暁の氷花

【1】

――7年前、ラナキラマウンテンにて。

 麓に足を踏み入れた時には晴天だったのに、最悪のタイミングで天気が崩れてしまった。山の中腹、風雪を凌げる場所も見つからないところで、突然ラナキラマウンテンは大雪に見舞われたのだ。
 今、ユキヤは、猛吹雪の中をこんこと一緒に歩いている。
 はぁっと息をつけば、冷たい風が入れ替わりに喉に入り込んで肺を刺す。吹き荒ぶ突風と氷の結晶が肌を鞭打つ。視界は明るくて暗く、上下左右、どちらを向いても真っ白の世界。頭頂から爪先、骨の髄までが寒さを通り越して痛みを感じている。
 こん……
 足元からパートナーの鳴き声が聞こえて、ユキヤはこんこを見下ろした。真っ白なこんこは今にも真っ白な地面に溶け込みそうだ。ユキヤは褐色の手を伸ばし、きつねポケモンの体を探り当てて抱き上げた。
 「お前埋もれちゃいそうだな、こんこ。ボールに戻んなよ」
 そう言ってモンスターボールを取り出そうとするが、手がかじかんで上手く取れない。こんこはそれを見て首を振ると、きゅっとユキヤに体を押し付けた。
 きゅーん……
 こおりタイプのこんこは、ユキヤよりは体力が残っているようだった。いつもは自分勝手な性格のくせに、今ばかりは自分より弱っている主人の身を心配しているらしい。
 「……バカだな。このくらいの寒さ、お前のオーロラビームで慣れてるっつの」
 そう言ってはみせるものの、声は寒さ以外の理由でも震えていた。膝をつきそうになる足を踏ん張って、こんこを抱く腕に力を込める。
 「ここまで来たら、イヤでもおれ達で何とかしないと。……大丈夫。おれを信じろ」
 ユキヤはこんこを抱き締めたまま、再び歩き出した。
 こんなところで諦めてたまるか。絶対にこの試練を乗り越えてみせるんだ。
 悲鳴のように轟く吹雪の音に、少年のか細い足音が微かに混じるーー。


――7年後、プリズムシティのとあるホテルの一室にて。

 「……ん……」
 ユキヤは過去の夢で目を覚ました。過去の夢と言っても、しみじみ懐かしむことができるような楽しい記憶ではない。島巡り終盤、ラナキラマウンテンで遭難しかけた時の夢だ。
 いつもはけろっと忘却の彼方に消えているはずの、あの頃感じた不安と孤独感。しかしそれらは、稀にこうして夢という形で再現される。
 正直、最悪の目覚めだ。
 「……何で見たんだろ、昔の夢」
 ハアと大きく溜め息をつき、寝間着の袖で汗を拭う。枕元に備え付けられているデジタル時計の数字は日の出前の時刻を示していた。仕事のある日ならともかく、今日に限ってはまだ起きるには早すぎる。
 今日はプリズムシティ中で開催されている感謝祭の2日目だ。昨日、ユキヤは感謝祭の中で、7年前の合宿でできた友人達と再会した。そのうち何人かとは今日も行動を共にする約束をしている。
 約束の時間やそのための準備の時間までには余裕がある。それまでもう一眠りしようかと、一瞬は考えた。
 だが、
 「……いや、でもまたあの夢見たら嫌だしな……」
そう思い直して体を起こした。
 カーテンを明けても、景色は殆ど夜のそれだ。真っ黒な空の向こうには沈みかけている月、真っ黒な大地には点々とした街灯の光。
 その景色を眺めていると、足元で「こーん」と声がした。キュウコンの姿のこんこが眠そうな顔で見上げている。
 「わり、起こした?」
 くーん
 「……いや、大したことじゃないんだけどさ。昔の夢を見たんだよね。覚えてる? ラナキラマウンテンで遭難した時のこと」
 窓際の椅子に腰掛けると、こんこは膝に飛び乗ってきた。椅子の肘掛けにユキヤは肘をつき、こんこは前肢を乗せる。
 「あん時は大変だったよなぁ。天気予報が大外れして、えらく吹雪いてさ。お前、雪に埋もれそうだったよね」
 こんこん!
 「……俺……上っ面じゃ意地張ってたけど、本当は死ぬほど怖かった。世界に俺とお前と、ボールの中のしずく達しかいなくなっちゃったみたいで、寂しくて怖くて」
 ユキヤはこんこの氷色の体毛に撫でるともなく触る。笑って話してはいるが、声音は表情ほど明るくない。
 「『負けてたまるか』って気持ちと、『誰か助けて』って気持ちがごっちゃになって……。だんだん、自分がちゃんと目を開けて歩いてるのかすらわからなくなってた。
 だけど、そん時に聞こえたんだよな。あの鐘の音が――」

