海底にて

 「……ミ、イ……ちゃん?」

 炎谷テッカの乾いた呟きに、名刀ミライカがふっと笑った次の瞬間、
 ガイン!
 「あだ!」
 テッカは文字通り飛び上がって頭をコクピットの天井にぶつけた。テッカドンがノアから出撃する前のオート操縦だったのが幸いだ。危うく前進が止まり、他隊員や機動隊全体に大迷惑をかけるところだった。慌ててコクピットに座り直すテッカだが、その丸く剥いた目は隣の席を凝視したまま。
 『おいおい、作戦前からケガ作ってんじゃないよ』
 ミライカはコクピットに戻るテッカを見ながら、からからと笑った。テッカが何度も見たことのある、太陽のような快活な笑い方だ。ここ数ヶ月はずっと見ていなかったし、これからも見ることはないだろうと思っていた。――なぜなら、彼女は先の戦闘で。
 「……ミイちゃん? ほんなこつにミイちゃん?」
 なんで、とテッカはぶつけた後の痛みも忘れたまま、口をぽかんと開けて呟いた。もう新都心のどこにもいないはずの彼女がいることに驚く一方で、しかし、いつか隊内のどこかで聞いた話が脳裏をかすめる。曰く、新都心に殉じたはずの隊員が還ってきて、他の生存隊員のアトランティスに同乗することがあるのだと。どこで聞いたかは忘れてしまった、隊内連絡だったかもしれないし、風の噂だったかもしれない。テッカは聞いた直後に「そげん夢みたいなこと」と思ったきり、ずっとこの話を忘れていた。
 口も目も丸くして呆けているテッカを見て、ミライカはさらに笑いつつ肩をすくめる。
 『何でと言われてもねえ。還ってきちゃったもんは仕方ないだろ』
 「……約束」
 『ん?』
 「約束、守ってくれたとね」
 テッカは笑うミライカを、瞬きすら忘れてじっと見つめる。なぜ殉死した隊員がアトランティスで蘇るのか、その常識を超えた原理をテッカは知らない。だがテッカにとってそれはどうだっていいことだった。大事なのは、今目の前にいるミライカが本当にミライカかどうかだ。
 だって、本当に彼女がテッカの夢とか、アトランティスが見せるホログラムとかではなく、ミライカそのひとなのだとしたら。
 『――そうだねえ、あんな約束しちゃったからかね』
 どんな形であれ、彼女はテッカとの約束を守ったことになる。
 「絶対に帰ってくる」という約束を。
 「……!」
 テッカは胸の辺りがぎゅうと締まったような、胸の内側から何かが膨らんで詰まったような、痺れるくらいの苦しさを感じた。苦しいけれど辛くない。顔に血が昇って、目頭がぎゅっと痛む。両の下瞼の縁まで、涙がせり上がってくる。ミライカがミライカであることが嬉しくて、彼女が約束を守ってくれたことが嬉しくて、彼女が目の前でまた笑ってくれたことが嬉しくて。
 ――そんなミライカが、死んでしまったことがどうしようもなく哀しい。
 「……ミイちゃん」
 『何だい』
 「ありがとう。約束ば、守ってくれて」
 テッカは眉毛をへにょりと下げて笑った。ちゃんと笑えているかわからなかったが、正面で自分の顔を見ているミライカも、呆れたような風だったが微笑み返してくれた。
 『泣いてないで前を向きな。もうノアを出るよ。これからやることがあるんだろ』
 「……うん!」
 ミライカの返事を聞いたテッカは、今度は口元を引き結んで力強く弧を作り、大きく頷く。
 すると自分の目玉から熱い水がぼろりと落ちて、自分が泣いていることに気づいた。

