海上へ(前)

 ビーッビーッと警告音が鳴り響く。同時にEBEの群れで覆われていた上方が、ぬうっとさらに深い影で塗り潰された。せっかく微かに見えていた太陽の光も遮られる。
 『海面付近に巨大敵性反応あり! ――海に侵入してきます』
 第三大隊の誰かが入れたオペレーションで、テッカドンは上を仰いだまま構えた。テッカは背中に伝う汗を感じながら、ごくりと唾を飲み込む。隣のミライカの雰囲気も引き締まった。
 『おいでなすったね』
 「うん。……<女王>しゃんのお出ましったい」
 ざぶり、と影が海面を割った。割れた破片のように泡が立ち、影の表面を滑って海上に出てゆく。飛沫のカーテンが幕を引いた後には、顔のような目のような、異形の巨体が現れて、こちらをじっと見下ろしていた。
 それは前回の戦闘でも、赤い空を割るようにして潜航機動隊の前に――いや、上に現れた存在だ。EBEを殲滅したと思ったら姿を見せ、こちらを見定めるがごとく目をぎょろりと動かして、そして夥しい数のEBEを産み落としていったモノ。新都心評議会は、あれのことをEBEの<女王>と呼んでいる。なるほどEBEを産んで増やし、それらを従えて統べるのであれば、あれはまさしくEBEの女で王なのかもしれなかった。
 『彼女』が訪れなかったら、EBEの追撃はなかった。潜航機動隊の一部が再出撃する必要もなかったし、そのすべてが戦死する必要もなかったし、その生き残りもEBEに蝕まれて討たれる必要もなかったのだ。
 ――でも、テッカの隣のミライカは、その全部を被った。ミライカだけではない、ノヅチも、第一大隊隊長の神坂タイガも、他の第一大隊の皆も、他の大隊の皆も。
 「………。」
 テッカはふーっと、長く、深く、息を吐いた。震える指でサングラスを掛け直した。眉間に力が入る。操縦桿を握る手に力が入る。
 ――あれんせいで、ミイちゃんは。ノヅっちゃんは、隊長は、皆は。
 じいしゃんは、親父とお袋は、リッカ達は。
 ワシは。
 その時海の中が揺れた。<女王>が何か音を発して、その波が水を震わしているらしい。何かを言っているようにも聞こえるが、生憎テッカには聴き取る気がなかった。戦闘への挑発であろうと襲来の弁明であろうと、EBEの言い分には興味がない。対話で解決できる相手ではないのはさすがのテッカでもわかっている。
 できることは唯一つ。この<女王>達との、喧嘩だけだ。
 「お前だけは、一発殴らんと気が済まん! ノアが通るけん、一発殴らせてそこを退け!」
 テッカは吠えて、飛び上がる。他のアトランティス達も前線に出た。

 使えるものは何でも使う。今更苦手だから等と言い訳していられない。
 テッカはテッカドンの背中に搭載されたグレネードランチャーを下の腕で引っ張り出し、敵の大群に向けて発射した。元来近接戦闘向きのテッカドンが少しでも動けるように、遠距離武器はとっとと消費して使い捨てたい。
 「いよいしょお!」
 海流によって射線がぶれる。それでもEBEの数は多いのだ、下手な鉄砲も当たるだろう。そう踏んでいたテッカの前方から、突然警告音が再発する。ほとんど同時にテッカドンのモニターにEBEの陰が映った。<女王>より遥かに小さいが、今までのEBEよりは大型だ。テッカドンに向かって真っ直ぐ、勢い良く突っ込んでくる。みるみるうちに影が近づきあわや衝突のところで、
 「うお!」
テッカは咄嗟にランチャーをぶん回した。射撃武器のはずのランチャーを鈍器にしてEBEを迎え撃ち、その流線型の体躯を横殴りにする。叩いたのは流線型の先のところで、そのEBEの楕円形の身体からは手と呼ぶには薄っぺらいパーツがついていた。楕円の向こうは長く伸びて、さす又のような形の尻尾がついている。
 EBEは殴打の衝撃で一瞬動きを止めたが、すぐに再びこちらを向いた。楕円の下部が開いて、何重ものギザギザした歯が見えた。さす又の尾を上下に一振りするだけで、ぐんっと距離を縮めてくる。
 「く!」
 テッカはランチャーを横に薙ぐが、EBEも同じ轍は踏まないらしい。前進しつつするりと躱して、ぐわっと口を開けた。
 ――噛まれる!