 ――ガラン

 不意に聞こえたその音に、ユキヤの唇の動きが止まった。こんこがピンと耳を立てる。
 「……え? 今のって」
 ユキヤとこんこで顔を見合わせ、そしてふたりで窓の外を見る。今聞いた音こそ、ユキヤが思い出していた鐘の音だ。力強く響くような、大きな音。まるでその主が、自分の位置を知らせるために鳴らしているような音。
 ユキヤはこの音の主を知っている。知っているが、しかしまさか、「彼」がこの町に来ているとはにわかに信じがたい。
 窓を開けて半分身を乗り出すと、

 ――ガラン

そこに……夜の空中に、銀色の月を背にして音の主が佇んでいた。木の幹のような角と赤い殻を持ち、尾の鐘を鳴らしているポケモンだ。
 ユキヤの瞳が大きく開く。
 「……カ、カプ・ブルル……!?」
 果たして彼はユキヤの知るポケモン、カプ・ブルルであった。ウラウラ島の守り神とされている存在。しかも土地神ポケモンの中でも一等ものぐさな性格で有名なポケモンである。そんなポケモンが、わざわざアローラ地方から遠く離れたこの町に、一体何故現れたのか……?
 ユキヤが驚きと疑問で絶句していると、

 カプゥーブルル!

 カプ・ブルルが突然ふたり目掛けて突進してきた。
 「うわっ!」
 こん!
 咄嗟にこんこを庇うユキヤ。衝撃が来るかと目を閉じたが、一陣の風の後には何も感じられない。恐る恐る目を開けると、カプ・ブルルが何かを持って元の宙に戻っていた。
 「あっ、俺のZリング!」
 そう、カプ・ブルルの腕に引っ掛かっているのは、コオリZを嵌めたままのZリングだった。枕元に置いておいたのを、今の突進で掠め取ったらしい。
 「何で取るんだよ、カプ・ブルル!」
 窓からできる限り身を乗り出して腕を伸ばすが、カプ・ブルルはひょいと避ける。そのまま宙を滑り、土地神は町外れの森の方へと遠ざかっていった。
 ガラン、ガラン、ガラン――。
 カプ・ブルルの鳴らす鐘が遠ざかる。ただ強奪しただけなら、わざわざ鐘を鳴らして自分の位置を知らせることはしないだろう。
 「ってことは……あそこまで取りに来いってことか?」
 こんこん!
 こんこの声に振り向けば、彼女は既に出発する気満々のようだ。9本の尻尾を立てて、ぴょんぴょん跳ねて見せている。
 「……そうだな、とにかく行ってみないと」
 ユキヤは頷いて、寝間着の上にいつもの羽織だけ被る。
 一人と一匹がバタバタと去った後、出窓のテーブルには、かつてユキヤが合宿で手に入れた花型のバッジが月光を受けて煌めいていた。


――ガラン!

 「……?」
 雪山ではまず聞き慣れない音がして、ユキヤは顔を上げた。
 氷の礫が頬や額に叩きつけられる中、吹雪の向こうには何も見えない。しかし、その音は確かに少年とロコンの耳に届いた。
 「今の、何の音……?」
 こん……
 ガラン――ガラン。鐘の音は風の向こうから微かに響いてくる。
 こんこん!
 すると、こんこが何かに気づいた。ユキヤの腕を抜け出し、てちてちと進んでいく。
 「こんこ? こんこ待って、お前がわかんなくなっちゃうよ!」
 真っ白な体のこんこを見失いそうになるユキヤ。こん、とパートナーが自分を呼ぶ声がするが、こんこの姿は今にも消えてしまいそうだ。
 「こんこ、どこに行くんだよっ」
 ユキヤが言った瞬間、
 ビュオッ!
一段と強い突風が吹いた。顔を庇おうとしたユキヤは、しかし次にはこんこの軽い体がふわっと浮いたのを見た。
 こーんっ!
 「こんこ!」
 
 

