはかな。スコープ・シャンタルです。801号室に入ることになったんだ。よろしく」
 「うす、よろしくお願いします。十文字正義、102号室す。こっちはリザードンのりきち」
 グォ!
 隣に並んだりきちが、火をひとふきして挨拶する。すると、
 うぉ!
スコープの足元から返事が返ってきた。見ると、青くて小さなポケモンが、自分より何倍も大きいリザードン相手にファイティングポーズを取っている。
 「見ないポケモンすね」
 「そう? メッソンのアイジだ。気が強くてね、すぐバトルしたがる」
  スコープは屈んでアイジを拾い上げた。
 「ガラル地方では初心者用のポケモンってことで、結構知られてるよ」
 「! ガラルの方すか」
 「出身はエンジンシティだよ。何か?」
 マサギは一瞬帽子のつばに手を当てて、返答を考える。
 ヴァウ
 トレーナーが答える前に、りきちが声を上げた。アイジの方に鼻先を突き出す。
 うぉう
 メッソンが何やら鳴いて話すと、リザードンはニッと笑った。とかげポケモンと元とかげポケモンで、何やら会話が成立したらしい。
 ギュオ!
 うぉ!
 「何を話してるのかな」
 「たぶん、りきちがバトルを受けたんだと思います。コイツも結構バトル好きなんで」
 マサギは帽子から手を離した。
 「よければ今度、バトルでも。……それから、自分、仕事で少しガラル地方について知りたいんす。いつか詳しくお話できませんか、シャンタルさん」


 8階でスコープ達と別れたあと、マサギとイオは1階まで共に降りた。りきちはすでにボールの中だ。
 「りきち君、楽しそうでしたね」
 えう!
 「うす」
 イオとシオンの言葉に頷いて、それからマサギはイオを見下ろした。こちらの視線に気づかないイオの髪は、少し前よりだいぶ短くなってしまってまだ戻らない。
 ーー結局、まだ何も聞けてない。
 イオが行方を眩ませて、その後中空から突然姿を現した事件は、まだマサギの記憶に新しい。事件直後のイオは意識がなくて、しばらく病院に滞在していた。彼女の入院中何度かマサギも見舞いに訪れたが、イオの意識が戻った頃にはちょうど任務で不在だった。そんな訳で、ある日マサギが任務から戻ったら、いつもと変わらない笑顔のイオが、いつもどおり「お帰りなさい」と声をかけてくれる日常に戻っていたのだ。
 それ以来、まるで何事もなかったかのようにイオもマサギも振る舞っている。だが、イオの髪を見るたび、彼女のエプロンから新しいボールを見かけるたび、マサギは事件を思い出す。
 「十文字さん、どうかしましたか?」
 イオの言葉でマサギは我に返った。いつの間にかイオがこちらを見上げている。小首を傾げて、金色の髪を揺らしてーー本当に日常がいつもどおりであれば、その金色は腰まで長く豊かであった。
 「……管理人さん。俺は頼りないすか」
 「え?」
 つい口からこぼれた言葉には、マサギ自身も戸惑って、しかしすぐに確かに自分の聞きたかったことだと気がついた。
 だが、聞き方が悪い。慌てて次の台詞を考える。
 「俺は……俺は、ポケモンレンジャーす。こう見えて、そこそこの数の人やポケモンをレスキューしました。だから……目がわかるんす。助けを求める人の目が」
 「………」
 イオの目が揺れた。マサギが何の話をしているのか、気がついたようだ。
 マサギは考えながら言葉を次ぐ。
 「あの時……アナタの目は確かにそんな色をしていた。でもアナタはすぐにそれを隠して、『ごめんなさい』と言った。……あれは、どうしてだったんすか。俺はあそこでアナタに結局頼られないような男なんすか」
 ああ、違う、と強く思う。こんなに語気を強くして、責めるように彼女に問い詰めたいわけではないのだ。しかし口を動かせば動かすほど、何故かそれはマサギの意に反していく。
 「管理人さん。俺はアナタを助けたかった」
 こんなことを言っても、イオを困らせるだけなのに。
 「十文字さん……?」
 イオの声が聞こえて、わずかにマサギの手が震えた。その手を帽子のつばにやって、目を隠すほど目深に被った。
 「……すんません」
 そう言うと、マサギは大股で歩きだした。それ以上、イオに言える言葉がなかった。
 えーう……?
 背後からシオンの小さな声が聞こえた。マサギは振り向くことができなかった。

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