シャチと光壁

 変わったことを言う男だと思った。
 『戦場で死にたいとかなら、他あたれよ』
 光り輝く魔法陣の前で、オルカは確かに男がそう言うのを聞いた。
 ――戦場で死にたい奴なんているのか?
 そう尋ねてみようかと思ったが、しかし魔法陣の光に目を奪われて、結局オルカは何も言えない。
 契約が完了する。これで、自分か契約相手の男――ダグのどちらかが武器になり、どちらかがその武器の使い手となる。
 ――どちらになっても構わん。イルカを、町を、守れるのなら何だって。
 オルカは何だってできるのだ。


 白い花の祭りから数日経ったある日のこと。
 契約したからにはどちらが武器で使い手か、大きな魔物討伐の仕事が入る前にはっきりさせておかねばならない。そういう訳で、オルカはダグについて郊外に出てきた。祭りの盛装から解放されていつもの格好に戻った自分を見たダグが一瞬眉を顰めた気がしたが、たぶん気のせいだとオルカは思った。
 「オルカ」
 「何だ!?」
 準備運動のように体を動かすその背後で呼ばれて、オルカは振り返った。オルカにしてはいつもどおりの声量のつもりだったが、表情からしてダグにとってはそうでもないらしい。ダグが耳を遠ざけるかのように、若干体をのけぞらせている。
「声デカ……。お前ずいぶん身軽だけど、どうやって戦うの」
 「俺か? 基本的には素手かな!」
 「素手」
 「あ、でも一応魔法も使えるぞ! ホラ」
 そう言って、オルカはぐっと拳を握りしめる。すると、拳の周りの空気がだんだんと温度を下げだした。やがて空気の一部が氷となって、オルカの拳に貼りついていく。
 「水魔法の一種か」
 「そうだ! これで殴ると拳が守れる」
 「いや結局殴るのかよ」
 「わはは、これしか見習いの間に覚えられんかった!」
 あっけらかんと笑ったオルカがぱっと拳を開くと、氷の膜もあっけなく砕けた。そのままオルカは、うなじに両手をかける。首に提げた錆付きの錨の縄を解いて、鎖鎌のように持って見せた。
 「あと使うのはコイツだな」
 「錨? それ、首飾りじゃなかったのか」
 「錆びてはいるが本物の錨だぞ! 持ってみるか?」
 「いい。あとぶん回すな怖いから」
 鎖付き鉄球の要領でぶん回し始めた途端にダグから制止が入る。
 ぶん回しをやめたオルカは再び錨を首に掛けながら、「まあ、こんなところだ」と話をまとめた。
 「力には自信があるから、ダグの兄貴がどんな武器になろうと問題ないぞ! 安心してくれ!」
 「扱いがすでにちょっと不安なんだよな……。お前は武器になっても錨だけは勘弁してくれよ」
 「わはは、こればかりは約束できん! すまん!」
 「声デカ……」
 ダグが片耳を塞ぐ傍らで、オルカはパンと拳を掌に叩きつけた。
 「さて! 何はともあれやってみんと何もわからん! 試しの転身と行こうぜ、兄貴!」