 カプ・ブルルは町外れの森の中、わずかに周りより拓けた空き地の真ん中にいた。ユキヤ達がその方向から来るとわかっていたかのように、正面を向いて浮いている。
 ユキヤとこんこは茂みを抜け、空き地に足を踏み入れた。
 「来たぞ、カプ・ブルル!」
 ユキヤは緊張に早鐘を打つ心臓の動きを呼吸で整えながら声を掛ける。こんこも体毛が逆立っていた。カプ・ブルルの土地神としての威圧感のためか、辺りの空気が張り詰めている。
 ユキヤはもう一度息を深く吸った。
 「……ウラウラ島の土地神が、どうしてここに? それに、どうして俺のZリングを奪うんだ?」
 土地神とはいえカプ・ブルルもポケモン、人間のユキヤと完全に意思の疎通ができるはずはない。それでもユキヤはできるかぎりカプ・ブルルの真意を推し測るべく訊ねる。と、

 カプゥーブルル!

 カプ・ブルルが返答するかのように、ガランガランと尾の鐘を一際大きく鳴らした。すると辺りの草木がざわめき、空き地の剥き出しになった地面がみるみる緑に覆われる。
 「これは……グラスフィールド?」
 確かにそれは、カプ・ブルルの特性「グラスメイカー」によって発生した特殊空間、グラスフィールドだった。一時的にバトルフィールド一面を草木で覆うことで、草タイプの技の威力を上げる。ーーそう、カプ・ブルルはこの空き地をバトルフィールドと見なし、特性を発揮したのだ。
 「つまりは……俺達に、お前と戦えってことか」
 カプ・ブルルはZリングを持ったままだ。さしずめ自分とのバトルに勝てば返してくれるということだろう。早い話がカプ・ブルルからの挑戦ーーいや、試練なのかもしれない。
 ならば、この試練、受けるより他はない。
 「まさか島巡りから7年も経って、こんな試練を与えられるなんてな。……こんこ、行くぞ!」
 こん!
 こんこが空き地の真ん中に躍り出る。Zリングがなくても、相手がカプ・ブルルでも、ユキヤ達に退却の選択肢はない。それが試練であるというのなら。
 「カプ・ブルル! お前からの試練、受けて立つ!」
 カプゥーブルル!
 ユキヤが宣言すれば、カプ・ブルルも返すように嘶いた。
 

