間隙

 じんわりとした柔らかい温かさが、体の左側にあった。
 体の内側は胃も喉も酒のおかげで、あぶったように熱を持っていて。頬から額から、自分の肌から熱があふれて、周りの空気を温めて。でも、左腕から伝わる熱だけは自分のものではない気がした。もっと柔らかくて、ふわふわしていて、しっかりつかんでいないと離れてしまいそうな温もりだ。心地よくて、ずっとそこにあってほしいと思った。何なら、このまま右腕も回して抱き込んでおきたいくらいだ。
 だけど今はつかんでいられなかった。自分でもわかるくらいの千鳥足。こんなに酔ったのは久しぶりだ。おぼつかない足取りでは、この温もりを追いかけられない。ついに自分の身体が崩れて、冷たい壁に寄りかかってこれまた冷たい床に座り込んだ時、温もりもするりと離れてしまった。
 ちゃんと目の前の景色を見ていたつもりが、気がつけばまぶたの裏の血管を流れる血で朱に染まった闇しか映っていない。眠かなあ、と思った。まぶたがどうにも持ちあがらない。「今度はもっといっぱい飲もおね」と言いたかったが、ちゃんと返事できただろうか。思ったことは確かだが、唇が動いているかどうか自信がなかった。
 するとふいに、離れたはずの熱を両の頬に感じた。両の耳も半ば覆われる。気持ちが良くて感じるがままに身体を動かさないでいると、柔らかさが額の辺りに降ってきた。
 ――しあわせ、って今かなあ。
 ぼんやりそんなことを思い浮かべる。こんなに温かくて心地よくて、ほっとするのは初めてだ。第六層で弟妹に囲まれてぎゃあぎゃあ過ごしていた時の楽しさとは違うものだけど、同じくらい嬉しい気持ちがする。今のこの暖かさと柔らかさに名前をつけるなら「しあわせ」が一番しっくりきたし、すとんと落ちて心にちょうどよく収まった。
 よかとかなあ。こげん、しあわせ、で。
 ワシばっかりあったかかなんは、なんか悪かよ。
 なあ、いっしょに――。
 言いたいことがいっぱいある。だが、言えているかどうか定かでない。だってこんなにも眠いのだ。ともすると、すでにここは夢の中かもしれない。それもあながち間違いではないのではないか。夢の外では結構しんどいことばかりだったから。
 しあわせは、夢の中にだけあるのだろうか。夢だから、こんなに温かいのだろうか。
 それなら、ずっとここにいた方がしあわせなのだろうか……?

 ――お前さぁ、ほんとに起きなくていいの……?


