十月五日
天は高く、風は涼しく、山は赤く色づく10月。秋は行楽シーズンであり、その分ポケモンレンジャー達も行楽地での仕事が増える季節だ。マサギも勿論レンジャーの例に漏れず、今日という日をいつもどおりパトロール業務に充てていた。
自然保護区の山をチームメンバー2人と歩き回り、異常がないか確認する。マサギの隣にはリザードのりすけが傍に従っていた。
午後の日差しも西に傾きかけているが、特に異常は見当たらない。メンバー2人がマサギの後ろからのんびり口を開いた。
「今日のとこは平和かねえ」
「んだな。何とか残業せずに済むといーんだけど」
「何、今日お前何かあんの」
「俺っていうかマサだよ。今日、マサの誕生日だろ」
「えっ、そうなの!? おいマサ、ホントかよ!」
職場での通称を呼ばれてマサギは振り向いた。誕生日のことを明かされても、いつもどおり落ち着いている。
「うす」
「えー! 何で教えてくれなかったんだよ」
「聞かれなかったんで」
「出た! マサってそういうとこあるよな! 報連相は大事だって言ってるだろ!」
「誕生日は業務に関係ないすから」
「そーだけど! そーだけどさ!」
そういうことじゃないんだよ、とメンバーに力説されてもマサギにはピンと来ない。確かに子供の頃なら少なからず誕生日を祝われるのは嬉しかったが、マサギはとっくに成人済みだ。加えてレンジャーになってからは業務に追われていたので、最近は誕生日の存在すらも忘れていた。
だが、同僚はマサギと違って誕生日に無頓着ではないらしい。
「ちょっとオペに報告しよ! ……ヘイ、こちらコウ! 今日マサの誕生日だって、チームからプレゼント用意しといて!」
「……仕事の無線をそんなんに使わんで下さい」
チームメイトに呆れながら言うマサギ。
すると、ふいにりすけが鼻をひくつかせた。何かを感知したらしい。
「どうした、りすけ」
マサギが呼んだ瞬間、
ズン!
地鳴りが山を轟かせた。
咄嗟に踏ん張ると、無線機からオペレーターの声がする。
『こちらオペレーション02! 保護区内でバンギラスが暴れだした模様。至急保護に向かって下さい』
任務を聞いたマサギの瞳が、途端に燃え出す。
「了解!」
モンスターボールを放り、リザードンのりきちを呼び出す。りすけと共にりきちに乗り込んだマサギの頭には、先程までの会話の内容など綺麗さっぱり残っていなかった。
「マサギ・ジュウモンジ、向かいます!」
事件が起こると声が大きくなるのはマサギの癖だ。
チームメイトも慌ててポケモンを呼び出し、マサギについて秋の空に飛び上がった。
マサギが自宅に帰り着いたのは、日付の変わる直前だった。
バンギラスの暴走鎮圧には日暮れまでかかり、さらにその報告をしていたらこの時間になっていた。マサギにとっては、いつもどおりのことである。
ただいつもと違ったのは、帰り際にチームのオペレーターから紙袋を渡されたことだった。チームメイトから受けた誕生日の連絡を受け取ったオペレーターは、律儀にも業務時間後にチームを代表して買ってきたらしい。
(……忙しいだろうに、気を遣わせてしまったな)
マサギ自身から誕生日を告げた訳ではないのだが、彼は恐縮してプレゼントを受け取った。
(……少し、気疲れしたかもしれない)
仕事で体力を、その後で気力を消費したマサギは、マンションに辿り着いてリュックからカギを捜す。
今日はすぐに寝てしまおう……そう思った時だった。
「十文字さん!」
鈴を転がすような声が聞こえた。見ると、マンションの管理人である少女、イオがこちらに駆け寄ってくる。
マサギが帽子を取って会釈すると、イオは笑ってぴっと敬礼した。
「おかえりなさいっ、深夜までお仕事御苦労様ですっ」
「ウッス、有難うございます」
マサギの仕事を知ってから、この少女は彼に挨拶する時、必ず敬礼するようになった。その様子が可愛らしいので、マサギは自分も敬礼を返すようにしている。
その後少し世間話を挟んでから、イオがマサギの持つ紙袋に気づいた。
何かと訊かれたマサギは、手短に事情を説明する……と、
「えっ? 十文字さん、今日お誕生日だったんですか!?」
思いの外驚かれてしまった。
そんなに気にすることでもないのに、小さな管理人は慌てて自室へ駆け込む。呆気に取られている間に、彼女はせわしなく戻ってきた。
「十文字さん、これを!」
そう言われてズイと差し出された拳に、反射的に掌を差し出す。するとその上に、緑色の石で出来た小さな十字架が落ちてきた。
「これは?」
マサギが聞くと、イオは息を整えながら説明する。セラフィナイトという石の十字架を、即席でペンダントのようにしてくれたらしい。
イオは、マサギの手を包むように、自分の小さな手を重ねる。
「いつも誰かのために一生懸命活動する十文字さんに、少しでも安らげる時間がありますように」
十文字さん、お誕生日おめでとうございます、と、イオは花の咲いたような笑顔で言った。
「……!」
胸の辺りに、じんわり暖かい感覚が灯るマサギ。
先程までの気疲れも、仕事での疲労も、不思議とイオの前で溶けてなくなるような気がした。
「……ありがとうございます、管理人さん」
マサギもつられて微笑むと、イオは「どういたしまして」と返してくれた。
……あなたこそ、管理人としていつも俺達のために頑張ってくれている。
マサギの口がそう言おうと開いた瞬間、
「はっくしゅ!」
イオの口からくしゃみが聞こえた。そういえばここはまだ外だ。夜風がすっかり2人の体を冷やしている。
マサギは焦った。
「す……すんません、俺が引き止めちゃって」
「いえいえ、私こそすみません……! では、お互い風邪を引かないうちに」
「うす」
おやすみなさいを言い合って別れる2人。
玄関に入ったマサギは、照明を点けて掌に残った石を見た。
セラフィナイト、安心感を与えてくれるという石。まるであの小さな管理人のような石だと思った。
「ーー誕生日、久しぶりに嬉しかった」
再度微笑んで呟くと、靴を脱いで部屋に上がる。
今度、何かしらお礼をしなければ。
そう思った時、腕時計から10月6日午前0時を告げるアラームが聞こえた。
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