白い浜辺でつかまえて

 『ろくたのばか~! はなせよお~!』
 『離せと言われて話すと思うかい、この莫迦』
 サンドパンのさんたがじたばたと暴れられる程度には自由を残してやりつつ、奴の体はなお中空に吊り上げる。これはこのボク、ろくたの「じんつうりき」によるお仕置きだ。
 このねずみ、僕達の主人のナナ――ナナハを連れて運動会の競技とやらに参加したまではいい。が、コイツはナナがゴールしてもなお興奮冷めやらず走り回ってナナに追いかけさせ、挙げ句ナナを倒れさせたのだ。
 ナナは今テントの中で寝ている。ボクが呼び寄せたふしこ達が様子を見ているから、今度こそ安心していいだろう。そう思って、ボクはさっきから「じんつうりき」でとっ捕まえたねずみを、捕まえた時のまま宙ぶらりんにしている。さんたの周りを、ドラミドロのくーこがじっとり回遊していた。
 『ホウエンからついてきて一年半、やっと加減がわかってきたかと思ってたのにねェ』
 『くーこ~! 助けろ~!』
 『やなこった。ろくたに逆らうと千年先まで祟られるからね』
 『おい、勝手なこと言うのはよせ』
 ボクが目を細めると、くーこはユラリとさんたの陰に入った。こうは言っているが、くーこも実はナナが心配だし、それ以上にさんたに怒っている。じっとりたらたら嫌味を言いながら絡みつくように周りを囲むのが、くーこのやり方だ。
 『アタイ達と違って人間は弱っちいんだ、え、わかるかい、ねずみ小僧。特にあのお嬢はね』
 『じゃあナナが弱いから悪いんだろ~!』
 『わかってないねェ。ろくた、海に放り込んでやんな。アタイが泳ぎ方教えてやる』
 『うわーっやめろーっ!』
 水が怖い砂ねずみが本格的に騒ぐ。必要以上に脅かすんじゃないと毒竜に言って聞かせたところで、ボクの耳がナナに近づく足音を拾った。
 「その子……大丈夫?」
 どうやらナナを看ている人間に声を掛けているみたいだ。あんまり聞き慣れてはいないけど、でも、確かに聞き覚えのある声だった。ボクが顔をテントの方に向けると、人間の女が日ひとり、ナナを見下ろして何か言っていた。
 人間がナナを看る少女――傍らのコジョンドは彼女をアメと呼ぶ――アメに一言二言告げる。唇を動かし終わった後、顔を上げた彼女の目がボクの視線とかち合った。
 ――あれ、あのコ。
 彼女の瞳は、やっぱり見たことがある。熟れた木苺と若い葉の色をした、左右で異なる色の瞳。そうだ、ボクとナナは、彼女に会ったことがある。八年前、この浜辺で。
 『ねえ』とボクは彼女に声を掛けた。きっと彼女には「こん」と聞こえた。
 彼女はボクに、にこりと笑んだ。


 「そういえば、ナナハちゃんのお友達っていう人がお見舞いに来てたよ」
 アメがナナにそう言ったのは、ナナが目を覚ましてしばらくしてからのことだった。目が覚めたからといってすぐに立ちあがれるようになるわけでは当然ないわけで、だからナナはテントでずっと安静にしていた。今さっき、ようやく立ち上げれるくらいに回復したところだ。
ちょうどアメからバーベキューの串を受け取ったナナは、丸い目を少し見開いた。
 「えっ、本当ですか? どうしよう、気がつかなかった」
 「仕方ないよ、その時ナナハちゃん寝てたもん。『お疲れ様、よく頑張ったね』って言って、あとは起こしちゃ悪いからって行っちゃった」
 「えーっ。誰だろう、アンジュかなあ。そのひと、お名前は言ってませんでした?」
 「ううん。あ、でも黒い水着のきれいな女の人だったよ。あと、赤と緑の、とってもきれいな色違いの目だった」
 「えっ!」
 素っ頓狂な声を上げて、危うくナナは串を取り落とすところだった。ナナの声にアメもコジョンドも、周りのふしこ達もびっくりする。ついでにナナ自身も自分の思いのほかの大声に肩を震わせた。いや、何でさ。
 「わ、ご、ごめん、引き留めてた方がよかったかな」
 「あっ、いえいえ! 大丈夫です! ――ねえ、ろっくん、ろっくんは見た? そのひと」
 アメに謝ったあと、ナナは勢いよくボクの方を振り向いた。まあ、そうだろうね。だってナナの思い描いている人物は、この中ではナナの他にボクしか知らないのだから。
 ボクといえばいまだにさんたを宙吊りにしているが、そのまま「こん」と九本の尻尾を一度振ってやった。それを見たナナは、少しだけ考える表情になった後、意思を固めた顔で立ち上がった。
 「アメさん、ありがとうございます。私、ちょっとそのひとにお礼のご挨拶してきますね」
 「えっ、大丈夫? まだ外は暑いよ」
 「ありがとうございます。でも、今度はろっくんがついてきてくれますから」
 アメに頭を下げた後、ナナがにこりと笑ってボクを見る。
 「ね、ろっくん」
 まあ、そんなことだろうと思ったよ。ボクは「じんつうりき」を捻じ曲げて、さんたをふしこの方に放った。
 『ふしこ、このねずみ見てて』
 『おっと、はいはい』
 『うわーッ』
 ふしこのツルでキャッチされたさんたは、ツルに胴を取られたまま、引き続き空中でじたばたもがいている。
 『ちくしょうろくた、今に見てろよ!』
 『うるさいね。帰ってきたらまた逆さ吊りだよ、お前なんか』
 『ひえっ』
 「ろっくん、あんまりさんちゃんを怒らないであげてね……」
 会話の内容はきっとわかっていないにしろ、何となくボク達の空気を察したらしいナナが苦笑交じりでボクに言う。ボクはそれに返事する気がなかったので、さっさとナナの先を進んで砂浜に足を乗せた。
 まったく、ナナは本当にお人好しなんだから。


