あるマタドガスの話
ワガハイはマタドガスである。名前はロイヤル。
ガラル地方と人間が呼ぶ地域で生まれ、エンジンシティと人間が呼ぶ町で育ってきた。
今日はワガハイと、ワガハイのトレーナーの身の上話に、少々付き合ってもらおうと思う。
もう十年以上前にもなるだろうか。その頃、ワガハイはまだドガースであった。マタドガスではなく、まだドガースだ。今の『ロイヤル』という名前もついていなかったドガースのワガハイは、その日、食べものを求めてエンジンシティじゅうをふらふらと浮かんでいた。
ワガハイ達ドガースやマタドガスは、他の生きものなら吸えば毒となるガスや、そのガスになりうる空気を食べものにして生きている。エンジンシティには人間たちが作り出した、ガスを作り出す大きな家がたくさんあるのだ。人間たちはこの家を『工場』と呼んでいる。彼らが昼間、この家の中で過ごしている間は、工場の上の筒からガスが出てくるというわけだ。ワガハイたちはそのガスの煙を目当てに、エンジンシティの空を毎日浮遊している。
霧が晴れたばかりの生ぬるい空気の流れに乗って、ワガハイはある工場の上空に辿り着いた。何本もある筒のうち、食事の取り合い相手となるドガースが比較的少なそうなところを探す。一本ずつ様子を見ていくが、昼どきともなればなかなかどうしてどこも混んでいた。四本目あたりに差し掛かると、そこにはドガースはいなかったが、代わりに人間が二人、布切れで筒を磨いていた。一人は大柄なオスで、もう一人は細身のオス。細身の方は、金色の頭と細い手足を煤で真っ黒にしている。翼もなければワガハイたちのように浮くこともできないのに、ご苦労なことである。
「親方、ドガースが来たよ」
細身の人間がちらっとこちらを見るやいなや、大柄な方に声をかける。大柄な方はフンと鼻を鳴らした。
「んなモンとっとと追っ払え。仕事が進まにゃその分稼げるカネも減るし、下手に刺激すると爆発して稼ぐどころじゃなくなるぞ。『金持ちになり上がりたい』っつってたのはどこの誰だ、え?」
「わかったよ」
細身の方の人間はそう言って、筒にしがみつきながらワガハイの方に顔を向けた。よく見ると、この人間はまだ子どものようだ。右目はマタドガスの煙のような緑色、左目はドガースの身体のような紫色をした、変わった子どもだった。
「お前ら、今日はここは休業日だぞ。煙突掃除の日なんだから。どこ行ったって煙もガスも出ないぜ、諦めて別のどっかに行きな」
……どが。
あいにく当時のワガハイは野生の身、人間の言葉に造詣が深くなかった。そのため子どもの言う意味を理解できず、そのまま通過した。子どもは顔をしかめたが、何も言わずに筒磨きを再開した。
さてワガハイはようやっと、五本目にしてまだライバルドガースのいない筒に辿り着いた。今日はここでランチにしよう。そう思って、筒の出口の辺りでふよふよと停滞する。空に浮かぶ雲はどんよりとしていた。できれば早めに食事にありつけるといいのだが。
すると、
『おい、ここはオイラが先に目をつけてたんだぞ。どっか行け』
後ろから身体の大きなドガースがやってきた。ワガハイは先ほどの子どもよろしく顔をしかめる。
『目をつけたのがいつにしろ、先にここに着いたのはワガハイだ。悪いがここは譲れん』
『なんだとぉ?』
大きなドガースはわざとらしく身体を膨らませて威嚇してきた。が、こんなことで怯えるワガハイではない。ワガハイは筒の出口を塞ぐように、そのすぐ上に身体を陣取った。
『おい、そこをどけ!』
『やだね。他を当たれ』
相手の怒った顔もどこ吹く風、ワガハイはふいと顔を反らす。しかしこれがいけなかった。相手のドガースはすっかり怒り心頭で、こちらに『たいあたり』してきたのだ。
『どけって……言ってんだろ!』
顔を背けて澄ましてしまったワガハイは、そのせいで回避が遅れた。しかも相手は大きく、上方からの『たいあたり』をしてきたのだ。
ドウッ
『!』
上からの衝撃。まともに食らったワガハイの身体は下方へ落ちるように吹っ飛び――しかしてピタリと、いやスポリと、その動きが止まってしまった。
はてどういうことだと目を開けると、ずいぶん視界が狭い。丸い形に空が切り取られていて、その丸の外側は真っ黒だ。左右を見ようとしても、なぜか身体が動かない。狭い何かに押し込められて、身体の中のガスがぐるぐるする。
「テメエ、なんてことしてんだ! 追っ払えアオガラス!」