 「……? のづっちゃん……?」
 テッカが聞いたテッカ自身の声は、ずいぶんと掠れていた。目を開けてもまだ視界が薄暗く、なんだか天井がやけに近い。何度か瞬きを繰り返してから目をがしがしこすると、そこでようやくテッカの頭が働き始める。ここは大空母ノアの仮眠室。広くないノアのスペースを一分も無駄にしないため、何段にも重なった簡易の睡眠スペースの一つだ。前衛分隊の退陣命令を受け取ったテッカは、ボロボロのテッカドンを引きずってノアに戻った後、バイタルチェックを受けてから休眠の許可を得たのだ。EBEに首と肩を嚙みちぎられかけたダメージは、外傷的な影響こそないものの、テッカの神経を確実に痛めつけたらしい。すべてを思い出したテッカの首は、まだテッカドンと信号を繋げているかのように嫌な熱を帯びていた。
 「あでで……。今何時やろ。向こう、どげんなっとおとかな……」
 自分がどれぐらい休んでいたかも、戦況がどうなっているかもわからない。テッカは低い天井に頭をぶつけないよう、慎重にベッドを抜け出した。伸びをすればまだ身体じゅうがあちこち痛むし、その上狭いところに押し込んでいたせいで凝り固まっている部分もある。が、動けないほどではない。「よっしゃ」と気合を込めて呟き、下ろしていた赤髪を無造作に結び直した。まずは今の状況について行かなければ。
 ――シャルちゃんに通信せんと。
 自分のオペレーションを担当する五百蔵シャルルに回復の報告をして、現況を教えてもらわなければならない。テッカは仮眠室の自動ドアの前に立ち、スイと開けた。
 その途端、
 「バイタルチェック入ります!」
 「EBE、EBEが沈んできてるってホントか!?」
 「俺は出る! タイガ隊長があんなに言ってくれてるんだぞ!」
 「ねえ、エネルギー補給はまだなの!?」
仮眠室の静寂が嘘のように、通路は怒号と叫喚でごった返していた。びくりと肩が震えたテッカは、慌ててドアを通過して閉める。誰一人として静止している隊員は通路におらず、その多くが緑色の戦闘服に身を包んだ第三大隊の者だった。しかし、赤や青、紫の戦闘服も通路のあちらからこちらを駆け抜けている。自分と同じく、前線離脱を命じられた部隊だろうか。
 ――あの時みたいばい。
 狭いノアの中を右往左往する同胞たちを前に、テッカはそんなことを思った。第六層が崩壊したあの日も、ちょうどこんな風に人々がスラム街の隘路を走り回っていたのだ。似ている風景にも思えたが、あの時の人々は逃げ惑う難民だったのに対し、今目の前にいる彼らは戦いを続けるためにそれぞれの目的地に向かっている。
 「ワシも行かんと」
 テッカは人ごみに飛び込んだ。シャルルと通信するなら、テッカドンに乗り込んだ方が一番手っ取り早い。通路を右に左に曲がってフロアを上がり、アトランティスの格納庫に入ると、テッカは巨大な戦闘機たちが休息する空間を彷徨った。何せアトランティスは一体一体が第四層のビルくらいある。一機のアトランティスの前を通りすぎるにも、街の一区画分の距離を歩くことになる。それでも幸いだったのは、不思議と自分のアトランティスの場所を覚えていることだった。黒いボディから垂れ下がる赤い四つの拳は、遠くからでも自分の機体としてわかりやすい目印だ。
 ――みんな、どこにおるとやろ。まだ海ん上かな。EBE、増えてしもうたっちゃもんね……。
 テッカは歩を進めながら、帰艦するより前のことを思い出す。武器腕を千切られかけてもなおEBEとの『喧嘩』を続け、何とか掃討完了まで生き延びたとわかってからすぐのことだった。あの時のことはしっかりと、楔のように頭に打ち込まれている。
 ――EBEの影が消えた海、その上に広がる赤い空。モニター越しに見ていた一面の赤が、しかし突然妙に黒ずみ始めたのだ。黒ずみはよく見ると、黒ずみと言うより空に亀裂が走っているようだった。モニターの故障かと画面を直に指で触るが、滑らかな表面にヒビも汚れもない。そうしているうち、だんだんと黒ずみは広がり、
 「わっ!」
突然目のようなものが黒ずみから覗いて、その画面を触っていたテッカは指を引っ込めた。
 「ビ、ビビったぁ! 何?」
 目を丸くして、モニター越しに過去の空をまじまじ見つめる。一方、亀裂の向こうの目はじっとこちらを――いや、海上のアトランティス達を、機動隊員達を、そしてその下方に広がる海を眺めていた。自分一人だけに目が向けられているわけではないはずなのに、まるで今その不気味さが眼前にあるような気がして、テッカはぶるりと震えた。
 すると突然、地面が震えるようなノイズが入った。ザリザリともガリガリともつかない、とっさに耳を塞ぎたくなる轟音。だがよく聞くと音に高低が――いや、音程が――さらに否、言葉が乗っている。映像のためか上手く聞き取れないが、確かに目玉は何か喋っていた。
 「なに……なんとや、あれ……」
 寒気がぞわぞわと背筋を伝う。雑音はひとしきり喋りおえたのか、数秒もすると消えた。