 一年前に訪れた遊園地よりも、この浜辺はだいぶ探しものをしやすい。遊園地は広いし余計な人間やポケモンが多くて、匂いも声も掻き消えがちだ。ここもまあまあ生きものの数は多いけれど、少なくとも人間の子どもさえ除けば、確認しなければならない顔の数はぐっと減る。
 それでも彼女を探すにはしばし時間が必要だった。おかしいな、と思ったのは、八年前ならきっとこんなに時間がかからなかったはずだからだ。八年前なら彼女は自分の姉妹とパートナーに囲まれて……何と表現するべきだろう、もっと華やかな存在感を放っていた気がする。幼かったナナが憧れた存在……そうだ、あの時のナナは彼女達をお姫様だと信じていた。
 だから、ボクもナナも、ちょっと意外だったわけだ。「お姫様」が、影のように黒い衣装で、ひっそりと浜辺に佇んでいたことが。
 彼女は波打ち際よりも少し離れたところで、小さなポケモンを「どこかに行っちゃだめじゃない」とたしなめていた。ボクの見たことのないポケモンだ。八年前に一緒にいたチュリネだったかモンメンだったかはどこだろう。モンメンだったらまたどこかに行ってしまった可能性もある。
 ナナは彼女を見て立ち止まった。彼女の方はナナに気づいていない。ナナは口を開いて、何かを言おうとして――そのまま困った顔をした。
 あ、わかったぞ。ナナ、きっとどっちかわからないんだ。
 とはいえ実はボクも、彼女が姉妹のうちどちらなのかよくわかっていない。何せ八年前に数日会ったきりの人間の子ども、それもそっくりな双子の娘だ。
 ボクにとってはどちらがどちらでもナナの親しい相手なのだから構わないけれど、ナナにとってはそうもいかないんだろう。だから、何と呼べばいいのかわからなくて困っているんだ。難儀なナナ。
 すると、彼女のポケモンがするりと彼女の脇を通り抜けた。どうやらボク達を見て、興味がわいたらしい。ふよふよと拙く浮かぶところから見ると、まだ幼いポケモンのようだ。
 「シフォン。ダメったら」
 彼女はあっさりこっちを振り向いた。ナナがちょっと飛び上がるのが視界の横の方で見えた。
 「……!」
 二人して驚いている様子を同時に見せたのは、傍で見ていて少し面白い。その隙に白いポケモンは進んでいってしまう。
 ポケモンに置いて行かれるということは、これはモンメンを追いかけまわしていた方かな。そう思ってボクは、尻尾をぐっと上に伸ばした。ポケモンがぽふりと尻尾にぶつかって、それから不思議そうに尻尾を眺めだす。そうそう、ここから先は行き止まりだよ、お嬢さん。
 「……シェリちゃん? シェリちゃんだよね」
 ふいにナナが言った。今度はボクが驚く番だ。だって、それは確かチュリネと一緒にいた方の名前だ。でも、見上げたナナの顔は、にっこりと落ち着いている。
 「シュスちゃんなら、きっと元気よくこの子を追いかけて走り出すもの。前にここでシトラスちゃんを追いかけていったみたいに……ね、シェリちゃん」
 ――ああ、なるほど。ナナの言葉がすとんとボクの腑に落ちた。さすが、ナナはよく覚えている。大事な友達だものね。
 「シェリちゃん、さっきはありがとう。寝てる私のこと見に来てくれたの、シェリちゃんだよね」
 ナナが呼ぶ声に対して、彼女の顔は――。

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