遠くの方でくぐもった怒鳴り声が聞こえる。さっき四本目の筒にいた人間達の、大柄なオスの方の声だ。その叫びのすぐ後、ワガハイに『たいあたり』してきたドガースが慌てた様子で空を横切り、続いて一羽のアオガラスがカアカアと鳴きながら後を追った。その間もワガハイは身動きを取ろうと思って身じろぎするが、丸い身体はうんともすんとも言わない。
そのうちにアオガラスが戻ってきた。奴はこちらを一瞬見下ろしてから、また飛び去る。
するとまた大柄な人間の声が響いてきた。
「小僧! 逃げるぞ、あの煙突にドガースが嵌まった! ここは危険だ!」
……なるほど。人間の言葉に疎いワガハイとはいえ、その切羽詰まったような声色で、さすがに何となく状況がわかった。つまりワガハイが今いるのは、先ほどまでワガハイが陣取っていた筒の中というわけだな。
……どうしよう。
ワガハイは焦った。それは焦った。このままでは身体の中のガスが暴発してしまうかもしれない。いや、それより先に筒からガスが出始めて、ワガハイの身体で詰まって爆発するかも。そのどちらでない場合は、飢えて身体が萎むまで……つまり一生を終えるまで、ずっとここに詰まりっぱなしになってしまう……。
ああ、何ということだろう! ワガハイは絶望した。こんなところで、こんな終わり方があるだろうか。まだマタドガスにもなっていないうちに生を終えることになろうとは。こんなことなら、あの図体のデカいドガースに、素直に場所を譲ってやった方がよかったのかもしれない。だが後悔してももう遅い。ワガハイは自分の不運を嘆き、悲しみに暮れた。
――その時だ。
「おい! おい小僧バカ、何してる! 戻れ! 戻れ馬鹿野郎!」
大柄な人間の怒声が再び始まった。せっかくワガハイが悲嘆を味わっているところなのに、無粋な奴だ。ポケモンの生の終わりを、もっと静かに、しめやかに見守ってくれてもいいだろうに。
おまけにカンカンカンと、筒の下の方から筒を叩くような音がする。おいおいやめろ。ワガハイ達ドガースの身体はデリケートなんだ、少しの衝撃でもワガハイ達の意思に関係なく爆発するんだぞ。それとは別に、自分の意思でも爆発できるが。
そんなことを考えていると、
「お、いた」
切り取られた円形の空を覆うように、ひょこっと人間の子どもが顔を出した。さっきワガハイが無視した、緑と紫の目がこっちを見下ろしている。え? 何をしに来たんだ?
「小僧! バカ、戻れ! さっきの話聞いてたのか、ドガースはちょっとでも変に刺激すると爆発するっつったろうが!」
筒の遠くから人間の叫び声がする。子どもはその声の方角へ、
「大丈夫だよ親方! オレが何とかするよ!」
と叫び返した。そしてワガハイを見下ろすと、
「――爆発、ね。スリルがあるなあ、死ぬも生きるも運次第。へへ、そう来なくっちゃ」
ぺろりと舌なめずりをしながら、そう呟いたのだ。恐らく小さい声だったから、これは他の人間には聞こえていなかっただろう。
人間の子どもは身を乗り出して、こちらに腕を伸ばしてきた。ドガースの身体にはない、細くて長くて、煤で汚れた真っ黒な腕。その二本ともを思いっきり伸ばして、ワガハイの身体の表面に触れる。
「お前、ちょっと身体をちっちゃくできる?」
子どもはほぼ真っ逆さまになりながら、そう尋ねた。問われたワガハイはどうしたらいいか迷った末、身体の中のガスを少し抜くことにした。深く、ゆっくり息と一緒にガスを吐く。子どもが「うえ」とえづいて涙目になった。小さくなれと言ったのはそっちだ、多少は我慢してもらおう。
そうしてできたワガハイの身体と筒の隙間を、子どもの手が慎重に入っていった。
「よーし、見てろよ。このオレの幸運(グッドラック)を」
子どもがゆっくり、ゆっくりと手を上に戻していく。少しずり上がっては腕を曲げ、その分子どもの顔と身体が上に戻る。腕が伸びたら、また手ごとワガハイをずり上げて、以降その繰り返し。
ずりずり、ずりずりと。子どもはカムカメの歩みのように、ゆっくりとワガハイを持ち上げていく。ワガハイも子どもも、息を潜めていた。ひとつ何か間違えば、ワガハイの意思に関係なくワガハイはドガーン、この子どもも巻き添えだ。
子どもの手がワガハイの身体を押し込まないように。
子どもの身体がバランスを崩さないように。
子どもが咳き込まないように。
ワガハイはこれまでのドガース生で一番緊張しながら、子どもの瞳を眺めて時間をやり過ごしていた。子どもの目は、こんな緊迫した状況にもかかわらず、爛々と輝いている。
この子どもは、何をそんなに楽しんでいるんだ?
