さしのみ
アローラ地方ウラウラ島、マリエシティのとある居酒屋。月が照らす夜の街と比べ、店内は明るく賑やかだ。
その一角に置かれた二人掛けのテーブル席で、初老の男性と青年が向かい合っていた。
「ーーでさ、もうすぐ他の地方じゃアローラ観光の季節じゃん?観光客は俺達みたいにアローラで生活する訳じゃないから、アローラシャツなんかは売り物以外にレンタルもやった方が、手軽に試してもらえるんじゃないかなって思ったんだよ。土産物として売る分ももちろん確保しないとだけど……聞いてる、父さん?」
「ん~? 聞いてるキイテル~」
「聞いてないだろ!」
青年ーーもといユキヤが眉間にシワを寄せて問い詰めても、父は上機嫌そうに右手をヒラヒラさせて追及をかわす。左手には、ビールが半分減ったジョッキ。ちなみにユキヤは未成年なのでサイコソーダを飲んでいる。
完全に出来上がっている父は、お通しの漬物に箸をつけ始めた。
「ユキヤよぉ、その話は後でもいいじゃんか。今日は父の日セール終了の、親子水入らずの打ち上げだろ?次のセールのことは明日から考えようぜ~」
「親子水入らずどころか、母さんは母さんの友達と飯に行っちゃったから、俺と父さんだけだけどね。なぜかこんこも母さんについてっちゃったし……」
「向こうは向こうで女子会したいんだろ。こっちも男二人で飲も飲も!」
「俺は飲めねえんだってば!さっきも言っただろ!」
「そうだっけ?もうすっかりデカくなっったから大丈夫じゃね?」
「まだ18だよ!大丈夫じゃない!」
今度店のメンバーで飲み会を開いても、絶対この父を自分と同年代のバイト達の隣に置いちゃいけない……ユキヤは肝に銘じた。
一方で、父は空になったお通しの器をテーブルの端に寄せ、すでに運ばれていた串焼きに手を伸ばす。息子のジト目などどこ吹く風だ。
「そっか~、18かぁ。こないだまで頭にバンダナ巻いて、こんこを抱えてマリエ中を遊びに行ってたような気がしてたんだけどなぁ」
「島めぐりよりも前の頃の話だろ、それ。何年前だよ」
「なー、ホントになー!あの頃のお前はもうちょっと能天気だった気がする~。今もあの頃くらい肩の力抜いていいんだぜ、若だんな♥」
「若だんなって呼ぶなっつってんでしょ!」
ツッコミを入れると同時に、これ以上仕事の話をここで振るのは無駄だとわかった。はあ、とため息をついてから、サイコソーダを半分減らす。
それからユキヤは、グラスを口元に掲げたまま、少しの間その中の氷を見つめた。
「……なあ、父さん」
「ん~?」
「……俺、ホントに帰ってきてもよかった?」
「んえ?」
父は串焼きにかじりついたまま、視線だけこちらに向けて返してきた。自分以上に能天気な父の、こんな気の抜けた返事は想定内だ。ユキヤは氷に目を落としたまま話を続ける。
「俺さあ、我ながらここまで結構好き勝手してきたと思うんだよね。島めぐりはまあ……周りが『行くんでしょ?』って雰囲気だったから、それに流されたけど。でも、店を継ぐって決めたのも、そのために母さんから副店主を譲ってもらったのも、俺の意志だ」
氷がカランと音を立てる。
「そんで今、店のスケジューリングやセールの企画は俺がやっててさ。俺のやりたいようにやってて、店主である父さんにとって迷惑じゃあないか?……俺が失敗した時、俺に任せるんじゃなかったとか思う?」
「……ユキヤ……」
こちらが話し終えても、父から言葉が聞こえてこない。周りの喧騒に囲まれながら、2人のテーブルだけが静かだ。
あまりに父が返事がよこさないので、ユキヤは顔を上げる。すると、
「見てユキヤ、おしぼりでコアルヒー作った」
「話聞け酔っ払い!!」
白いおしぼりを丸めて作ったコアルヒーが、父の焼けた手にチョコンと乗っかっていた。
「アッハッハ、これすごくない!?お前これできる!?」
「でき、イヤ、できねえけど!今その話じゃないから!俺が話してる間ずっとそれ作ってたの!?」