 ノアから出撃したテッカドンが他アトランティスと共に向かったのは、いつもの海上ではなく新都心の第五層だ。既に到着している先発の機動隊によって、避難誘導は始まっていた。誘導に従って逃げてゆく人々の群れが、飛行形態のテッカドンのモニターに映っている。
 モニター越しに避難民の集まり――もはや巨大な塊と表した方が的確かもしれない――を見下ろしながら、テッカは「よっしゃ」と呟いた。
 「第五層は広か。どんどん拾っていかんとやね」
 そう言ってテッカドンの出力を上げ、飛行速度を増してゆく。目指すのは第五層の中でも端の方、外殻に近い一帯だ。もしもEBEに殻を破られれば、真っ先に奴らと邂逅することになるだろう地帯。だが、階層間エレベーターからは最も離れており、最も避難に時間を要する地帯だった。
 「ここいらって、新都心のアナウンスは届くとかねえ」
 『届いたとしても、何て言ってるかわかるか怪しい奴らしかいないんじゃないか』
 「うーん、そうかも。ワシもまだお上の難しか話はわからんし」
 テッカも潜航機動隊に入隊する前、いつかの日雇いの仕事でその辺りに行ったことがある。街の中心部から大きく外れ、第五層の中でも特に貧しい者が流れて来る吹き溜まり。ここでゴミや廃棄物の処理や解体作業といった雑務ができるならまだいいが、大抵の住人はそんな仕事にもありつけず、スリや強盗になるか遭うかして過ごしている。その人間の多くは、第六層から逃げてきて、そのまま第五層の民に追いやられた子ども達だ。
 「……また、逃げんといかんとね。大変ったいね、六層生まれは」
 笑っている場合ではないのだが、勝手に口元が歪んでしまう。ミライカは肩をすくめた。
 『どうする? ここらの連中、いよいよ目の前にEBEが来るってくらいにならないと、事の重大さがわからないような奴らばっかりだよ。逃がせると思うかい』
 ミライカの横に流すような視線を受けて、テッカはサングラスを持ち上げ直した。今度は唇を引き締めて、強く口角を上げる。
 「逃がす。ミイちゃん達が、命張って守った新都心ったい。端から端まで、赤ん坊ひとり残さんで逃がすばい」
 それに、と続けた。
 「あそこのどっかに、リッカ達がおるかもしれんけん」
 だんだんテッカドンが目的地に近づいてきた。高度をやや下げると、乾いた土塊でできた雑木林みたいな建物の群れが見えてくる。人間の姿はまばらだったが、見えないことなない。ぼろを纏い、髪も体も汚れ、何かから逃げ隠れるように歩いている――しかし、確かに新都心の民として生きることを望まれているはずの人間。かつてテッカもあの人間達と似たような格好で、同じような歩き方をしていた。今も弟妹達は、この広い第五層のどこかで彼らの中に混じっている。
 『もしここにいなかったら?』
 「おらんでもよか。誰か、他の機動隊が逃がしてくるうとやろ。全部逃がせば、そん中に混じっとおはずったい。それでよか」
 テッカの至極真面目な答えを聞いたミライカが、次の瞬間吹き出した。
 『あはは、いいねえ。確かにちまちま探してる暇なんかないもんな。そっちの方が手っ取り早くてわかりやすいね』
 「でしょ?」
 テッカは歯を見せて笑うと、さらに高度を下げた。飛行形態からアトランティスのモードを変えて、荒れた海底の大地にテッカドンの巨大な両足を下ろす。下方では人間達が、荒廃した街の陰から何だ何だというばかりに、突如現れた巨大な機体を仰ぎ見ていた。
 テッカは外部向けのスピーカーをオンにして、思い切り声を張る。
 「潜航機動隊ったい! 難しかことはお上が言うけん、ワシはよう言わん。殻が壊れる、早う逃げんしゃい!!」
 そう言い終わるが早いか、テッカドンの右足をスイと上げて、
 ドン!
 力いっぱい地面を踏んだ。衝撃で地面がぐらっと揺れ、ぼろぼろの建物がいくつか崩れる。
 途端、ぽかんと口を開けてこちらを見ていた群衆が、突風に吹かれた塵芥のように逃げだした。まるで自分がEBEになって、彼らと邂逅したかのようだ。
 「嫌なこつ思い出させるかもしれんばってん、こんくらいせんと逃げてくれんっちゃもんね。六層のモンは」
 『………。』
 テッカの言葉に、今度のミライカは何も返さなかった。彼女も第六層出身だから、何かを思っているのかもしれない。
 「………。」
 テッカはミライカの方へ手を伸ばした。
 「ごめんね、ミイちゃん。ミイちゃんも嫌なこつ思い出したかもしれんっちゃけど、ばってん、まだ今は、前みたいに殻は壊れてなかよ。EBEもまだ来とらん。空も赤くなか。そうならんよう、ワシがここば守るけん。ここにおるみんなば死なせんよう、みんな守るけん。ミイちゃんも」
 『あたし?』
 ミライカが目をわずかに見開いてテッカを見た。聞き返されて初めて自分が何を言ったか気づいたテッカが手を止める。完全に考えるより先に言葉が出たが、しかしよく考え直しても、自分の気持ちに嘘はなかった。
 「……いかん?」
 尋ねてみれば、目の前の女性は呆れたように笑った。
 『……バカだね、もう死んでる奴を守ったってしょうがないだろ』
 「………。」
 正論を言われて、テッカはぎゅうと唇を噛み締めた。何も言い返せないのに、ミライカが言ったことは当たり前のことのはずなのに、胸が締め付けられる。
 『ほら。まだ状況をわかってないバカがいるよ。全部逃がすんだろ』
 ミライカがモニターの方を向いたので、そのマゼンタ色の瞳が白藤色の髪に隠れてしまった。テッカは何も言えないまま、前を向く。
 「……うん」
 鉄火色の前髪が、その四白眼を覆った。