 反射でブレードを抜き、上腕から振りかぶるテッカ。同時に機体を反らして牙を避ける。EBEの方もブレードに気付いてわずかに軌道を変え、刃はその身を皮一枚裂くだけに留まった。
 「何やコイツ、変な形しとおと。掴むとこも殴れるとこもなか」
 テッカが言うと、ミライカも口元に指を当てて目を細める。
 『厄介だね。身体が細長いせいで、こっちより速く泳げるらしい。気を付けな』
 「うん、おっと!」
 碌に返答する間もなく敵が再突撃を仕掛けてくる。何とか回避し、突撃の勢いで通過していくEBEの後ろからランチャーを打ち込んだ。が、敵の方が弾より速い。突き放すように距離を取り、旋回して射線を逸れた。もう一度突っ込んでくる。
 「泳ぎやすい身体の分、手足がなかけん攻撃の仕方が少なかとね。しょんなら!」
 テッカは、今度はその場で動きを止めた。ランチャーを構えてギリギリまで引き付け、EBEの口が目の前に来た瞬間、
 ズンッ
トリガーを引いて迎撃する。さすがに超至近距離では回避できないようで、グレネードはEBEの顔で爆発した。
 「よっしゃ……」
 爆風でモニターにノイズが入り、テッカが目を眩ませた時。
 『テッカ!』
 ノイズが晴れて一瞬映ったのがEBEの口内だとわかり、テッカは上の右腕で頭部を庇う。刹那、黒の腕に歯牙の檻が降りた。
 「ッぐ、ぬおおおおお!」
 頭の代わりに差し出したテッカドンの腕を噛んだEBEは、そのままグンッと加速した。アトランティスの稼働速度を超える動きにテッカドンのなすすべはない。EBEがぶおんと首を振り回し、ついに腕の耐久がブヂンと音を立てて負けた。
 「ああああああああ!」
 『テッカ!』
 右肩が瞬時に燃えだし、焼ける痛みが襲い掛かる。脂汗がぶわりと湧いた。前の機体では操縦する腕を切り替えることで痛覚信号を受け取らずに済んだが、今回は同時に四本ともの腕を稼働できる代わり、通信の切り替えができない。テッカは叫喚しながらもなお操縦桿を握りしめた。
 「っま、だ! フーッ……下が、残っ……とお! ぐうう……!」
 肩で息をしつつモニターを睨む。敵はもうこっちに向き直っている。グレネードが少しは効いたのか顔面は先ほどより崩壊しているが、皮が破れて露わになった歯牙の列は一層凶悪に見えた。
 「アイツ、らも……! <女王>ば守る、ために……! なりふり、構っと、らんとね……!」
 テッカはブレードを構えようとして、しかしどの腕にも、腰にもないことに気が付いた。ブレードは上の右手に握ったまま、さっき庇った時に腕ごと食われたのだ。それがわかると、テッカは歯を食いしばった。
 「っばってん! そげなん、ワシも……! おんなじとよ!」
 EBEがまた向かってくる。テッカは弾のなくなったランチャーを手放した。三本の腕を広げ発進する。敵の口が開いた。大破した黒の腕とブレードが見えた。
 「返しんしゃい! こん、クソEBE!!」
 上顎を上の左腕で、下顎を下左腕で捕らえる。EBEが顎を閉じようと力を込めるのを、テッカもまた踏ん張って押し戻す。
 「ふんぎぎぎ……!」
 『テッカ! 無茶するんじゃないよ』
 ミライカの声が聞こえて、テッカはむしろ力を一層込めた。歯を食いしばったまま、唇を上げて笑う。
 「だ、い、じょおぶ……! ワシ、は、もう……負けん、と!」
 今まで何度も死にかけて、その度に命を放り出しかけた。今死ねば、今負ければ、今諦めれば。そんなことを、もう何回も繰り返した。
 それでも毎回、誰かの声で我に返った。リッカやヒャッカ達の声、祖父の声。そしてさっきも今も、ミライカの声で。