ユキヤのツッコミに爆笑する父。流石にここまで話を聞いていないのは想定外だった。
父は笑いながら、おしぼりをほどいて元の四角形に戻す。
「まあまあ、やってみ?これ飲み会で超受けいいんだよ。絶対モテるから」
「いや別にモテなくていいから……何、どうやんの?」
「何だかんだ気になるんじゃーん」
「うっさいなぁ」
父のペースに乗せられるあたり、ユキヤもユキヤである。父の手元と自分の手元を交互に見つつ、おしぼりを丸めていくと、途中で父が口を開いた。
「父ちゃんさあ、昔から、ユキヤといろんなことするの好きなんだよ」
「……え? うん……?」
今度はユキヤがおしぼりから顔を上げずに聞く番だった。
「お前がちっこい頃、仕事でマリエを出る時にお前を連れてったり、一緒に仕立てしたり。楽しかったから、島めぐりに行くって聞いた時はちょっと寂しかったんだよなあ」
「えぇ? そんなこと言ってなかったじゃんか。『行きたいなら行け』って……ねえここどうすんの」
「片方持って、こうくるっと。……だって親だもん、寂しいだけで息子の旅立ち邪魔できないじゃん」
おしぼりがコアルヒーらしき形になるも、ユキヤが作ったものはやや歪んでいた。しばし見つめて、作り直しのために再び布巾にかえす。
父はビールを飲み干して追加の注文をしてから、話を再開した。
「だからさぁ、ユキヤが帰ってきた時はめっちゃテンション上がったんだよ。すぐまた旅出ちゃったけど」
「……そん時も言ってたね、『やりたいことがあるならやりに行け』って」
「だぁって、やりたいことを好きにやれるのって若いうちだけだよぉ?しかもお前は一人息子じゃん。可愛い子には旅をさせろってね~」
「寂しかったくせに?」
「あの時は島めぐりほど寂しくなかったよ。だって『店を継ぎたいから、そのために勉強しに行きたい』っていう旅だったろ?帰ってくるのがわかってたからさ」
「ふうん……」
今度は何とかコアルヒーらしくなった。完成したおしぼりの手芸品を父のコアルヒーの隣に並べて、ユキヤはサイコソーダを飲む。
「いやぁ、持つべきものはノリのいい息子だね。何だかんだでコアルヒーも作ってくれるし。一緒に店をやるのも楽しい楽しい」
その言葉にはっとして顔を上げると、父の赤ら顔がニヤッと笑っていた。
「俺に気兼ねしなくていいぞ、ユキヤ。父ちゃんは今、お前と店ができて楽しいから。でも、あんまりお前が気張らなきゃいけないようなら、また旅に出て気分転換して来いよ。能天気な父ちゃんがやってる店なんだ、お前も能天気に戻んねえと肌に合わねえぞ」
「……」
父が言い終えた時に、ちょうど追加のビールと焼きモコシの皿が到着した。何の気なしにユキヤも焼きモコシの1つをかじり、
「ぶっ!」
かじるや否や吹き出した。
「気をつけろ~、これ渋いから」
「先に言えよ!」
予想外の味をサイコソーダでどうにか流し込むユキヤ。父はその様子を見てゲラゲラ笑った。
「この味の良さがわかんないたぁ、やっぱユキヤもまだまだ子供だな~!確かにこれじゃ、ビールもまだダメだわ!」
「腹立つ~……」
だが上手い反論が思い浮かばなかったので、ユキヤは苦々しく父のモコシをかじる顔を視るしかなかった。
少しして、ぼそりと口を開く。
「……父さん」
「なぁに~」
「……ありがとな」
「いいよぉ~」
いつもの調子で返す父に、ユキヤはむしろ安心した。メニューを開き、父の方に向ける。
「父さん、今年の父の日のプレゼントはここの飲み代でいい?好きなの頼んでよ」
「えっいいの!?やった~、息子からの奢りだ~!これとこれ頼もうぜ!」
「いいよ。……あ、でも帰りのタクシー代は出さないから。潰れんなよな」
「え~、ユキヤがおぶってよ~」
「やだよ酔っ払い。すいませーん!」
ぴしゃりと父に言ってから、ユキヤは店員を呼んだ。
父と息子の二人飲みは、始まったばかりだ。
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