 一瞬、鳥になったのかと思った。だって先ほどより遠くに地上が見えるし、先ほどより空がぐっと近いのだ。目を開けた時に広がる小さくなった風景に少し驚いて、オルカは身をよじってみた。
 だが翼になったと思った腕を動かしても、羽の擦れる感覚はない。鳥なら爪の付いた足が生えているはずだが、その感覚もない。だが、確実に自分の体らしきモノを動かしている感じはある。
 手と指の骨は感じるが、肉が指ごとに分かれていない。腕全体が、まるで一枚の平べったい板になったみたいだ。両足はびったりくっついて離れない。足の甲の感覚があったところには、足よりずっと大きな板の感覚があった。腕をかき、一本になった足で宙を蹴る。すると自分の体がぐんと前に進んで、背中から生えた巨大なヒレが風を切るのがわかった。
 ――ヒレ? そうか、ヒレか!
 ここでオルカは、ようやく自分こそが武器の姿に転身したことを心得た。この生ける武器の姿をオルカは知っていて、その正体にはすぐ気づいた。かつて、自分が生まれた故郷――海の町の漁師のひとりに連れられて、船に乗って行った沖合いで見たことがある。
 ――オルカ、あれがお前と同じ名を持つ生きものだ。
 『ダグの兄貴! 俺がわかるか! シャチだ、いや俺の名前じゃなくて! 俺が武器で、俺がシャチだ!』
 オルカとしてはそう言ったつもりだったが、しかし自分の声が聞こえなかった。代わりに、キィィ、とシャチの高い鳴き声が、空気を裂くように震わせる。
 『あれ!? ん!? もしかしてこれ、俺しゃべれないのか!? 兄貴! 兄貴どこだ!?』
 いくら話しても、その声は人間の声と言葉の形を取らない。周りを見渡しても空が広がるばかりで、ダグの姿を見つけることはできなかった。
身を捻って、ぐるりと360度回転する。風が潮の流れのように皮膚を撫でていった。一瞬見えた地上に、ぽつんと何かがいた気がする。もう一度身をよじって下を向くと、こちらを見上げている人間がいた。
 『あ! 兄貴!』
 人間がダグだと気づいたはいいが、この距離では声も届かない。オルカはぐぅんと尾びれを翻し、地面に向かって突き進んで、
 バァン!
 「っで!」
 ――突然現れた透明な壁に鼻をぶつけた。
 強かな痛みと衝撃で思わず転身が解け、ドサリと地面に落ちるオルカ。その声も体も人間に戻っている。涙目で前を見ると、ダグが焦った顔でこちらを向いて魔導書を開いていた。どうやら今の透明な壁は、ダグの防御魔法のようだ。
 「兄貴! 急に何するんだ、痛いじゃないか!」
 「何するんだはこっちのセリフですけど!? 怖いんだよお前! 急にこっちに突進するな!」
 抗議すると抗議が返ってきた。オルカは尻餅をついた格好から反動をつけて起きる。近づいてみると、もう壁は消えていた。
 「突進なんて強いことはしてないぞ」
 「お前自身にとってはそうかもしれんけど、お前ちゃんと自分のサイズわかってた? あんなデカさで普段どおり動いたら、それなりにいろいろ吹っ飛ぶからな」
 「……! なるほど」
 納得するオルカを見て、「コイツ大丈夫かな」とつぶやきながら眉間に皺を寄せるダグ。だが、オルカは次の瞬間にはぱっと表情を明るく変えた。
 「ダグの兄貴はいろんなことにすぐ気づくな! 頼もしい」
 「いや、お前が気づかないだけだろ」
 「なら、なおのこと頼もしい! 俺が気づかんことに兄貴が気づいてくれるんだからな」
 「ポジティブすぎない?」
 ダグの怪訝そうな表情にも、オルカは一笑で返す。
 「なあ兄貴、俺が転身したものが何かわかったか?」
 「何って、シャチだろ」
 「そうだ! 海に住まう生物で最強の獣だ。その鋭い牙で、鮫でも鯨でも屠るという。……魔物を狩るには、ちょうどいい武器だと思わないか」
 「……」
 ダグの返答を待たずして、オルカは続けた。
 「それに、ダグの兄貴のあの防御魔法! いやあ、めちゃくちゃ痛かった。あんなに固い壁なら、どんな攻撃でも通さないんだろ。なあ兄貴、俺達いいバディになれるんじゃないか。俺が魔物を狩って、兄貴が防衛線を張る。これでどうだ」
 「どうだって……簡単に言うなお前」
 「わはは! 実際俺達ならきっと簡単だ!」
 呆れたようなダグに、オルカは右手を差し出した。反射的にわずかに伸びたダグの右手を、半ば引っ張るようにして握る。
「俺は自分が死ぬのはまあわからんが、誰かを死なせるのは怖いんだ。俺も、絶対アンタを死なせないぜ! よろしくな、ダグの兄貴!」

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