 「さっき、ミイちゃん、言うたとね! 守りたかったっちゃ、ワシが生きなきゃって」
 顎を掴んだまま、下の右腕をEBEの口に突っ込む。痛覚信号で馬鹿みたいに痛い腕を、限界まで伸ばす。
 「やけん、ワシ、生きる、とよ! 最後まで……最期まで、もう、放り出さん! 今、アンタが、隣で呼んでくるうけん!」
 ガシリ、口内の腕の僅かな繊維を掴んだ。引きずり出してブレードを掴んだ。
 「おおおおおお!」
 推進力をブーストさせ、じりじりとEBEを押す。敵の力が一瞬だけ弛んだ刹那、ぶおんと腕を振り回して巨体を投げた。下がって距離を取る――前に相手が突っ込む。ズンッと腹を突かれた。
 「っグエ……ッ」
 思わずえづく。コクピットに胃の中のものがバシャリと付いた。ふわりと浮いたテッカドンに、今度こそEBEは口を開ける。
 それでもテッカは、
 「げほッ……しゃ、あ、しか!」
上腕でブレードを掲げ、下腕の拳を固めた。機体を捻って、EBEの口に突っ込んでいく。
 「ウラああああああ!」
バキバキバキバキバキ!
 上顎を切りつけ、そのまま口内からEBEの中に突っ込む。刃で上を切り裂きながら、狭い体内を拳でこじ開けて進む。巨大なEBEの体内とて広さは有限、行き止まったところで刃を向けた上の方へ推進し、EBEの背に向かった。
 『テッカ、お前なんてバカなやり方……!』
 呆れたような心配するような、どちらともつかない声音でミライカが言う。テッカは脂汗だらけの顔で、にっかり笑った。
 「にゃはははは! ワシゃあ六層のバカやけんね!」
 上を切りつけ左右を押し広げ、上を上を目指す。EBEの固い肉を、骨を、下の両腕の骨が軋んでも押す。
 「敵も殴れん掴めん奴やし、もう腕も言うこと聞かん! そんで全力ぶちかますっちゅうっちゃ、もうこれしかできんとよ!」
 相変わらず苦しいし、しんどいし、痛みがひどくて意識が飛びそうだ。EBEへの、先に多くの人が死んだことへの怒りが、悔しさが、哀しみが、吐いて空っぽになったはずの胃でまだ渦巻いて体を熱している。
 最低最悪につらいのに、それでも、いや、それだからか、テッカは笑えて仕方なかった。
 「ワシは! 最後まで! 全力ぶちかまして、生きてやるったい、はは、にゃはははは!!」
 バキ、バキ、ゴキメギバギメギ!
 ブレードが肉を断つ。下腕の拳が骨を砕く。ゴウとブーストを最大限にかけて、
 バギン!!
とうとうテッカドンがEBEの背を割った。下方に裂いたEBEの反応が出て、すぐに消える。テッカ達が吞まれている間に暴れたらしいEBEは、いつの間にかずいぶん海を昇っていた。EBEの群れを抜け、視界が広がったその先に、恐ろしい目がある。見間違えるはずがない、<女王>の目玉。
 ――今しかなか!
 「炎谷テッカ! <女王>に近づいた! ケラウノス発射許可ください!」
 テッカは叫んだ。素手やブレードで敵う相手ではないとわかっている。一発殴れるとしたら、今のテッカにはケラウノス――全生命体殲滅兵器しかない。
 ミライカがこちらを見ている気がする。もしかしたら見ていないかもしれない。事実はどちらでもよかった。
 見ててくれとったっちゃ、嬉しかな。
 そう思った。
申請許可の通達がモニターに現れる。
 「にゃはははは!! 炎谷テッカ機!! ケラウノス、発射すると!!」
 眉間に力を入れて、口を大きく開けて、テッカは大声で笑った。

 テッカドンの口が開いて、テッカがゲラゲラ笑って、テッカドンの口から、熱光線の白が輝いた。

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