花ノ卵

 ここはリフィアタウン。緑の森が一面を覆う山々の合間に位置する町。澄んだ空気と草木の青い匂いに混じって、今は花と屋台に並ぶ甘いものの香りが広がっている。この町は「クッカ・ムナ」と呼ばれるお祭りの真っ最中だ。
 雪の町フィンブルタウンから出たことのなかったミユキは、初めて目の当たりにする陽気で暖かな花の祭りの雰囲気に圧倒されてばかりだった。
 「ええと、どっちさ行ったらいいんだべ……あっ、ご、ごめんなさい! またぶつかっちまった。あれ、さっきと何か景色が違う……?」
 色とりどりのガーランドと花飾りに目を奪われた途端、すれ違いざまに人とぶつかってしまう。慌てて謝って前を見るが、ぶつかった時に身体の向きが変わったことにミユキ自身は気づいていない。完全におのぼりさんだ。
 「い、いやいや、ともかく歩かねえと。パウちゃんを見つけるには、いろんなとこを探さねえとだ。な、タマちゃん」
 ぱう……
 両手を軽く拳にしてふんすと気合いを入れるミユキが目線を送った先は、これまた色鮮やかな風船が白いお腹に括られたタマちゃんだった。その表情たるや、純朴な主人の思いついたパウワウ……もといタマザラシ捜索作戦の、あまりある斬新さへの諦念がありありと浮かんでいる。内心「あんまり上手くいかないんじゃないかな……」と思わないでもないタマちゃんだが、せっかくミユキが考え出した作戦に、積極的に反発する気にもなれなかった。少年の意思をまず尊重するのがこのパウワウのやり方だ。
 若干虚無感で曇ったパートナーの目にも気付かず、ミユキの方はしっかと風船のヒモの先を握り直す。パウちゃんが飛ばされてしまったというアミュレの経験談を活かし、同じ轍を踏まないよう、ミユキは風船でタマちゃんを括った後、その先を自分の手に収めていた。
 「がんばっぺ、タマちゃん」
 ……ぱう
 タマちゃんが何とかミユキに返事した時だった。
 「お花、グラシデアの花はいらんかね」
 ミユキ達のすぐそばを、そんな売り文句を上げながら初老の女性が通りがかる。小さな手押し車には、濃い桃色をした花が溢れんばかりに乗っていた。聞き慣れない花の名前に、ミユキはつい花売りへ顔を向ける。すると女性の視線がバチンと合った。
 「おや陽気なパウワウをお連れだね。お兄ちゃん、グラシデアの花はどうだい」
 「ぐ、ぐらでしあ?」
 タマちゃんの種族名がタマザラシ(だとミユキは思い込んでいる)と言うより先に、花の名前が聞き取れなかったので、ミユキはそちらを優先させてしまった。花売りは「グ、ラ、シ、デ、ア、だよ」とやや間延びして強調してくれた。
 「お世話になった人へ贈る、感謝の花さ。お兄ちゃん、このお祭りは初めてかい?」
 「は、はい」
 「そう。このお祭り、『クッカ・ムナ』じゃ、このグラシデアの花を感謝の気持ちと一緒に贈ることもできるんだよ」
 お兄ちゃんも贈ったらどうだい、と花売りは手押し車から一束を取り、ずいっとミユキの鼻先に突き出した。その良い勢いに圧倒されたミユキは目をぱちくり瞬かせる。
 「か、感謝かあ」
 鼻のすぐ近くでふわりと花の香りが漂った時、少年のまぶたの裏を、森で出会った白髪の医者の姿がよぎった。
 ――そうだ、まだドテスさにお礼してなかったんだ。
 それを思い出して、ミユキはひとつ頷いた。
 「あ、あの! そんだば、おひとつもらってもええだか」
 「毎度あり!」
 花売りの女性はニカッと笑い、手押し車からもう一束を出す。ミユキの料金と引き換えに、二束ともをぷくぷくした彼の手に握らせた。
 「もう一束は花を買ってくれた『感謝の気持ち』だよ! クッカ・ムナを楽しんでな」
 「あ、ありがとうごぜえます」
 ミユキがお礼を言うが早いか、商人は元気な営業スマイルのまま颯爽と去っていく。強烈な春風のごとき勢いに置いていかれ、ミユキはしばしぽかんとしたまま花売りの背を見送った。
 「……やあ、ついおらの分までもらっちまったなあ。そんだば、アミレさにもあげるべ。とけないこおり、パウちゃんが拾ってくれたもんな」
 ぱう
 右手に風船のヒモ、左手にグラシデアの花束を握ったミユキが、気を取り直してくるりと向きを変えた、その時。
 「よう坊主、グラシデアを買っていかねえか! 祭りの目玉だぜ」
 「わ」
 もう一人、今度は筋骨隆々の青年が威勢良く声を掛けてきた。大きな屋台を引っ張っていて、そこにも桃色の花弁がめいっぱい開いている。ミユキが返答にまごついていると、先に青年がその手の花に気付いた。
 「ああなんだ、もう持ってんのか? でもよ、感謝の気持ちは伝えすぎるこたぁねえぜ。おまけしてやるからもう一束くらい持ってったらどうだ?」
 矢継ぎ早に言葉が飛んできた次には、ぐいっとグラシデアが目の前に突き出されていた。その怒涛の勢いにミユキは完全に流されて、
 「あ、え、えと。じゃあ、おひとつ」
 「おう! あんがとよ!」
おずおずと言い切る前に、花屋の青年からはなぜか三束握らされていた。
 「じゃあな!」と春の嵐のように過ぎ去る青年。再び目をぱちくりさせるミユキ。
 「……ま、まあ、ちっとくらい渡すもんが増えてもいいべか」
 ぱう……
 ヒモを持ったままの手で頬をぽりぽりかくトレーナーののんびりした顔を見て、タマちゃんはなんだか嫌な予感がした。