まさか、さっき言っていた、「死ぬも生きるも運次第」の「スリル」を?
筒を布で磨いている時にはあんなにつまらなさそうにしていた子どもの顔が、爆発寸前のワガハイを前にして、こんなに面白そうに笑っている。
何なんだ、この人間は……。
そこまで思った時、
「よっと!」
と子どもが声を上げ、ワガハイを引っ張った。
ぎゅぽん!
なんだか間抜けな音がして、途端に視界が眩しくなる。ワガハイは思わず目をつぶって、すぐに開いて周りを確認した。
灰色の空、エンジンシティの街並み。下の方には赤い屋根。間違いない、ワガハイが筒に嵌まるまで見ていた光景だ。とすると、ワガハイは無事に帰ってこれたのか!
「へへ、ひゅーう! 上手くいってよかったな!」
子どもは手をワガハイから離し、鼻の下を指でこする。顔じゅうが煤で真っ黒になっていた。よく見れば水滴もびっしりついている。他のポケモンでもたまに見かける、汗というやつかもしれない。
「あー、まだ心臓バクバクしてら! でも、楽しかった~! やっぱ普通の煙突掃除だけじゃ、人生つまんないな」
そう言った子どもは歯を見せて笑う。無事にワガハイを助けた安心感からか、達成感からか。いや、こんな危険なことをわざわざしでかしに来る奴だ。きっと本当に、ただスリルのある冒険をしてみたかっただけなんだろう。
……まったく、とんでもない人間だ。
「なあお前、さっきの見てたぜ。自分よりデカいドガースにも図太くいってたの、なかなかカッコよかったよ。カンロク? っての? すごかったぜ」
子どもはニコニコしながら話す。ワガハイからすれば、そっちの神経こそ尊敬に値する図太さなんだがな。なかなかどうして、面白い人間だ。
金色の髪を揺らし、子どもは手の先を丸めて――後で知ったが、拳というらしい――、ワガハイの方に突き出した。
「オレ、お前のこと気に入ったよ! 友だちになろうぜ」
……どが。
その時、ワガハイはほとんど直感のままに、その子どもの拳に触れたのだ。
――とまあ、ここまでがワガハイと、ワガハイのトレーナーの出会いである。
その後、その子ども……ワガハイのトレーナーは危険な行為を勝手にしたことで、筒、もとい煙突掃除の仕事をクビになった。仕方がないので子どもは旅に出て、ワガハイは子どもについていくことにしたのだ。
まあその後も、何だかんだと紆余曲折あったのだが……まあ、そこまでは今はよかろう。
……え? それで結局、今はどうしているかって?