【2】

「こんこ!」
こんこの悲鳴が聞こえるや、ユキヤは腕をバッと伸ばす。小さなポケモンの体が風に拐われかけて、しかし間一髪、主人の腕に引っ掛かって抱き止められた。衝撃と風の強さに尻餅をつくユキヤ。
 危うく雪に埋もれかけた彼を、こんこが腕から離れて服の裾を噛み、引っ張り上げた。
 首を振って雪を落としたユキヤは、キッとこんこを睨む。
 「こんこのバカ、何してんだよ! 吹き飛ばされるとこだったぞ、お前!」
 こっ、こん!
 こんこにも何か言い分があるらしく、怒ったように尻尾を立てる。だが、ユキヤも引いてはいられない。
 「勝手に先に行ったらダメだろ! どっか行っちゃっても、おれ、こんな雪ん中じゃお前を探してやれねーぞ! お前、お前が、いなく、なっちゃったら……」
 こんこを叱っていたはずなのに、突然涙が出てきた。こんこがいなくなってしまったら、自分はどうなるのだろう? そう考えると、心臓が潰れるくらい胸が締め付けられたのだ。急にそれまで隠していた不安が牙を剥いて、少年の全身を刺す。
 こん……!
 こんこはユキヤの目から零れた水に驚いた。恐る恐るユキヤの腕に戻る。
 ユキヤの頬を伝う涙を舐めると、ユキヤはこれまで以上にこんこを抱き締めた。
 「バカ、こんこのバカ……心配したぞ……すっげえ怖かったんだからな、今……」
 きゅーん……
 こんこが尻尾を垂れる。こんこに怒ったり怒られたりするのも、そこからケンカになるのもいつものことだったが、こうして泣くのは初めてだった。
 「……よかった、お前がどっか行かなくて」
 ずび、と鼻水を啜って言うと、代わってこんこがきゅんきゅん鳴き始める。あまり聞かない声だが、これは落ち込んでいる時の声だ。
 「もう怒ってねーよ」
 ユキヤはこんこに一度頬擦りすると、足に力を込めて立ち上がる。もう耳を澄ませても、あの鐘の音は聞こえてこない。……それでも、進まなくては。
 こん、こん
 こんこの声に見下ろすと、彼女は前を向いて鳴いていた。ある方向を真っ直ぐ見つめている。
 最初はどうしたのかと思ったが、やがてユキヤは気がついた。
 「こんこ、あっちから音がしたのか?」
 こん!
 「あっちに、何かある?」
 こんこん
 尻尾を振って肯定するこんこ。元来雪山に住むロコンには、彼女しか気付き得ないことがあるようだ。鐘の音の方向や、その方向に何かがあることがわかったのかもしれない。
 「……もしかして、さっきはそっちにおれを連れてこうとして……」
 つまりはユキヤの道案内になろうとしていたのだ。
 「……! なのに、おれ、怒鳴っちゃって……。ごめんな、こんこ」
 こんこの真意にやっと気づいて、さらに心臓がギュウッとする。こんこは首を振って、ユキヤの頬を再度舐めた。
 ユキヤはこんこをもう一度抱き締めて返事に替える。そしてこんこをそっと降ろし、目と目を合わせて声を張った。
 「……こんこ。案内してくれるか、あの音のところまで」
 こん!
 こんこはキリリと背筋を伸ばし、尻尾を一振りする。それを見たユキヤは頭に巻いていたバンダナを外すと、片方の端をできるかぎり強く握り、もう片方をこんこに差し出した。真っ白な世界の中、ふたりの間にだけ、バンダナの紫色が目立つ。
 「おれはこっちを持つから、こんこはこっちを持って。これではぐれない。絶対に放さないから、お前も放しちゃダメだよ」
 こんっ
 こんこがバンダナの端をくわえる。
 「お前が風に飛ばされても、絶対におれが受け止める。おれはお前を信じてついてくから、お前もおれを信じて進んでくれ」
 ユキヤが言うと、そんなことはわかりきっているとばかりに、こんこはぴょんと一つ跳ねて応えた。バンダナをくわえたまま、ポケモンは前を向いて進み出す。
 「……行こう」
 ユキヤもかじかむ足を踏み出した。
 紫色の瞳は、白の中に浮かぶバンダナとその先のパートナーを真っ直ぐ捉える。


