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すっとんとん

 ぶっびび、ぶっびび
 ブビィのキーロが、小さな両手いっぱいに赤紫色のサツマイモを抱えて鼻唄を歌う。わたし達の前を歩くひふきポケモンを、わたしの隣でエンブオーのアザラインがにこにこ見守っている。彼女の両腕には、キーロの何倍も何倍も大量のサツマイモが入った箱があった。わたし達は食事の準備のお手伝いで、キャンプ地の食糧庫からサツマイモを運んでいるところだ。森を拓いた空き地はふかふかの土で覆われ、踏みしめるごとに青草の香りを感じる。上空は濃いスカイブルー、今のところ雲はほとんどない。その代わり天を衝く紫の光の柱は、昨日より数が増えている気がする。
 「今日もいいお天気ね。このままご飯ができるまで、雨が降らないといいけれど。お芋を運んだら、わたし達もまた調査に戻りましょう」
 ぶお
 元々このサツマイモ運びは、調査に向かう途中で後方支援担当の人に頼まれたものだ。力が自慢のアザラインは、自分の大活躍できる仕事ができて始終嬉しそうにあごの青い火を揺らめかせている。キーロは調査ではボールに戻らざるを得ないので、今のうちにできることを手伝いたいと張り切っていた。
 すると、
ぶ!
キーロの体がべしんと地面に倒れる。小石か木の根につまずいたらしい。
 「まあキーロ、大丈夫?」
 わたしは自分の箱をアザラインの持つそれに乗せて、キーロを起こす。元から赤いブビィの身体だが、ちょっとあごの辺りの色が濃い。ただし幸いにも出血はなく、他にケガしたところもなさそうだ。キーロも「ぶ!」と笑う。
 よかった、と息をついたところで、
わん!
すぐ前の方から甲高い鳴き声がした。びっくりしたキーロがほとんど垂直に跳ねる。わたしが顔を上げると、レモンイエローのふかふかした襟巻きを巻いたようなこいぬポケモンが、サツマイモをくわえて尻尾を振っている。その後ろには、やっぱりサツマイモを数個持った人が、ちょうどわたし達に合わせて屈もうとしていた。
 「大丈夫か?」
 パステルパープルと薄桃色の長い三つ編みがさらりと肩から流れ落ちる。まるでかつてアローラ地方で見た、ポニの花園の花のようだ。でも声はそれなりに低いから、恐らく男の人らしい。彼のアサガオのように青い目が、キーロのあごを覗き込んでいる。
 「よければ、きずぐすりがあるが」
 「まあ、ありがとうございます。でも消耗品をいただくわけには……」
 「いや、たくさん持っているから気にするな」
 青年はそう言ってきずぐすりを取り出す。ここでさらに断っても、むしろ彼に失礼だ。わたしは素直にスプレーを受け取った。
 「それでは、お言葉に甘えて。ありがとうございます、ええと……」
 「アオイだ。リフィアタウンのアオイ。ワンパチの方はフクジュ」
 アオイさんに名前を呼ばれると、足元のワンパチがサツマイモをくわえたままにこっと笑う。
 「アオイさん、ですね。よろしくお願いします。わたしはダグシティジムトレーナーのトニといいます。こちらはキーロ、後ろのこの子はアザラインです」
 それぞれを紹介してから、「それでは」とスプレーをキーロの腫れたあごに一吹き。するとブビィも「びゅん!」と炎を吹いた。多少しみるのは我慢してもらおう。炎がいつもどおり鮮やかな黄色だから大丈夫だ。
 元気になったキーロの前に、フクジュさんが出る。顔ごとサツマイモを差し出してきたのでキーロが受け取ると、
わん!
フクジュさんはピンクの舌を出して笑った。それで、彼やアオイさんやわたし達の周りに、まだ赤紫色が転がっていることに気づく。
 「ああ、お芋を拾わないと」
 「私達も手伝おう」
 わたしが地面に手をついて散らばったサツマイモを手に取ると、アオイさんも一度立ち上がって目を落とす。アオイさんとフクジュさんが拾ってくれた分を合わせても、キーロが抱えていたサツマイモとは数が合わない、と思う。
 「すみません、急にお手伝いいただいてしまって」
 「いや。……フクジュ? そっちはダメだ」
 アオイさんが、言葉の途中からその宛先をフクジュさんに切り替える。見てみると、フクジュさんのふわふわしたお尻が茂みから出ていて、あっという間にそのお尻も吸い込まれてしまった。
 ぶび!
 「あっ、キーロ」
 ワンパチを追ってキーロが茂みに飛び込む。わたしとアオイさんで茂みを覗き込むと、道から外れたそこは緩やかな下り坂になっていた。ころころと何かが坂を転がっていき、二匹はそれを追っている。
 「フクジュ、戻れ!」
 「まあキーロ、ダメよ!」
 わたし達はサツマイモを転がらないように置いて、わたしの腰まである茂みに入る。アザラインも箱を置いてついてきてくれた。
転がっているのはサツマイモだろうか。落とした拍子に坂のふちまで転がって、何かのはずみで下り始めてしまったのかもしれない。しかしその正体を確認しようと目を凝らすそばから、その塊はぐんぐん離れて小さくなってしまう。斜面に生える木の根に足を掛け、枝に掴まりながら、わたしとアオイさんはどんどん下りていった。
 やがて下の方に、平らに見える地面が現れた。塊はなおも転がり、坂を下りきっても勢いそのままに転がり、
すぽん
突然消えた。
 ぬわ?
 ぶ?