 人間の姿が見えなくなった頃、ノアから通信が入った。
 『避難誘導部隊に伝達。新都心都民の避難誘導が完了しました。これより階層間エレベーターを停止します。最終避難便を収容後、ノアは潜航準備に入ります。規定時刻までに帰艦してください』
 テッカはモニターに映る規定時刻を、サングラス越しに見て確認する。
 「今からかっ飛ばしたら、ギリギリ間に合うとね」
 『寄り道するんじゃないよ』
 「はあい」
 ミライカとのやり取りもそこそこに、テッカドンを飛行形態に変形して飛び出す。その瞬間、
 轟ッ
凄まじい崩壊の爆音が、後方から背後を襲った。豪風が飛行形態のテッカドンを煽る。
 「うわッ、何!?」
 操縦桿を握りしめて傾く機体を立て直すテッカ。モニターのレーダー反応を見て、息を吞んだ。その反応は、何度も海上で見たことのある不俱戴天の敵性反応。
 「……EBE……!」
 モニターを見ていたミライカも眉間に皺を寄せる。
 『いよいよお出ましだね』
 「うん。ばってん、もうこの層は空っぽたい。後はもう好きに壊させりゃよか」
 『こんな海の底にまで来るとは、ご苦労なこった』
 「ほんなこつ。まだ追い付かれんけん、さっさと逃げよ!」
 テッカは出力を上げて、最高スピードでテッカドンを飛ばす。避難誘導が終わったからには、次の作戦に従事しなければならない。遅かれ早かれ崩壊する新都心ではなく、そこに住んでいた命達を乗せた方舟を、侵略者から守らなければ。
 「こげん海ん底に来たってことは、今、海ん中にウヨウヨいよるんやろなあ」
 『だろうね』
 すると、再び通信が入ってきた。全隊員に向けられた通達だ。
 『第一層調査隊の調査報告が完了。調査結果に基づき、中央評議会による脱出先が決定しました。脱出先は海上――いえ、地上の旧オーストラリア大陸です』
 「どこそれ」
 『知らない』
 こちらの通信は入っていないことをいいことにぼやくテッカとミライカ。実は座学で地球の歴史と地理の講義を受けた時にしっかり教官から解説されたはずなのだが、あいにくテッカはそこまで知識を吸収しきれていなかった。
 「まあよか、逃げる先見つかったったいね。……ばってん、海ん上は空気が悪かけんアトランティスから降りれんとじゃなかったっけ」
 『今、通達でその辺のことも話してるよ。小難しいこと言ってるけど、まあ評議会が大丈夫って決めたんなら大丈夫なんじゃない』
 「それもそうたいね」
 通信からは第三大隊による状況報告が続く。聞いてもテッカにはやはりピンと来なかったが、第一層だとか、コアだとか、そんな言葉は何となく聞き取れた。
 「一層、キッカしゃま達が行っとおとよね。最終便、大丈夫かな」
 『お前は先に自分の心配をしなよ』
 呆れたミライカの声が横から飛んでくる。にゃは、とテッカはごまかした。
 「ばってん、ほんなこつ帰ってきてほしか。今ん話やと、一層に調査に降りた人達んおかげで、逃げる先が決まったってことやろ。調査に行けるんは頭のよか人達ばい。いなくなられたっちゃワシらが困ると」
 それに、と聞かれもしないのに続けた。
 「言うたやろ、みんな守るって」
 『……お前、ホントにお節介だよね』
 「にゃはは。久しぶりにそれヒトから言われた」
 テッカが破顔一笑したところで、テッカドンが第五層の中心部に入る。彼はオペレーターに通信を入れた。
 「こちら炎谷! 第五層の真ん中まで戻ったとです」
 『了解。そのまま第四層機動隊本部に戻り、ノアと共に潜航、ノアを護衛してください』
 「はあい!」
 層間エレベーターのパイプから降下し、第四層へ。機動隊本部まで飛び、ノアの超巨大な船体に降りた。既にノアを海底に繋ぎとめる諸々は解除され、今しも海中に出発するところだ。ノアの周囲にはテッカと同じように、ノアを守る潜航機動隊のアトランティス達がついている。
 『海中には既にEBEがいます。ノアが潜航開始次第、アトランティスを出撃させてください』
 「了解!」
 オペレーターとの通信が終わったところで、ノアの潜航ハッチが開く。このハッチを見るのも、これが最後になるだろう。
 「ノアの外から見ることになるなんて、思わんかったなあ」
 テッカは呟きながら指を一旦操縦桿から離し、パキパキと鳴らした。サングラスを掛け直して、再出撃の準備は終わりだ。
 「よっしゃ! 炎谷テッカ、出るとです!」
 ノアがゆっくりと動き出す。その船体からアトランティス達が浮かぶように離れ、先んじて海中に潜り込んだ。テッカドンも同じように出発する。と、レーダーがけたたましく鳴り響いた。EBEの群れの一つが潜航ハッチの周りで待伏せしていたらしい。
 「さあ、最後のケンカしようっちゃん!」
 テッカは飛行形態のままEBEに突っ込む。あわや衝突する瞬間にモードを切り替え、
 ゴン
テッカドンの拳を敵の身体に叩き込んだ。

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