 「『れいとうビーム』!」
 ユキヤの号令にこんこが口を開き、冷気のビームを放つ。一直線にカプ・ブルルに向かうが、しかし相手が「メガホーン」を繰り出し、拮抗の末に相殺された。
 カプ・ブルルがこんこ目掛けて突進する。「ロケットずつき」だ。
 「『ふぶき』で押し返せ!」
 こんこは応じて九つの尾を立てて冷気を放った。強力な冷風がカプ・ブルルの勢いを減じていく……が、押し返し切るには些か足りない。土地神の赤い殻がガツンとこんこの額を打つ。
 「こんこ! 大丈夫か」
 こん!
 体勢を立て直すこんこ、すぐに体を翻すカプ・ブルル。「ふぶき」で抜群のダメージを与えたはずが、グラスフィールドの効果によりカプ・ブルルが回復する。
 だが、グラスフィールドの恩恵を受けるのはこんこも同じだ。カプ・ブルルは嘶いて、更なる打撃を与えるべく大地を叩き割った。こんこが振動に巻き込まれる。
 「『しぜんのいかり』か!」
 猛々しいフェアリータイプの技は、相手の体力を著しく奪う。グラスフィールドの回復では追いつかないダメージ量だ。こんこは何とか持ちこたえたが、この攻撃を何度もは受けられない。
 「早いところ決めなくちゃ! こんこ、行く……ぞ、」
 ユキヤは半ば無意識に左手を突き出した。が、
 「あっ……」
空っぽの左腕を見て自分のミスに気づいた頃には遅かった。技の不発でできた隙をついて、カプ・ブルルの「しねんのずつき」がこんこを捉える。
 こんッ……!
 「こんこ!」
 吹っ飛んで大木に叩きつけられるこんこ。ユキヤが駆け寄る。平気か、と問えば、弱々しくなった鳴き声が返ってきた。
 「……ごめん、俺がミスった。忘れてたんだ、Zワザは今使えないのを……」
 ユキヤが繰り出そうとしていたのはZワザだった。あの技ならば、カプ・ブルルにも大ダメージを与えられると思ったのだ。だが、ZワザはZリングとZクリスタルがなければ発動しない。
 Zリングを取り戻すための戦いなのに、Zリングを使おうとするとは。自分が普段からどれだけ無意識的にZワザに頼っていたのか気づかされ、ユキヤはカアッと頬が熱くなるのを感じた。
 「これは試練だ。Zワザに頼らずカプ・ブルルに太刀打ちしないと」
 自分に言い聞かせて、両の頬をパンと打つ。気合いの入れ直しだ。
 こん……!
 こんこもしっかり立ち上がった。ふたりで頷きあい、カプ・ブルルに向き直る。
 「Zワザがなくても、俺達の全力を見せてやる! こんこ、森を駆けろ!」
 こーん!
 ユキヤの声に合わせてこんこが駆け出した。カプ・ブルルを中心に茂みを駆け巡る。カプ・ブルルは狙いを定めるようにあちこちを見回し始めた。
 「しぜんのいかり」を繰り出される前が勝負だ。ユキヤは叫ぶ。
 「グラスフィールドに向かって『ふぶき』!」
 こんこが駆け巡り続けながら地面に冷気を吐く。アローラ地方のキュウコンの吐く冷気は、その気になれば人間一人を一瞬で氷漬けにできるほど強力だ。地面の草木はあっという間に雪に覆われた。
 カプゥーブルル!
 カプ・ブルルが地面を叩く。「しぜんのいかり」だ。
 「来るぞ! 『マジカルシャイン』!」
 地面が「しぜんのいかり」によって隆起した直後、こんこの体が「マジカルシャイン」によって輝く。妖精の光は「ふぶき」で積もった雪に反射した。カプ・ブルルの目が反射光を捉えて眩む。すると「しぜんのいかり」の照準がわずかにずれた。
 「避けきれ、こんこ!」
 こん!
 回避の道を見逃さず、ユキヤが呼んでこんこが応じる。地面を蹴って跳べば、カプ・ブルルの頭上を占めた。
 「『れいとうビーム』!」
 今度こそは直撃した。ズドン!と、「れいとうビーム」の圧力でカプ・ブルルの巨体が地面に叩きつけられる。
 ブル……!
 カプ・ブルルは地面に腕をついた。グラスフィールドからエネルギーを吸収し、回復するつもりだ。
 だが、凍りついた草木は土地神にすら応えない。ユキヤはそれを見て思わずガッツポーズを取った。
 「よし! 『グラスフィールド封じ』成功!」
 それは咄嗟に考えた作戦だった。元々ここはカプ・ブルルの力の源である草木が茂る場所だし、加えてグラスフィールドとなったことで土地神に有利な地勢となっている。こちらが有利になるには、まず環境から変えるべきだとユキヤは考えたのだ。
 「おかげさまで氷と雪には慣れてるんでね、こっちの方が俺達もやりやすいんだ!」
 常夏の地方に生まれ育ちながら寒さに慣れてるなんて妙な話だけどな、と苦笑するユキヤ。だが、氷雪の地も確かにアローラの自然……カプが見守る自然の一つだ。
 「カプ・ブルル! これがお前の島、お前の山で鍛えさせてもらった俺達の力だ! お前のお眼鏡にかなうかわかんないけど、これが俺達だよ!」
 ユキヤが呼び掛けると、カプ・ブルルはゆっくり身を起こした。まだ体力が残っているようだ。ユキヤは固唾を飲む。
 すると、土地神がヒュッと腕を振った。何かが飛んでくる。
 「うおっ」
 バシッと受け止めてみれば、奪われていたZリングだ。コオリZもちゃんと嵌まったままである。驚いてカプ・ブルルを見ると、土地神は体勢を立て直してこちらを真っ直ぐ見ていた。
 「……今度は、これで全力を見せろってことか」
 ユキヤがリングを左腕に嵌めながら言うと、カプ・ブルルは返事をする代わりに技を受ける構えを取った。
 そういうことなら、全力で応えるまでだ。
 「――こんこ」
 こんこは頷き、土地神に対峙する。
 ユキヤは一度瞼を閉じて呼吸を整えると、カッと紫色の瞳を開いた。
 「さても照覧あれ!」
 両腕を突き出し交差させる。ぐるんと拳を回して腰に収め、氷山を表す突き出しを三度。
 「常夏の永久凍土より授かりし氷雪の力! これなるは俺達のゼンリョク!」
 腕を一度広げ、真っ直ぐ前に伸ばす。Zクリスタルから薄青の光が迸った。冷気とともにトレーナーとポケモンを取り巻く。こんこの体が、Zパワーを――ユキヤからZクリスタルを介して送られた力を纏う。
 「咲きませ氷花! 『レイジングジオフリーズ』!!」
 ゴゴゴと地鳴りが轟いた直後、こんこの足元から氷の柱が伸びた。天にも届かんばかりの高さから、こんこが絶対零度の光線を放つ。
 ブル……!
 カプ・ブルルが赤い殻を閉じて防御の姿勢を取った。その瞬間、冷気が土地神を捉える。そして――
 パキン……!
森の空き地いっぱいを占める、氷の華が咲いた。

