アイオライトの都合も知らず

 ずしん、と腹に重く響く大地の震えに、フィールドの端にいたユキヤもこんこも足を踏ん張った。カイヤの出した二番手のポケモン、ゴローニャはユキヤがよく知るアローラの姿をしている。
 「ひえー、カイヤの奴容赦ないなあ……!」
 猛毒をその身に盛られて徐々に足元がおぼつかなくなる、セツナのニャヒート・レンに、カイヤのゴローニャ澁牢は問答無用で「ほうでん」を叩きつける。ユキヤは言葉こそ怖がっているような口ぶりをしたが、その口調と表情はまるで真逆で、審判のくせに観客のように楽しんでいる風だ。
 こんこはカイヤとセツナ達のバトルからしばし目を離し、隣のユキヤを見上げる。ユキヤ本人と自分は、アローラの試練を乗り越えたとはいえ、目を瞠るほどバトルが強いわけではない。が、それでもバトルをするのも、見るのもそこそこ好きなのだ。少なくとも、今だ伝統を守って試練に挑む後輩トレーナーとバトルして、その旅路をサポートするくらいには。それに最近は、この男が仕事の合間に時々テレビの向こうの公式試合を食い入るように見ているのを、こんこは知っている。ついでに、ただしその観戦の目当ては、バトル半分、出場している女の子半分である、ということも知っている。
 「なあ、こんこ。クレーネちゃんが見たら、何て言うかな、このバトル」
 ほら来た。こんこは思わず笑ってしまう。心が燃えるようなバトルを見る時、時折ユキヤは熱っぽい目を半ば目の前のバトルに向けながらも、半ばはその向こうに、ユキヤ以上にバトルを愛するクレーネを見ているのだ。にこーっと目を細めて見せると、こんこの生暖かい視線に気づいたユキヤは、「えっ、何だよ……」と眉間に皺を寄せた。
 『何でもないわよ、ユキヤ!』
 こーんこん!
 どうせ自分関連の色恋沙汰には鈍いユキヤのこと、ポケモンの自分の言葉が通じないならどんな身振りをしたって説明にはならない。こんこは適当にごまかした。
 ――でも、確かにクレーネちゃんはいないとね。それに、イオちゃんも。
 ユキヤ、セツナ、カイヤは三人だけでの友人ではない。半年前再会して、戦って、一緒に願って、一緒にご飯を食べたユキヤの友人はあと二人いる。今、ユキヤはクレーネのことを口走ったが、それはユキヤにとって彼女が特別な女の子だから無意識に口をついて出たのであって、決してイオのことを忘れているわけではない。こんこにはしっかりわかっている。恐らくユキヤは、二人ともがここに来て、セツナとカイヤの正々堂々の勝負を自分と一緒に見届けてほしいと、そんなことを思っているだろう。こんこだって、パートナーの友人はちゃんと四人とも揃っていてほしい。
でも、ユキヤは審判であり、この勝負の見届け人だ。このフィールドを離れるわけにはいかない。
 うーん、しょうがないわね。リク君の出番はまだみたいだし、わたしが連れて来てあげようかな。
 こん! と一言鳴いてユキヤの足元を数歩離れると、彼はまた寸の間バトルから目を離し、「こんこ?」とこちらの意思を探ってきた。こんこが数度跳ねてみせると、先の自分の言葉を思い出してそれを繋げたのか、
 「お前、行ってくれるの?」
と聞いてきた。さすが十年近く一緒にいるパートナー、言語がなくても心が伝わる。細かいニュアンスまでは無理があるが。
 こん!
 「いいの? じゃあ頼むぜ。リク君の出番までには帰って来いよ!」
 こんっ
 さすが昼夜いつでも一緒にいるパートナー、こちらが一番楽しみにしていることまで伝わっている。
 何で言葉の通じないわたしとですらここまで通じるのに、言葉の通じるクレーネちゃんには何も通じられないのかしらね。変なユキヤ。