ふむ、そうだな。それぐらいは語らねば、話のオチもつかんだろう。
では、少しだけ彼の今の話をするとしよう。
時は経って至現在、ここはコランダ地方という場所。
ノートシティと呼ばれるこの町は、エンジンシティよりも人間がいない家が多い。そのためか、悪だくみをして生きる人間やポケモンが隠れ住んでいることも少なくない。
今日も今日とて、一人のオスの人間が、人気のない裏路地を逃げ惑っていた。
「くそっ、何だこの煙! ゲホッ、何も見えねえ……!」
時折咳き込みながら、小脇で暴れる白いイーブイを無理やり抑え込んで抱え直す人間――を、屋根の上から見下ろすワガハイ。裏路地に充満している煙は、ワガハイの二つの頭から噴き出るガスだ。マタドガスに進化し、頭が二つに増えたワガハイから排出されるガスも二倍。入り組んだ迷路のような道も多いこの町では、目くらましやかく乱にうってつけだ。そこに抱えた小さなポケモンさえ放してくれようものなら、少しばかりは手加減したのだが。
人間はわずかでも煙が薄い場所を目指して、路地を右往左往する。彼はやがて、袋小路に行き当たった。
「……ちっ、行き止まりか……!」
悔しそうに舌を打つ彼の様子を見て、ワガハイはちらりと彼の走ってきた方を見た。ふむ、首尾は上々かな。
晴れてゆく煙の向こうから、二人の人間が現れる。一人は白い髪を結い上げたメス、もう一人は金髪を帽子に入れ込んだオス。オスの方は口笛を吹いて、緑と紫の瞳を真っ直ぐワガハイの方に向けた。
「ナ~イス、ロイヤルの旦那! 誘導ごくろーさん!」
彼は――グッドラックは、ニヤリと笑ってチョイチョイ指でこちらを招く。トレーナーに従ってワガハイが下降すると、白髪の人間がボールを片手に、追い詰められた人間へ口を開いた。
「さ、追いかけっこは終わりよわんちゃん。おウチに帰れなくて残念ね」
そう言って白い歯を見せて笑う彼女の名はジャックポット。子ども、もといグッドラックの、現在の仕事仲間のようなものだ。グッドラックの何だかんだの紆余曲折の果てに出会った、素性不明だがノリは合う人間である。
「その辺の通りでちょっと珍しいポケモンをひったくったはいいが、そこが俺達の目の前だったのが運の尽きだな。ま、俺達にとっちゃ幸運(ラッキー)か。大人しく俺達の賞金になるんだな、ポケモンハンターさんよ」
グッドラックの手元からボールが放られ、中からアリアドスのフルハウスが出てくる。彼女の糸は天下一品、どんな暴れん坊とて引きちぎるのは至難の業の頑丈さだ。
いよいよ逃げ場を失くしたポケモンハンターは、「くそっ」と吐き捨て、ボールを二つ放り投げた。開いたボールから、ニューラとエンニュートが現れる。
「行け、お前ら!」
なるほど、最後の悪あがきらしい。グッドラックは横目でジャックポットと目くばせした。
「片っぽほのおタイプだけど、大丈夫そ?」
「誰に言ってんのかしらねえ、ラッキーボーイ?」
「まあそうか。じゃ、行きますか!」
ジャックポットとグッドラック、二人で同時にボールを開ける。出てきたるはシャンデラのリングとコータスのフォーカード。二人の仕事――賞金稼ぎでの戦闘を担当するコンビだ。
フォーカードが地に足をつけた途端、煙も雲も途切れてゆき、その合間から陽光が強く差し込みだす。彼の特性『ひでり』の効果だ。
「ニューラ、『あくのはどう』! エンニュート、『かえんほうしゃ』!」
ハンターの指示で、ポケモン達が二匹に襲いかかる。ジャックポットが左手をひらりと振った。
「頼むわ」
「任せな! じーさん、『あくのはどう』に『まもる』!」
シャンデラがコータスの陰に隠れる。じーさんと呼ばれたコータスは、のんびりした顔に反して、サッと守る態勢を取った。シャンデラを狙った『あくのはどう』は、『まもる』に阻まれあえなく消失する。
「火は欲しいだろ?」
「そーね、あればあるほど」
グッドラックに問われたジャックポットが指差して、反応したシャンデラが躍り出る。エンニュートの『かえんほうしゃ』を直に浴びると、頭の蒼炎が一層燃え盛った。シャンデラの特性『もらいび』によって、火力を上げたのだ。
「リング。『れんごく』」
ジャックポットの一言で、シャンデラの炎がぶわりと広がる。『もらいび』が発動した上に、じーさんのおかげで天候はほのおタイプに有利な晴天。
青い炎は狭い裏路地を一瞬で火の海にし、狙ったエンニュートどころかニューラまでもを飲み込んだ。
「お、お前達……! うわっ!」
丸焦げになったポケモン達を見て怯えた声を出すハンターが、その次の瞬間悲鳴を上げた。バトルの間に音なく壁を張って移動したアリアドスが、ここぞとばかりにハンターへ『クモのす』をかける。粘着質な糸に捕らわれて、思わず手の力を緩めたらしい。ハンターの小脇からイーブイが転がり落ちた。
「イエーイ!」と歓声を上げてそこに駆け寄ったのは、グッドラックの方だ。
「やっと捕まえたぜ、青い輪付きのならず者! お前ら全然捕まらねえんだもん、賞金稼ぎも商売あがったりで大変なんだからな~! ま、これで今日はパーッと賭け三昧だぜ!」
高くなった背を思いきり仰け反らせて、「ワ~ハッハ!」と高笑いするグッドラック。傍から見ると、どちらが悪者かわかったものじゃない。
……そう、何を隠そうこの元子ども。紆余曲折を経た結果、賞金稼ぎとギャンブラーになったのだ。今はガラル地方を遠く離れ、このコランダ地方で悪しき人間を捕まえては日銭を稼ぎ、その宵を越さないうちに賭けバトルに興じている。図体ばかりは大きくなったが、スリルを求め、自分の幸運を試したい心は子どもの頃のまま。しかも、だいたい賭けに負けてはみっともなくべそをかく日々だ。しょうもないといえばその通りだが、その分今のような捕物や、賭けが上手くいった時の、輝かんばかりの双眸も昔と変わらない。ワガハイはその輝きを見るたびに、まあいいか、という気になってしまうのであった。
この輝きが続かんことを願ってしまったのは、他ならぬワガハイなのだから。
ぶ、いぶい!