【3】

歩き出してからどのくらい経っただろうか。
 目の前の紫色とその先の白い獣から一瞬たりとも視線を反らさぬまま、ユキヤは足を動かし続けた。
 時折突風が吹いては、少年はこんこが飛ばされないように彼女の体に覆い被さる。逆にユキヤが雪に足を取られそうになれば、ポケモンがそこまで戻って掘り起こす。
 そうしている間、ふたりは一言も会話しなかった。しかし言葉にしなくても、バンダナを通じて伝わるわずかな振動が、互いの状態を知らせている。
 ――そういえば、皆どうしてるかな。
 ユキヤはふと、1年近く前に出会った友達を思い出した。島巡りに出発する前に参加した合宿でできた、たくさんの友達だ。アローラ地方以外の地からの参加者も多くいて、ユキヤは彼らからそれぞれが合宿後に出発する旅の話を聞いていた。
 ――島巡りに挑戦する奴、何人かいたっけ。皆、こんな吹雪に遭ったのかな……無事だといいんだけど。島巡りじゃなくても、こんな雪山を旅してる奴もいるだろうな。雪山じゃなくても、他に危険な所を切り抜けてたりするかもしれない。
 皆、きっとそれぞれの試練に立ち向かっているはずだ。おれだってがんばらなきゃ……!
 そう思った時だった。
 ぼんやりと、吹雪の奥に暗い影のようなものが見える。
 「!」
 目を凝らせば、どうやらあれは洞窟らしい。鐘の音が導き、こんこが気がついたものの正体は、あの洞窟だったのだ。
 あそこまで行けば、もう大丈夫だ!
 ユキヤはバンダナを少し引っ張った。こんこもくいくい引っ張り返してくる。目標を共有したふたりは、なお慎重に歩を進めた。
 少しずつ、少しずつ……。吹雪は洞穴に入りきるまで、ふたりに容赦なく襲い掛かる。
 やがてこんこが洞窟に入り、続いてユキヤが足を踏み入れた。途端、
 ドサッ
 「あだっ」
 気が抜けたのか、足がもつれて転ぶユキヤ。バンダナから手が放れる。
 こん!
 駆け寄るこんこも反射的に口を放した。すると、バンダナが洞窟の奥から吹く微かな風に乗ってしまった。あっという間に洞穴を出て、外の吹雪に飲み込まれていく。
 こんこん!
 「こんこ! ……大丈夫、追わなくていい。仕方ないよ」
 本当はユキヤも咄嗟に探しに出ようと一瞬だけ考えた。島巡りの証を留めていた大切なバンダナなのだ。だが、この吹雪の中を引き返す訳にはいかない。
 ユキヤは立ち上がってこんこを抱き抱える。目を凝らして洞窟の奥を見てみるが、暗闇が広がるばかりであった。
 「……こんこ。あの音、ここから聞こえたんだろ?」
 こん
 腕の中のこんこが頷くのを見て、ユキヤは意を決した。何がいるかもわからない洞窟だが、何となく、あの音を追い続けなければならない気がしたのだ。
 覚束ない足取りで一歩ずつ踏み出す。空気は先程までの吹雪に比べればだいぶ吸いやすかった。寒さは相変わらずだが、もう氷の礫で全身を痛めつけられる心配はない。進めば進むほど、心なしか道に傾斜がついていく気がする。坂道を上っているらしい。
 坂を上りきり、更にでこぼこした道を手探りに辿るうち、向こうの方に光が見えた。
 「……!」
 光に近づくと、すぐにそれは通路の出口、洞窟の中でもポッカリと広間のように空いた空間を照らしている光だとわかった。青白く洞窟を照らしているのは、月の光だろうか。
 ユキヤはこんこを降ろしてもっと進んだ。通路を出て広間に到着する。頭上を見ると、天井が吹き抜けていた。先程の吹雪が嘘のように晴れ渡り、銀色の月が顔を出している。……いや、坂道を通ってきたから、あるいは吹雪を降らせていた雲よりも高い地点まで登ったのかもしれない。いずれにしろここは静かでおだやかな場所であった。
 こん!
 こんこが何かに気づいて駆け出す。見ると、広間の中央に岩でできた小さな祭壇が一つあり、その周りだけ奇妙に草花が生い茂っていた。
 「……」
 不思議な景色に、ユキヤはすっかり声を失う。祭壇に近づいて草花の上に腰を下ろすと、何とそこは暖かい。足から体の上部に向かってどんどん疲れが癒える感覚がした。
 「何だろう、ここ……雪山の中なのに、あったかいなんて不思議だな」
 祭壇にもたれて座ったところに、こんこが飛び乗ってくる。ここまでの冒険で疲労が限界に達したのか、すぐさま寝息が聞こえてきた。
 「……お疲れ、こんこ。ありがとな」
 こぉーん……
 雪を払いがてら撫でてやると、こんこはあくびで返事をした。
 ユキヤは上を仰いで、ぼんやりと月を見た。麓を出発したのは朝方なのに、もうすっかり夜になっている。
 すると、
 「……えっ」
月を背にして、何かの影が吹き抜けの外側からこちらを覗き込んできた。はっきりと顔は見えない。しかし2本の角と屈強な腕、そして尾についた鐘のシルエットは、その正体を示すのに十分であった。
 「カプ・ブルル……!」
 ユキヤが小声でその名を呼ぶ。するとカプ・ブルルはふわりと浮いて、
 カプゥーブルル!
一声嘶き、スッとどこかへ飛んでいった。追い掛けるにも体力がないユキヤは、そのまま土地神を見送るより他はできなかった。
 「……カプ・ブルル。ウラウラ島の、守り神……」
 ウラウラ島の守り神はものぐさな一方で、ひとたび怒らせれば草木を操って土地ごと人間を滅ぼすと聞く。普段は穏やかで争いを好まぬ故に、尾の鐘を鳴らして自分のいる場所を知らせるのだとも。ユキヤが物心ついた時から、さんざん聞いてきた伝説だ。
 「もしかして、あの鐘の音も、ここの草も、カプ・ブルルが……」
 ものぐさなカプ・ブルルがヒトを助けるなんてことがあるのか……ユキヤは考えようとしたが、頭を垂れて緑の地面を見下ろした途端、睡魔に襲われた。もう思考する力も残っていないらしい。
 本来ならば雪山で眠るなんて自殺行為だ。だがカプの加護があるとしたら、ここほど安全なところはない。
 「………」
 ユキヤは素直にまどろみ、目を閉じた。
 月の光は一人と一匹を――そして、祭壇の上に置かれている3つの石を照らしていた。