 きつねポケモンのこんこは、そりゃあ少しは鼻が聞くとはいえ、イワンコやルガルガン達にはとてもではないがかなわない。ましてやクレーネもイオも最後に会ったのは半年前だから、覚えている彼女達の匂いの記憶にはちょっと自信がない。
 一応は周りの空気の匂いを確かめつつ、高いところから見下ろせば一度に探せるかしらと思って、こんこは目に入る階段をどんどん上っていく。
 フィールドを出て会場に入り、ホールを突っ切ってフロアを上がる。だが、こんこの考えに反して、階段を上った先には大きなガラス戸がそびえたち、その開いている隙間から夜風が吹いてきた。いつの間にかぐるりと回って、さっき背を向けたばかりのバトルフィールドの方角を向いているようだ。
 ガラス戸の向こうはバルコニーになっていて、外の景色を見られるようになっているらしい。バルコニーを知らないこんこは、ここは何だろうと小首を傾げて、興味本位で戸を押し開けた。
が、その興味が幸いしたようだ。バルコニーの手すりのすぐ傍に、月明かりに照らされて青く輝く毛並みの獣が伏せている。ゴツゴツとした角のような岩がぐるりと首を囲むそのポケモンを、こんこはよく知っていた。イオのパートナー、スピネルだ。
 『スピネル君! スピネル君じゃない?』
 こんこが声を弾ませると、スピネルはばっと体を起こして振り向いた。バトルフィールドを見下ろし、もう一度こんこを見る。
 『どこかに行ったのは見えてたけど、ここに来たのか! どうしたんだ』
 耳に入る声が確かにスピネルのもので、こんこは嬉しくなって歩を進め、彼の隣に座る。ちょっと見下ろすと、ユキヤ達が見えた。セツナとカイヤのポケモンは、自分のいない間に入れ替わっている。戦況が進んだらしい。
 『ユキヤが今動けないから、わたしが代わりにクレーネちゃんとイオちゃんを探しに来たのよ。だってセツナ君とカイヤ君のバトルだもの。ユキヤが一緒に見たがってる』
 そこでこんこは、先ほどのスピネルの言葉の意味に気がついた。
 『どこかに行ったのは見えてたってことは、スピネル君、ここでわたし達のこと見てたの? やだあ、降りて来てくれればよかったのに。イオちゃんはどこ? 一緒に行きましょうよ』
 『………。』
 スピネルは、なぜか大きな狼の口をぐっと閉じる。不思議に思ったこんこが首を傾げると、狼はこんこの名を呼んだ。
 『なあに?』
 『悪いが、イオを探してくれないか』
 『え?』
 こんこは尻尾と首を同じ方向に傾げた。きつねポケモンの自分より鼻の利くルガルガンの彼が、それを自分に頼む理由があるのだろうか。
 『どういうこと? イオちゃんとはぐれたの? じゃあ、ここでバトルを見てる場合じゃないじゃない』
 『……ここから動けないんだ。イオが帰ってしまうから』
 『ええっ?』
 驚いたこんこに、スピネルはこれまでのことを説明した。イオがここからカイヤ達を見て、帰る決意を口にしたこと。スピネルがここに留まる姿勢を見せたら、クレーネを探しに行ったこと。――クレーネに挨拶をしたら、帰るつもりだということを。
 こんこは『そんなあ』と鳴き声を上げた。
 『そんなのってないわ。パーティーはまだ途中よ。人間同士の都合はよくわからないけど、とにかくまだ帰っちゃやだ!』
 『そう思うなら、頼むよ』
 スピネルの言葉に、こんこはすっくと立ち上がる。
 『任せて! わたし、きっとイオちゃんを連れてくるわ。それにクレーネちゃんも! ここは確かに見晴らしがいいけど、やっぱりバトルは近くで見る方が迫力があっていいわ。みんなで見ましょ!』
 ちょっと失礼、と言葉を続けてこんこはスピネルの首元に鼻を近づける。彼はイオのパートナー。きっとイオにもスピネルの匂いは多少なりともついているに違いない。
 『うん、覚えた! じゃあ行ってくるわね』
 こんこは軽やかにバルコニーを飛び出す。フロアの空気を鼻で注意深く吸いながら、パーティーを楽しむ人やポケモン達の中に飛び込んだ。
 なんだか、今日はずっと探しものをしてる気がするわ。

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