着火

 ピンポーンと、聞き慣れたインターホンの音で意識が戻った。
 テッカは暗闇の中で目を開けて、しばらくショボショボと瞬きする。部屋の電気を点けていないので、まぶたを開けても閉じても真っ暗だった。やがてうつぶせに転がっている自分の身体の下に布団らしき布の感触があることに気付いて、自分が寝室にいるとわかった。
無意識で右腕だけを上方に伸ばし、部屋のロックを開ける。開いた扉をくぐった人物――ノヅチは、
 「うわ。テッカが死んでる」
開口一番そう言った。
 「生きとうよお……」
 テッカが絞り出した声は、自分でも驚くほどガサガサに濁っていた。何だか頭がガンガンと響く。一方ノヅチは勝手知ったる隣人の部屋、さっさと電気を点けて水道に向かい、ジョウロに水を入れ始めた。彼は振り向かず、声だけテッカに投げ掛けてくる。
 「大丈夫? 今日出撃だよ」
 「だいじょおぶ……」
 「体も顔も一ミリも動いてないんだけど。昨日何してたの」
 「飲んだ……ミイちゃんと……」
 「ミイちゃん?」
 「ミライカちゃん。ワシらとおんなじ第一の」
 「ああ……」
 どうやらノヅチもミライカの人となりを知っているらしい。昨日の出来事に深く納得したような声が帰って来た。
 水を溜め終えたノヅチがジョウロを片手に戻ってきたところで、ようやくテッカの身体も言うことを聞くようになってきた。のっそり起き上がりベッドから這い出て、サイドテーブルに置いておいたカプセルを水もなしに飲み込む。以前飲み過ぎた時に医務室から支給された、二日酔い用の薬だ。
 ノヅチはジョウロを鉢の脇に置いて、黄色くなってきた葉を摘み取り始めた。
 「シクラメン、そろそろ水やりしなくてもいいかな」
 「? しょうなん?」
 役割を終えた葉が、ぷつりぷつりと摘まれてはゴミ箱にそっと置かれていく。その様を眺めながら、テッカは首を傾げた。ノヅチは鉢をくるくる回して、他に枯れ葉がないか見ていく。
 「シクラメンは花が終わったら、むしろ水をやらない方がいいんだよ。土の中の球根をしばらく休ませる。で、また葉が出てきたら水やり再開」
 「へえ~。水ばやらんと、枯れそうで怖かなあ」
 「余計に世話を焼こうとしちゃダメだよ」
 ノヅチが釘を刺すようにテッカを見る。刺された方はボサボサの赤毛頭を掻きながら笑った。
 「にゃは、大丈夫。ノヅっちゃんがこれからも見てくるうとやろ」
 「テッカもそろそろ覚えてよ。テッカにあげた鉢なんだし」
 明日からも俺がここに来られるかわからないんだから。
 ノヅチは声にこそ出さなかったが、鳶色の目でそう言った、ようにテッカには見えた。テッカだってわかっている。潜航機動隊にいる限り、明日以降生きている保証はノヅチにもテッカにもない。
 だから、テッカは素直に頷いた。
 「はあい」
 ばってん、できたら明日も来てね。
 目を細めながら言ったので、声に出さなかった部分がノヅチに伝わったのかはわからない。


 数時間後、テッカはアトランティスのコクピットに座っていた。
 両手を組んで思い切り頭上に伸ばしてから、片腕ずつストレッチ。パキペキ骨を鳴らして両手首を回し、最後にグーパーの動きで指を慣らす。実際にEBEを掴んで殴って倒すのはアトランティス・テッカドンの拳だし、それはとっくに第三大隊によって調整済みだが、何となく自分の拳も慣らした方が上手く動けるような気がした。
 腰を捻った後、右手の人差し指と中指を揃えて鼻の付け根の辺りを触る。カチャと音がするはずが空振りに終わって、あ、と間抜けな声を出してしまった。
 「しょんなかねえ。まだグラサンがなかの覚えられん」
 今までコクピットに座る時に掛けていたサングラスは、自ら海底に置いてきた。そのことをしょっちゅう忘れるので、サングラスをずり上げる癖が未だに抜けないのだ。
 祖父から預かったあれを、弟は果たして受け取ってくれただろうか。一度預かったものを誰かに預けるのも無責任な気がしないでもないが、まあ、壊して返せなくなるよりはマシだろう。テッカはおおむねそんなことを考えたくせ、考えたことを忘れる自分に笑ってしまう。
 ――じいしゃんの形見はキッカに預けた。そのキッカも、リッカも他のチビどもも、ちゃあんと、こん海ん底のどっかにおる。
 「……うん。大丈夫ばい。がんばろな、テッカドン」
 テッカはニッと頬を持ち上げ、コクピットの操縦桿にコツンと拳を合わせた。
 すると、ピピ、と通信音が鳴った。
 「炎谷機、応答願います」
 発信源は知らない名前だが、第三大隊の隊員だった。テッカは、はあい、とのんびり返事してモニターをオンにする。目の前の画面に、自分よりも多少年下らしい――ちょうどリッカと同い年くらいの少年が映った。
 「い、五百蔵シャルルです……。第一大隊前衛分隊炎谷機、第一大隊第二空爆分隊名刀機の、オペレーションを……担当します」
 よろしくお願いします、という少年もといシャルルの声は通る声だがやや控えめで、何となくテッカはリッカを思い出した。その声が言う二人目の担当機の名前には、どこか聞き覚えがある。
 「炎谷テッカたい、よろしゅうねえ。ええと……シャルちゃんでよかかな。ナチ機のナチって――」
 「おや、昨日も聞いた声がするね」
 気になることを聞く前に別の声が通信に入ってきて、テッカはあっと声を上げた。モニターにもうひとつ映ったのは、昨夜一緒に酒を飲んだミライカその人だ。
 「ミイちゃん!」
 「はは、昨日の今日でまた会うとはねえ」
 にっとした彼女の笑顔を見て、テッカの胸の辺りがふわりと熱を持った。昨日の酒が胃から戻ってきたのだろうか。
 ――ばってん、やっぱりこん人は、笑っとったほうがよか。
 テッカも歯を見せて、にっと笑い返す。
 「しゃすがミイちゃん、昨日あげん飲んだとに元気そうたいねえ」
 「そう言うアンタは二日酔いしてないだろうね」
 「にゃはは! 薬は飲んだ!」
 「そうかい」
 ミライカとの会話は、まるで昨日の飲み会の続きのように感じた。自分でも、この後戦地に向かう人間たちの会話とはあまり思えない。だが、これくらいの気楽さでいられる方が、テッカには嬉しかった。
 すると、あの、とモニター上のシャルルの口が動く。
 「ぬ、炎谷機、名刀機。配置にお願いします」
 「あ、しょうねえ。ごめんねえ、シャルちゃん」
 「はいよ」
 オペレーターの指示に二人して返事する。ここから先、ミライカとは別行動だ。
 「ミイちゃんはくうばく、やったっけ。気ぃつけてね」
 ひらりと手を振ってからミライカとの通信を切り、テッカは操縦桿を握る。前衛隊のテッカは、これからすぐに海上に出撃して会敵だ。
 自分の後には、ノヅチがいる。ミライカもいる。今まで出会った機動隊の人々の、ほとんどがいる。海の底の家族と形見も、自分の後ろの仲間たちも、守れる位置にテッカはいる。
 「――よっしゃ! 起きんしゃい、テッカドン! お勤めん時間ったい!」
 テッカの大声が、テッカドンのコクピット内を震わせた。テッカドンの赤い瞳が、光るのを感じた。

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