 青年とキュウコンが見守る中、森に咲いた氷花はやがてピシリと音を立て、ガラスのように砕け散った。あとには赤い殻に籠ったカプ・ブルルが残る。
 土地神はゆっくりと殻を開いた。ダメージは受けているものの、完全に倒れてはいない。
 「……やっぱり、強いな」
 ユキヤは肩の力を抜いて笑った。かつて命を救われた土地神から、今、直々に試練を与えられるなんて。
 不思議なことは時を越えて続くものだ。そう思うと何だか笑顔が零れる。
 「……カプ・ブルル。7年前は、助けてくれてありがとう」
 ユキヤは対峙する土地神に声を掛けた。カプ・ブルルは戦闘態勢に戻らず、今晩最初に姿を見せた時のように浮いている。
 ユキヤは言葉を続けた。
 「お前にとってはただの気まぐれだったかもしれないし、何か意味があったのかもしれない。祭壇にあったものも、ただの偶然だったのかもしれないし、お前の意図があったかもしれない。本当のことはお前にしかわからないけれど、俺はそれでもあの時命を助けられたし、こうして力を授かった」
 ユキヤはZリングをカプ・ブルルに見せるように、手の甲を外に向ける。
 「あの時は確かに、こんなバトルしてる場合じゃなかったもんな。こんなに時間が経っちゃったけど、それでも俺達を試してくれて嬉しいよ。島巡りの挑戦者にとって、土地神とのバトルだなんて名誉だから」
 今度は腕をすっと伸ばし、リングをカプ・ブルルに差し向けた。
 「……カプ・ブルル。どうだった、俺達は」
 ………
 カプ・ブルルは黙ってこちらを見つめた。こんこがユキヤの傍らに寄り添い、ユキヤは腕を伸ばしたまま待つ。
 やがて、
 
 カプゥーブルル!!

