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夜の森で白昼の海に会う


 ここは鬱蒼とした森、時忘れの歪。
 昼は木漏れ日がさんさんと降り注いで空気を温めてくれるけれど、夜になるとその熱も消えてなくなってしまう。そんなわけで調査隊のキャンプ地では、あちこちで明かりと暖をとるための焚き火の煙が上がっている。
 そこで火の扱いに慣れているわたし達は、点火や火力の調整の手伝いをするため、キャンプ場のあちこちを回っていた。
「オーマオマオ、さっきのところの火が点いたか見てきてくれる? まだ燻っていたら点けてあげてきて。ありがとう。あら、探し物ですか? インディゴ、そばに行って照らしてあげて。どうぞ、この子の灯りを使ってください。――あらキーロ、ちゃんとピザ窯のお手伝いできた?」
 ぶび!
 ガラガラとランプラーが離れたのと入れ替わるように、ブビィのキーロが、黄色い炎を吹きながら得意気に胸を反らして歩いてくる。わたしの隣のアザラインが、笑いをごまかすためにあごの炎を一層燃やすのが、温度でわかった。
 キーロは万歳するようにして、両手で何かを高く掲げていた。よく見ると、ピザが一枚乗った鉄板だ。
 ぶ!
「まあキーロ、それはどうしたの? いただいてきたの?」
 ぶびぶび
 喜色満面でうなずくキーロ。ブビィの体温でまだ鉄板が熱くなっているらしく、ピザがジュージューと音を立てていた。
「お手伝いのつもりだったのに、逆にこちらがお礼を言わないといけなくなったわね。いいわ、後で鉄板をお返しした時にお礼を言いましょう。アザライン、これ受け取ってくれる? キーロ、オーマオマオ達を呼んできてちょうだい。みんなでいただきましょう」
 道の真ん中でピザを食べるわけにもいかないので、わたしはキャンプ場の端に寄りながら二匹に指示を出す。キーロは元気よく火を吹いて返答し、アザラインに鉄板を渡してまた飛び出していった。残ったアザラインが、テーブル代わりの切り株に鉄板を置く。わたしは耐熱性の手袋をポケットから出して、両手にはめた。
「ふふ、こうしていると旅していた頃を思い出すわね、アザリー」
 ぶぉん
 熱の移ったピザカッターを手に取りながら言うと、わたしのパートナーは笑ってうなずく。夜の黒とみんなの炎の色に囲まれながら、野外でご飯を食べるのはいつぶりだろう。
「コランダ地方では、ダグシティジムでカキョウ先生にお会いして以来、ダグに住むことを決めちゃったものね。地方のあちこちに行ったことはあまりないから、やっぱりわくわくしてしまうわ。それに……」
 ピザを六等分にしたカッターを置いて、わたしは顔を上げる。最初にこの森を訪れた瞬間にわたしの目を奪ったもの――森の随所から空へ伸びる光の柱、その紫色は今見るとさらに鮮やかだ。
「……あんな色は初めて見た。ここにいる間、休憩中に描けるかしらね」
 ぶぉ
 調査が目的とはわかっているが、新しい景色、新しく見る色に心惹かれてしまうことを、どうか許してほしいと思う。それほどあの光は、ポケモントレーナー達に対して挑戦的な色だ。海の調査に行ったカキョウ先生達も、同じ色を見ているのだろうか。だとしたら、カキョウ先生はあの色をどう描くのだろう。もし、ここにアルス先生がいたら、彼ならどの絵の具を選ぶのだろう。
 いろいろと考えてしまうけど、その作業も楽しい。わたしの旅はとっくに終わったはずなのに、何だかその続きをしているような感覚がした。こうしてアザライン達と、切り株をテーブルにご飯を食べるとなると、特にその感覚が具体的になる。
 ぶび~!
 キーロの声が聞こえる。顔を向けると、さっきとは違って困ったような顔をしていた。火も吹いていない。
「キーロ、どうしたの?」
 ぷら~っ
 キーロに代わってわたしに答えたのは、キーロの上に浮かぶランプラーのインディゴだった。藍色の炎をゆらゆら揺らし、おろおろしたように漆黒の腕をわたしに伸ばす。わたしとアザラインは、はっと顔を見合わせた。インディゴがこんなに動揺するのは、決まって彼女の妹のことなのだ。
 わたし達は慌ててその場を見回すが、インディゴの妹――ヒトモシのヴィオレットのすみれ色の炎は、どこにも見当たらない。さっきまではわたし達についていたのに。
「まあ、ヴィオレット! どこに行っちゃったのかしら」
 
 
 ピザはひとまず鉄板ごとインディゴに持ってもらい、四色の炎と元来た道を引き返すこと数分。ある焚き火の赤の近くに、小さなすみれ色をようやく見つけた。傍にはひとりの女の子が丸太に腰掛けて、その隣にスカタンクを座らせている。
「ヴィオレット!」
 もし!
 わたしが呼ぶや否や、小さな蝋燭が勢い良く振り向いた。ほのおタイプのポケモンなのに、目にはいっぱいの涙が溜まっている。
 もし、もしもし~!
 ぷら~!
 溜めた涙をぼろぼろこぼしながらこちらに飛んでくるヴィオレットを、鉄板を放り投げながらインディゴが受け止める。慌ててオーマオマオが、宙を舞うピザと鉄板をキャッチした。
 迷子のお叱りとあやしは姉に任せることにして、わたしはヴィオレットが傍にいた女の子へと視線を合わせる。女の子は大きな瞳でぱちぱちと瞬きした。
「こんばんは! あのヒトモシはあなたのポケモン?」
「はい、ヴィオレットといいます。ご迷惑をおかけしたようで、すみません」
「お話してただけだから大丈夫! ヴィオレットっていうのね、だから間違ってついてきちゃったのかしら」
 女の子がスカタンクの方を見る。
「この子がヴィオレっていうの。名前が似てるわね。ヴィオレのこと呼んでたら、あの子がいつの間にか後ろにいて」
「そうでしたか……うちのヴィオレットは慌てん坊で。おっしゃる通り、勘違いしたんでしょうね」
 わたしはスカタンク――ヴィオレに向かって笑ってみた。ヴィオレはこちらを一瞥すると、すんとそっぽを向いた。
 ふと、わたしは焚き火に照らされる女の子の髪の色に目を留めた。赤い炎に照らされて輝く、ウルトラマリンブルーからスカイブルーへのグラデーション。海面に浮かぶように、あるいは空に舞うようにチェリーピンクのメッシュが見える。わたしはこの子の髪を、確かに以前見た。
「あの、違っていたらすみません。あなた、復活祭でカキョウ先生……ダグシティジムのジムリーダーに宣戦布告しましたか?」
 試しに尋ねると、女の子は桃色の瞳をさらに丸くする。
「え! 何で知ってるの?」
「あの時、わたしも焚き火の近くにいたものですから。声が聞こえたんです。わたし達のジムリーダーに堂々と挑戦する、あなたの凛とした声が」
「『わたし達の』?」
 女の子が首を傾げると、青の髪もさらりと揺れた。わたしは帽子を取って両手を重ね、会釈する。
「申し遅れました。わたし、ダグシティジムのジムトレーナー、トニといいます。よければ少しお話ししませんか?」
 わたしは嬉しくなった。復活祭の夜、カキョウ先生に挑んだこの女の子に、強く興味があったのだ。こんなところでまた会えるなんて、とてもラッキーだ。
 せっかくだから、ピザも一緒に食べられたらいい。キーロにお願いして、また温めてもらおう。
 六等分をさらに分けて、十二等分なら足りるかしら?

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