 が、それと替わるように、亀裂から黒い影がボトリボトリと垂れるがごとく落ちてきた。テッカは目を見開いた。
 「EBE!?」
 自分達が苦労して掃討したはずのEBEが、新しく空の亀裂から降ってくるとは。途端にテッカの肩がずんと重くなる。細いアトランティス本体の腕で何とか掴んでいる武器腕が、泥のように重く感じたのだ。
 ――まだ行けるとかな……。
 正直に言って頭がぼうっとしてきているし、肩も首も焼け付く痛みがまだ取れない。顔の脂汗だって何回肩口で拭っても止まらないのに、それでも新たなEBEは海の上の自分達めがけて降ってくる。
 ――……しょんなか。最期まで気張るしかなかね。
 すうっと息を吸った、その時だった。
 『テ、テッカさん。通達です』
 シャルルの通信が入ったのだ。
 『統宜隊長より……前衛分隊、ノアに帰還してください』
 「えっ」
 テッカは素っ頓狂な声を上げてしまった。
 「よかと? ばってん、EBEが増えよっとよ」
 『じ、陣形入れ替えです……後衛が、前衛に出ます』
 「後衛が……」
 その時テッカの頭の裏を掠めたのは、後衛分隊に所属するノヅチの新緑色の頭だった。彼を残して海上を退く――テッカは唇を嚙み締めた。
 しかし、今のテッカドンでここに残ったところで何ができるだろう。腕と首がもがれかけて、あちこち損傷して、エネルギーもブレードもランチャーも切れかけているテッカドンに……。
 テッカは操縦桿を握りしめた。噛んだ唇から鉄の味がする。唇の力を緩めて、もう一回噛んで、迷いながら息を吐いてから、
 「……わかった」
ようようやっと了解の応答を吐き出した。
 ――ワシが前衛でも、ここまで残れたけん。ノヅっちゃんなら、もっと大丈夫たい。
 テッカの手がのろのろ動き、テッカドンがぎごちなく旋回する。武器腕が取れてしまった今では、機体の変形もままならない。帰艦するからには、せめて前線に来たる分隊の邪魔にならないように動かなければならないのに。
 「……炎谷テッカ、ノアに帰艦するとです」
 ――帰艦した今となっては、そんな声を出したのも、まるで遥か昔の出来事に感じる。
 ――ノヅっちゃん、まだ戦っとおとかな。
 隣人を思い浮かべながら、テッカドンのコクピットに至る空中通路への階段を上がる。カン、カンと冷える空間に響く足音が、だんだんと速くなっていくのが自分でもわかった。
 しかし。
 「……!」
 空中通路に躍り出た瞬間、テッカドンをその胸元の高さから見上げたテッカは息を飲んだ。テッカドンの首の繊維が崖崩れのように荒れ果てている。背から生えていた太い武器腕は細い本体腕に頼りなくぶら下がっていて、その断面も大嵐でなぎ倒された巨木のようにグロテスクだった。テッカは反射的に自分の首を抑える。
 「……すまんかったなあ、テッカドン。こげんなってしもうて……」
 アトランティスに向かって絞り出した声はあまりにもちっぽけで、アトランティスに届いたかどうか自信はない。それでもテッカは搭乗口から自分の機体に乗り込むと、そろりと操縦桿を指でなぞった。
 一つ息を吐き、通信をオンにする。
 「……シャルちゃん? 炎谷テッカたい。聞こえる?」
 『――は、はい……!』
 通信機器からは、問題なくオペレーターの声が聞こえてきた。ようやく連絡手段が整ったことに、テッカはほっとする。
 『五百蔵シャルルです。か、回復されたんですね』
 「うん、もお大丈夫。ワシはね。……テッカドンはわからん」
 苦笑いしながら付け足すと、『そ、そうですね……』と明るくない声音が返ってきた。
 『炎谷機の損傷率は……70%を超えています。コアからのエネルギー供給が間に合っていないので、修復に回すこともできません……』
 「直せんと? ううん……」
 テッカの苦笑いが苦虫を嚙み潰した顔になる。修復もできないとなると、この満身創痍のテッカドンで再び戦場に出たところで、まともにEBEを退治できるとは思えなかった。EBEの格好の餌食になるか、それを逆手にとって囮となるかが関の山だろう。
 「海ん上は? 今どげんなっとお?」
 『ま、まだ……後衛分隊、各索敵班が……戦闘中です。それで……』
 細々としたシャルルの声が、最後でいよいよ消え入りそうになる。テッカは首を傾げた――否、傾げかけて痛みがぶり返したのでやめた。
 「シャルちゃん?」
 『……あの、先ほど……神坂隊長より、通達がありました。……み、見ますか……?』
 シャルルの言い淀んだ言葉尻で、テッカは眉を顰めた。恐らく良くない類の通達なのだろう。予想はつくものの、自分の所属する第一大隊隊長の通達を聞かない理由はない。
 「うん。見る」
 『……わ、わかりました……記録を転送します』
 少し間を空けてからシャルルは了承した。彼の細い音声が止むと、替わってモニターに濃い緋色の髪の男が映る。我らが第一大隊隊長、神坂タイガの顔だった。