 土地神は一際強く嘶くと、そのまま天高く飛び上がった。ざぁっと木々がざわめき、木の葉が舞い上がる。見上げると、空は朝日の光が差し込んで薄い紫色に染まっていた。
 ガラン、ガラン――最後に鐘の音を残し、カプ・ブルルは朝の空に吸い込まれるように飛んでいく。残されたユキヤとこんこは、しばらく土地神の消えた方を眺めていた。
 「……試練、達成したのかな」
 こーん
 最後までカプ・ブルルの真意は汲みきれないが、Zリングを取っていかなかったということは、このリングとZクリスタルは引き続き自分が持っていてもいいのだろう。
 そう判断したユキヤは、
 「あーっ、緊張したーっ!」
 思いっきり息を吐いてその場にしゃがむ。こんこもぐでりと座り込んだ。青年は、ふっと笑ってパートナーの頭を撫でる。
 「お疲れ、こんこ。ありがとな」
 こーん!
 労いの言葉を掛ければ、思ったより元気な声が返ってくる。ふたりして笑い、ふたりして伸びをした。
 「さ、ホテルに戻ろうぜ。今日の感謝祭、最後まで遊ばないと!」
 こんこん!
 ユキヤとこんこは立ち上がり、空き地を後にする。
 朝の光は一人と一匹を――そして、青年の腕輪に嵌められた2つの石を照らしている。


 「あっ」
吹き抜けから差し込んできた太陽の光で目を覚ましたユキヤは、祭壇の上にあるものを見て声を上げた。
 そこにあったのは、白く輝く石と、氷色に煌く水晶、そして氷そのもののように透き通る石だ。白く輝く石は何だかわからなかったが、残りの2つの正体はユキヤでもすぐに見抜けた。
 「これ、コオリZにこおりのいし! こんなとこに何で勢ぞろいで……。祀ってあるのかなあ」
 こーん?
 3つともとても貴重な石だ。持っていきたいところだが、祭壇にある以上はおいそれと持ち出す訳にはいかない。
 どうしようかと悩んでいると、
 「おーい!」
遠くの方から人間の声がした。どうやらユキヤが昨晩通ってきた洞窟から聞こえてくるようだ。
 こーん!
 ユキヤより先にこんこが返事をする。程なくして、試練サポーターの帽子を被った大人達が3人ほど広間に到着した。島巡りの子どもが入山してから連絡が取れないという報せが麓から届いたらしい。
 ユキヤが事情を説明すると、サポーター達は最後のカプ・ブルルのくだりで驚いた。
 「土地神さまが! そりゃあ幸運だったなあ」
 「それに、この祭壇の石……。元は過去に誰かが祀ったものだろうが、カプが君をここに連れたのだから、君に授けてもいいと思ったのだろうよ」
 「持って行くといい、きっと君のものだ」
 サポーター達に背中を押され、ユキヤはおずおずと祭壇に手を伸ばした。3つの石を慎重に拾い、ポケットに入れる。
 少年はそこで、ふと思い出したことを口にした。
 「あ、そういえば、島巡りの証……。」
 あれがなければ、山の頂上で受けられるはずの大大試練にも挑戦できないのではないか。そう聞くと、大人達は大丈夫だと笑った。
 「新しい島巡りの証が、君のポケットに入っているからね」
 「……!」
 ユキヤはポケットを手で押さえ、こんこと目を合わせる。
 こーん!
 パートナーの元気な声とともに、ふたりして笑った。
 サポーター達がさあ行こうと声を掛けてきた。「はい」と返事をし、大人達の後について洞窟に向かったユキヤは、しかし最後に広間の方を振り向く。
 そこで、今はもう見えないポケモンに向かって口を開いた。
 「……ありがとう。いつか、ちゃんとお礼が言いたいな」
 白い頭を下げるユキヤと、マネをしてお辞儀するこんこ。
 ふたりが出ていった後の祭壇周りで、草花が日差しと風を受けて揺れていた。

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