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火竜の話


 たまに見ている夢がある。子どもの頃からずっと見ている。
 
 
 真っ黒い空を背景に、白い灰が舞う。赤い炎が地を覆い、人々の悲鳴が響き渡る。その真ん中で、炎の翼を持ったドラゴンのようなポケモンが高らかに吼える。
 そのポケモンを、ずっと綺麗だと思っている。これが世界の終わりの予知夢なら、何て美しい終わり方だろうと思う。不思議な光景、現実世界では有り得ない風景だと心のどこかでよぎったこともあるが、今ではすっかり、これが世界の未来の姿だと確信している。
 その美しいポケモンに、ずっと恋をしている。世界の終わりに、あのポケモンに一緒にいてもらえたら、どんなに自分は幸せだろう。
 子どもの頃は目が覚めても、その後しばらくは夢の風景への憧れで、そんな風に幸福な想像をしていた。――否、考え事なら大人になった今でもしている。
 子どもの頃と違うのは、その考え事が、想像ではなく想定になっていることだ。
 ――あの風景を、僕がいつか作るんだ。
 僕はそのために、きっとかわいいシャオロンと出会ったんだから。
 
 
 母の口癖は、「あの人と結婚さえすれば」だった。
 狭い家に、母と自分で二人きり。子どもの頃に温かい食べ物を食べた記憶はない。母は昼も夜も働いて、いつも家にはいなかった。帰ってきたら帰ってきたで、人間の男を一人連れて家に入り、その男が帰るまで自分は家の外にいるように言われた。母はその男のことが好きだったようで、奴と結婚すれば幸せになれるんだ、とよく話していた。結婚できるように相談するから、お前は外で待っていろ、とも。
 ある日も同じことを言われたので外にいたら、急に雨が降ってきた。空から落ちてくる水を凌ぐため、公園まで駆けてトンネルの遊具に入った。
 時間は夜だったと思う。真っ暗なはずのトンネルが、変に橙色に明るくて、そっと真ん中まで進んでみた。
 すると、小さな竜がうずくまっていた。翼はまだなかったけれど、自分には夢に出てきた竜だとすぐにわかった。だって夢に出てくる炎の翼と同じ色をした火が、尻尾の先に点いていたからだ。僕はびっくりして、でも夢に見た美しい生き物が目の前にいることに感動した。
「かわいい小龍(シャオロン)、ねえ、お前もひとり?」
 雨で弱っているらしく、伏せった火蜥蜴に話しかけると、彼女はぼんやりとこちらを見上げた。
「ねえ、お前でしょ、僕の夢に出てきたのは」
 ………?
 翡翠の目が揺れて、小龍は首を傾げる。なんてかわいいんだろう。僕は嬉しさのあまり震える手を、ゆっくりと伸ばした。
「おいで、小龍。僕と行こう。僕、見たいものがあるんだ。お前にそれを見せてほしいし、お前も一緒に見てほしい。おいで。一緒に行こう」
 心臓がバクバクして、そんなつもりはなかったのにめちゃくちゃ早口になってしまった。昔、母にビール瓶で殴られないように言い訳した時よりも、遥かに緊張して必死だった。
 小龍は僕を警戒しているみたいで、じっと動かなかった。でも、待つことには慣れている。僕はにっと笑った。
「僕は●●。僕と結婚して、小龍」
 
 
「シャオロン! 見てヨ、すっごいキレイ!」
 オレ達の頭の上を、赤い火が尻尾を引いていくつもいくつも夜空を通っていく。辺りは日が沈んだのに昼のように明るくて、でもその光は白でも金色でもなく赤色で、なんだか世界じゅうにあの火が落ちて焼けちゃうんじゃないかって、そんな気がする。
「どうしよ、もう世界終わっちゃう? ラグナロクのボス、そんなこと言ってないヨネ? まだ結婚式の準備終わってないヨ~」
 ヴァウ
 困ったのでシャオロンに乗ったまま相談すると、彼女は翼をはためかせながら落ち着いた様子で一声啼いた。シャオロンのこの感じじゃ、まだ世界は終わらないっぽい。よかった。
「でも、いいナァこの景色。オレ達の式でも降ってほしい、めちゃくちゃキレイだもん。きっとオマエの花嫁姿にも似合うヨ、シャオロン」
 シャオロンの背の上で、火の降る空を見上げる。子どもの頃からずっと見ている夢の光景にはなかったけれど、きっとこんな夜空ならもっと華やかで綺麗な結婚式になる。真っ赤な星々が降る中、巨大な竜の姿になったシャオロンがいて、地面は世界の端から端まで赤い火で覆われて。うん、すっごく派手でいい感じ。
「楽しみだナァ、シャオロンと結婚するの! 最高の式にしようネ、シャオロン!」
 ヴァル……
 シャオロンは呆れたように一声啼くだけだけど、これはいつもの照れ隠しだ。オレにはちゃんとわかってる。かわいいシャオロン、彼女はオレと世界一の結婚をして、オレと世界一幸せになることにいつだって照れているんだ。
 ! ヴァウ!
「ワッ、何?」
 ふいにシャオロンが空中で停まる。反射でシャオロンの首に掴まりながら、オレは彼女と視線を同じにした。オレ達の前を、一際燃える光が地上に向かって落ちていく。
「……何だろ? シャオロン、追って」
 シャオロンはぶわりと翼を広げ直して、大気の中を滑り降りる。光は眼下の平原に落ちていった。風に吹かれた蝋燭みたいに立ち消えた明かりを、その残像を頼りにして追っていく。
 黒い平原に降りたオレとシャオロンは、地面の一ヶ所から煙が上がっているのを見つけた。ゆっくり覗き込んでみると、土が抉れて窪んだ真ん中に、たぶん落ちてきたそのものであろう石が半分埋まっている。ゴツゴツした拳大の石は、紫のようなピンクのような、不思議な色でところどころ光っていた。
 ぶわり、と髪が逆立つ感覚。オレがずっと探していたもののひとつだと、わかった瞬間に身震いした。
「シャオロン! これ、これ、『ねがいぼし』だヨ! やったぁ、ガラルじゃついに手に入らなかったのに!」
 オレはシャオロンに抱きついて、ついでにほっぺにチューした。だってこんなに嬉しいことがある?ずっと探していた、かわいいシャオロンの花嫁道具の一つを、ようやく見つけたのだから。
 シャオロンはチーゴの実を噛み潰したような顔をしている。うんうん、照れてるんだね。オレにはわかっているから大丈夫。オレはねがいぼしを拾い上げた。まだまだ熱くて手が焼ける感覚がするけど、冷めるのを待つ間に誰かに取られるかもしれないから構っていられない。
 黒い夜空に掲げて見ると、ほんのり広がる光が美しい。そうだ、夢で見たシャオロンも、こんな色の光を纏っていたかもしれない。
「シャオロン、これでまたオレ達の式の準備が進んだネ!」
 オレが笑うと、シャオロンはまだちょっと呆れたような顔で、でも少し笑ってくれた。ほら、シャオロンはやっぱり照れ屋さんだ。
 かわいいシャオロン。いつかこのねがいぼしの光と炎の翼で輝いて、オマエは世界で一番キレイな姿になるんだ。
 
 
 コランダ地方で輝く君へ。
 オレと世界で一番、幸せになろうネ。

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