 先に地面に着いたフクジュさんとキーロが、塊の消えた辺りで地面をじっと見下ろす。ようやく追い付いたわたし達も、二匹の近くで足を止めた。
 「これは……」
 「穴……ですね」
 アオイさんの言葉をわたしは引き継ぐ。わたし達の足元の地面には、硬い石か土の固まりで周りを囲まれた穴が空いていた。近くで見ると意外に大きく、人間が落ちてしまえるほど。塊は消えたのではなく、この穴に落ちていったのだ。
 「ここに落ちていったのは、お芋だったでしょうか……?」
 「どうだったろう」
 わたしとアオイさんで穴を覗き込む。中は恐ろしいほど真っ暗闇で、底が見えない。これは普段から浮遊しているランプラーのインディゴに拾ってきてもらうしかないだろうか……そんな思いがよぎった、その時だった。
 カッ
 「きゃ!」
 「うわ!」
 突然穴から強い光が放たれ、わたし達はとっさに目を瞑る。数歩下がって瞬きしながら何とか目を慣らすと、改めて目の前の穴から溢れる光を見て息を飲んだ。
 「これは……ダイマックスの巣穴?」
 その紫の輝きは間違いなく、この森を訪れてからずっと眺めていた、天高くそびえる光の柱と同じ色をしている。ポケモントレーナー達を誘う挑戦的な強いネオンカラー。でも、その誘う先が文字通りの深淵だったなんて。
 「お芋を放り込まれたから、光っているんでしょうか……」
 「いや、まさか……」
 二人と二匹で呆然としていると、穴の向こうから人影がぼんやり見えた。相手の方も二人いる。
 「お二人。ケガはないかの」
 人影は穴の周りをぐるりとまわってわたし達の前に現れる。するとアオイさんが、さらに目を丸くして驚いた。
 「貴方は……」
 わたしも、逆光に目が慣れてから人影の正体に気づいてびっくりした。大きくふくよかな体に豊かな白銀の髪。にこやかに細められた瞳を、直接目の前にしたのは初めてだったけれど、リーグ関係のメディアのあちこちでわたしは一方的に知っている。ダグシティのお隣、グリトニルシティのジムリーダーだ。名前は確か、ベリルさん。
 「ルーミィくんとこの近辺を調べていたら、斜面を滑り降りてくるきみ達が見えてね。山の斜面を滑るのは危ないよ」
 「す、すみません」
 ベリルさんの言うことはもっともだ。わたしは素直に頭を下げてから、ベリルさんのすぐ隣を見る。もう一人の人影はミネラル・バイオレットの髪をした女の子だった。恐らくこの人がルーミィさんだろう。彼女の腕には、変わった毛色のニャースが抱えられている。わたしが見たことのある一般的なニャースとも、アローラ地方のそれとも違う。
 「ベリルさん、こちらの巣穴も調べますか?」
 ルーミィさんの言葉で、わたしははっとした。そうだ、この森での調査対象は、まさに今目の前にある紫の光とそれを放つ巣穴。巣と呼ばれるからには中にポケモンが潜んでいるのだろうけど、わたしはどんなポケモンがいるのかを知らない。ただ、危険を考慮して巣穴には必ず四人で入ることを、調査団本部から聞いている。
 ベリルさん、ルーミィさん。それに、もしアオイさんも調査部隊の人なら――。
 一瞬思い浮かんだ言葉、その続きを考えて、自分でどきりと心臓を跳ねさせる。わたしはかつてずっと一人で絵を描いていた。ダグシティジムの学芸員になった今も、その業務の大半はギセルさんやハウンドさんと分担して、基本的に一人でやっている。誰かとチームを組むことは、人生の中でほとんど、いや滅多になかったと言っていい。
 上手くできるかしら。そう思うと口の中が乾くようで、でもわたしは首を振って不安を追い出す。
 カキョウ先生もハウンドさんも、海にいる。ギセルさんも森のどこかで調査を続けている。ダグシティジムのメンバーとして、わたし一人が上手くできないわけにはいかない。
 わたしは誰にも聞こえないように、すうっと息を吸った。
 「あの、グリトニルシティジムリーダー。僭越ながら、わたしにも調査のお手伝いをさせていただけませんでしょうか」
 悠然とした佇まいのベリルさんを見上げて、わたしは言葉を紡ぐ。カキョウ先生以外のジムリーダーに話しかけるのは初めてで、動悸が依然止まらない。ベリルさんはひげを右手で撫でながら笑った。
 「ぼくのことを知っているんだね」
 「はい。わたしはダグシティジムのジムトレーナー、トニと申します」
 わたしはもう一度、今度は挨拶のつもりで頭を下げた。視界の端で、キーロが私の真似をしてぴょこんとお辞儀する。
 頭を上げて、ベリルさんを仰ぐ。この方はまるで、雄大な山のようだと思った。
 「実は、穴に落とし物をしてしまって。落ちた後、穴から光が湧いたのです」
 「ほう、落とし物。興味深いのう。巣穴の主が、その落とし物に反応して起き出したのやもしれん」
 巣穴の主、という言葉にもドキドキする。これから向かうこの巣穴の先には、いったいどんなポケモンがいるのだろう。知らないポケモンに会う時の緊張は、まるでアザラインと一緒に旅を始めたばかりの頃のそれと同じだ。しかも、今度は一人ではなく、三人の誰かが一緒。
 わたしは息を整えて、普段通りの話し方に気を付けた。ベリルさんだけではなく、ルーミィさんの目と、アオイさんの目も見た。
 「よろしければ、調査にご一緒させてください。わたしも興味があります。ぜひ、よろしくお願いします」

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