 『隊員に告ぐ。これはお前たちにしか任せられない使命だ』

 『共に生き、共に歩み、そして共に戦ってくれるなら、その覚悟を心から歓迎する』

 『オレはお前たちの誇り高き意志を愛し、決して無駄にはしないと誓おう』


 「……。」
 テッカは丸い目を少しだけ伏せて、第一大隊隊長の顔を正面から見た。神坂隊長の目が見ているのはモニター越しの潜航機動隊隊員達であり、テッカ一人と目が合っているわけではない。
 ――あいかわらず、お上は難しかことば言いよっとね。
 言葉の一つ一つの意味はわからないテッカであったが、しかし隊長の言いたいことは何となく目を見て伝わった。映像が終了したのか、モニターはふっと暗転する。シャルルの通信が再び入った。
 『……あの……』
 そこからまたしばらく間が空く。やがて、どうしますか、と聞こえてきた。何についての話かはテッカにもわかっている。今の神坂隊長の伝達を聞いた上で――さらに今のテッカドンの状態を見た上で、テッカに再出撃するか否かの意思を確認しているのだ。
 「……しょうやねえ……」
 テッカは操縦桿の上を指でなぞる。ぼんやりと、前回のトリトン戦――そして、EBEの王との戦闘の光景が目に浮かんだ。
あの時は撤退命令のままに撤退して、入れ替わりに第四大隊の多くを海の中に置いて帰ってきた。その後の隊内の空気を、新都心での視線を、今も覚えている。
 ――また、怒らるうかな。隊長の言うことば聞かんと、生き残ってしもうたら。
 ひりひりと肌を焼くような緊張感。第五層であちこちから追いかけまわされたこと。――弟妹を守るために、消えたリッカ。
 「……!」
 次から次へと思い出して、自分と同じ髪色の妹に辿り着いた瞬間、操縦桿を握りしめた。
 ――こんまま帰ったら、生きたら、今度は、だれが。
 ――しょんなら、もう。どうせこげんボロボロやけん。
 ――ボロボロついでに、最後まで……。