 二度あることは三度ある。
 嫌な予感ほどよく当たる。
 リフィアタウンの道を数歩進むごとに、地元の少女におすすめされ、老舗らしい花屋の老人に持たされ、花輪のようなポケモンから降らされて、ミユキの持つ花束はどんどん膨らんでいった。上手く断る器用さも遠慮する方法も知らないミユキは、言われるままに花を受け取ってしまう。
 そして、最初の一束を手にしてから小一時間後の現在。もさっと膨れたグラシデアの花束は、今やミユキの両腕いっぱいにまで増えていた。
 「……ま、前が見えねえだ」
 ぱう……
 やっと事の異様さに気付いたミユキだが、この先どうすればいいかがわからず途方に暮れ、一旦ベンチに座る。花束を落とさないように腕を円く絞めつつ、風船のヒモも離さないために手もぎゅっと握った。この視界では、とてもじゃないがパウちゃんを探すどころではない。
 「うーん、どしたらええだべ……」
 花に半分顔を埋もれさせながら、眉尻を下げて困る。すると、
 「あの、もしかしてミユキさまですか?」
聞き慣れた声が花の向こうから聞こえてきて、ミユキはびっくりしながら花束を鼻先でかきわけた。何とか開けた視界に、黒銀の髪の女性の驚いた顔が映る。故郷のフィンブルタウンで自分の旅立ちを見送ってくれたレフティアだ。
 「レフテアさ! なしてここさおられるんですけ?」
 「フィンブルタウンジムの皆さまと、お祭りで懇親会をしているんです。でも、皆さま何処かにいらしてしまって。ミユキさまは?」
 「お、おらもちょっと探しものしてるんです。レフテアさ、風船つけたパウワウ見てませんけ」
 ミユキに聞かれたレフティアは、右手を軽く頬に添えて首を傾げる。
 「ええと。タマさまとは違う方なのですよね」
 「はい。タマちゃんにはおんなじカッコしてもらって、ちょっと高いとこから探してもらっとるんです」
 「そうでしたか……お見かけしていませんね」
 お力になれずすみません、と頭を下げるレフティアに、ミユキは慌てて立ち上がる。
 「いいんですいいんです! もし見つけたら教えてくだせえ。……あ、そうだ」
 ふと思いつき、ミユキは抱えている花束をレフティアに差し出す。
 「あの、レフテアさ。取らせちまってすまねえけんど、こっからグラシデア、取ってもらえませんか。レフテアさにあげてえです」
 「わたくしに?」
 レフティアが瞬きする様子に、ミユキはこくんと頷いた。
 「レフテアさには、フィンブルでいっぺえお世話になりましただ。旅さ出る時も、いっぺえ励ましてもらって。だから、お礼言いたかったんです」
 グラシデアの花の中から、グラシデアの花色の頬でにこと笑う。
 「レフテアさ、おら、がんばって立派なポケモントレーナーさなりたいですだ。ジムさ行って、バトルの練習してきます。そんで、フィンブルタウンジムさ行きますね」
 「ミユキさま……」
 レフティアが目を細めて笑う。雪の結晶みたいに華奢で、素敵な笑い方だった。
 「ええ、お待ちしておりますね。お花、ありがとうございます。……あら?」
 「? どうしました?」
 花束の真ん中あたりを見て、レフティアは目を丸くした。ミユキが聞くと、彼女はそうっと両手を花束に差し込んで、慎重に抜き取る。その手にあったのは、桃色の花……ではなかった。
 「ミユキさま……こちら、花束の中にありました」
 そう言われてミユキが見たのは、つるんと丸い、固そうな物体。見るからに花ではないそれは、
 「……え、ええ? た、たまご……?」
 「ええ……おそらく、ポケモンの卵です」
レフティアの言うとおり、どう見ても卵だ。そういえば、いつ頃からか花束にしては、妙に腕に感じる重さがありすぎた気がする。だが、ミユキが受け取ったのは最初から最後までずっと花だけだったはずだ。だれが、いつ、どこで卵を紛れ込ませたのだろう。
 「……グ、グラシデアの卵だべか……?」
 「まあ……」
 驚きのあまりすっとんきょうなことを言い出すミユキ。レフティアも首を捻る一方である。

 不思議な花と卵の祭り。
 ミユキのクッカ・ムナは、始まったばかりだ。

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