捕らわれていた白いイーブイが声を上げる。グッドラックとワガハイで振り向くと、路地の向こうから人間のメスが一人、「イーブイ!」と必死な声を上げながら駆け寄ってきた。
「イーブイ! よかった! あの、ありがとうございました……!」
胸に飛び込むイーブイを抱き留めながら、彼女はグッドラックに頭を下げる。さらさらと流れる長い髪に、儚げな美貌と華奢な体躯。見目麗しいその姿に、グッドラックがあからさまに舞い上がる。
「いやあ、どうってこたあないですよ、お嬢さん! 貴女の悲鳴が聞こえなかったら、俺達も事件に気が付かなかった。でももう大丈夫ですよ」
「ありがとうございます……本当に、何とお礼を言ったらいいか……!」
「いやいやあ! そんな、大したこたあ、ねえ~」
右手で頭の後ろを掻きながら、左手はこっそりコートの下に伸びている。連絡先をいつ聞かれてもいいように、スマートフォンをスタンバイさせているのだ。
「そうだお嬢さん、ここいらはまだ危ない。よければこの俺が、お家までお送りしま――」
「おーい! 大丈夫か!」
キラッキラに煌かせていたグッドラックの背景が、野太い声でかき消される。『お嬢さん』はパッと振り向き、頬を紅潮させた。瞬間、凍りつくグッドラック。
「あなた! 大丈夫よ、この方達がイーブイを助けてくれたの」
ぶい~
『お嬢さん』がそう声をかける先は、屈強な体格の人間のオス。彼は流れるような動作で『お嬢さん』の肩に手を置き、彼女と同じようにグッドラックに頭を下げる。
「いやあ、妻がお世話になりました。俺が用足しに離れている間にこんなことに巻き込んでしまって面目ない。このノートシティにも、優しい人がいたもんだ」
「ええ、本当に助かりました。いつかお礼をさせてくださいね」
『お嬢さん』はカバンからメモを取り出し、さらさらと何かを書く。おそらく連絡先であろうメモを、ほとんど真っ白な灰と化したグッドラックの手に握らせた。
「それでは」と言って、人間の番とイーブイが出発する。あとには魂の抜けかけたグッドラックと、侘しく吹く木枯らしが残った。
――いや、正確にはジャックポットも残っている。彼女はグッドラックのやり取りを丸っきり無視して、ポケモンハンターを本格的に捕縛していた。だが。
「あ? ッチ、またかよ! ラック、コイツダメだ! また記憶飛んでやがる!」
おかしくなったポケモンハンターの様子を見て、ジャックポットが吠えるように言う。グッドラックの身体がビクリと反応した。
一言解説しておくと。グッドラックとジャックポットが賞金稼ぎに追っている人間の中に、最近青い輪を身に着けた者が増えている。不思議なことに、彼らを捕らえて然るべきところに送り込もうとすると、突然彼らの記憶が消えてしまうのだ。それがポケモンの仕業か、人間の仕業かはわからない。ただ確実に言えるのは、記憶を失くしてしまった以上、証拠不十分で彼らの賞金額もほとんど失われてしまうということ。
眉間に皺を寄せるジャックポットの隣で、震えだすグッドラック。狙っていた人間のメスにはそうと知られないままフラれ、賞金もロクにもらえない始末。
こんな時のオチは決まっている。
「……ロイヤル。せーの、」
どか~~~~~ん!!!
「ハイ、爆死(バースト)~~~~~~!!!」
さもありなん。運命を共にしてこそのパートナーだ……。
コランダ地方で輝く君へ。
いつかは勝ち取れ大逆転、その往く道に幸運あれ。
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