 『姉ちゃんも待っとうとけん、負けちゃつまらんとよ!』

 「――は」
 突然ヒャッカの声が聞こえてきて、テッカは瞬きをした。無意識に息を止めていたようだ。テッカが声に乗せて二酸化炭素を吐くと、その代わりに酸素が入り込んだ。頭に靄がかかっていたような感覚を、それが晴れるところでやっと意識する。
 ――そうったいね、ヒャッカ。負けちゃあ、お前ら守れんな。
 テッカは瞼を閉じた。寸の間を空けてから、ゆっくり口と目を開ける。
 「……ごめん、シャルちゃん。ちょっと考える。決めたらまた通信するばい」
 『……わかりました』
 シャルルの返答が聞こえたと思うと、通信はふつりと切れた。テッカはふーっと細長い息を吐きながら、コクピットの背もたれに寄りかかって天井を仰ぐ。
 「……生きても死んでもよかばってん、こん喧嘩にだけは負けちゃつまらん。どげんしょう」
 テッカドンの惨状を考えれば、再び海上に出れば死は確実だ。自身一人の死が機動隊の勝因になるとも、敗因になるともテッカには思えなかった。かといってここで生き延びたとしても、ノアが残るか沈むかは別の問題だ。
 「ワシ一人じゃ、どうしょうもなかなあ。ワシは小っちゃかねえ、テッカドン」
 そう呟きながら、顔を前に向けて視線をモニターに戻した、その時だった。
 「……あれ」
 モニターの向こう、テッカドンのカメラが映す機体の外の風景には、整備員や再出撃のためか戦闘員の影がちらほらと動いていた。その人影の中に見知った髪色を見つけて、テッカの目が留まった。
 「ありゃあ……」
 テッカはすいっと立ち上がった。人影を見失わないようにできる限り視線を投げ続けつつ、テッカドンを降りる。通路に立つ時にはさすがに目線を落とさないといけなかったが、それでも足を安全な床に置いた瞬間からは再び顔を遥か下方に向け直した。人影は先ほどのテッカのように、迷いなくアトランティスの合間を縫って歩を進めていく。テッカは慌てて走り出した。
 空中通路から階段へ、階段を二段飛ばしで飛び降りてから最下通路へ。全速力で走れば、どうにか普通の速度で歩いていた彼女を見失わずに済んだ。恐らく声が届くであろう距離になったと信じて、テッカは声を張り上げる。
 「ミイちゃん!」
 少し時間をおいて、白藤の髪の人影――ミライカが歩みを止める。声が届いたらしいことに、テッカはほうっと息をついた。
 急いでミライカの前まで距離を詰める。思いの外息が上がっていて、テッカは両手で膝を抑えて屈みこみ、痛む肩をさらに上下することになった。が、そんなことには構っていられない。
 「どこ行くと?」
 息切れの合間、呼気と共に言葉を絞り出せば、ミライカがこちらを向く気配がする。呼吸しながら視線だけ上げてその表情を見ると、テッカはあいまいに笑ってしまった。
「またしんどそうな顔しとおとね。あの時とおんなじたい」
テッカが言う『あの時』というのは、トリトン戦直後のことだ。テッカは帰還命令に従ってノアに戻った後、今と同じようにアトランティスの格納庫で、今と同じようなミライカの顔を見た。涙を見せているわけでも、顔を大きく歪めているわけでもない。だが、艶やかな唇で惜しみなく弧を描いて笑う普段の笑顔と今の表情とは、テッカにとってはまったく似ても似つかなかった。
「……お前、どっから来たんだい。ずいぶん息切れしてるけど」
 そう綴るミライカの言葉の調子は、出撃前と変わらないくらい明るく聞こえる。しかしテッカは首を振った。
ようやく息が整ったので、顔を上げて背筋を伸ばす。改めてミライカの背後を見ると、彼女のアトランティスが通路の奥に控えていた。ミライカの行き先がわかって、
「……ミイちゃん、どこ行くと」
しかし、わかったくせに思わず同じことを聞いてしまった。
 「今度は、行くと?」
 「……。」
 前に行けなかったけん、とは付け足さなかった。が、きっとミライカには伝わっているかもしれない。彼女の無言が、変わらない表情が、答えだった。
 「……お前は、どうするんだい」
 ミライカは静かに尋ね返した。白藤の糸の束の隙間から強いマゼンタ色の瞳がこちらを覗いて、テッカの心臓がドキリともギクリともつかないような鼓動を刻む。テッカは一つ大きく息を吐いてから、両腿の側で拳を握った。
 「……まだ、決めとらん。チビどもば守るのに死なんといけんなら死ぬばい。ばってん、生きんといけんなら生きる」
 テッカは、少しだけ後方のテッカドンに振り向いてから再びミライカに向き直る。
 「テッカドンはもうほとんど動けん。もっかい出れば、もうワシもテッカドンもつまらんとやろね。ばってん、それで守れるなら行く。逆に、みんなの邪魔になるんなら行かん。……今はまだ、どっちかわからんけん、決められんばい」
 にゃはは、と眉尻を下げて頬を掻く。正直なところ、話しながら情けないとは思ったが、見栄を張るところまでテッカの頭は回らなかった。
 ひとしきり笑ってごまかしたところで、テッカは頬を掻いていた手を下げる。緩く、力なく頬の弧を残したまま、ミライカの目を見返した。口を開けると、聞きたいことがゆっくりと唇から零れていく。
 「ミイちゃんは、誰ば守りたかと? 潜航機動隊が新都心ば守るんは当たり前ばい。そうやのうて、ミイちゃんが、誰ば守りとおて、誰んために行くと? 誰んために、そげん悔しそうな、しんどそうな顔しとおと?」
 テッカにとって、ミライカは不思議な女性だ。明るく人当たりがよくて誰とも仲良くしているようで、飄々といつも一人でいる気もする。かと思えば、戦線から抜けさせられるとこんなに悔しそうな顔をして、今はもはや前線に戻ろうとしている。
 掴み所のない彼女の心をこんなに掴んで荒ぶらせる、その怒りのような悔しさのような気持ちは、一体誰のためのものなのか。一人のようでそうでもなくて、しかしこういう時には独りでいる彼女の心には、もしかして誰かがいるのか。いるとしたら、誰なのか。
 「ワシが守りたいんはねえ、チビどもでしょ。あと、最近は機動隊のみんなも、元気でいてほしかなあって思うとよ。ミイちゃんにもね」
 初めてミイちゃんと呼んでいいか聞いた時や昨日乾杯した時のような、大きな笑顔が瞼の裏に浮かぶ。それが今の目の前のミライカと重なった時、テッカは「嫌やなあ」と思った。
 ――ミイちゃんがしんどかなんは、嫌ったい。
 「ミイちゃんは? ミイちゃんの守りたいもんのために、ほんとにミイちゃんは行かんといけん?」
 テッカは一歩前に足を踏み出した。やり場のない手が、ぼんやりと自身とミライカの間に伸びる。ミライカに差し出すでもなく、振るでもなく、ただそこで空を掴んだままでいた。
 「……もし、ちょっとでも、行かんといけんこともなかとなら……ワシと約束しよ。生きて帰ってまた飲もう。この約束ば、守ってほしか。ワシも守るけん」
 するすると考えるより先に出てきた言葉が、すとんとテッカ自身の心に落ちる。
 ――ああ、今度こそちゃんと言えてよかったばい。
 昨日はたぶん、ちゃんと返事できんかったけんね。
 アトランティス達の狭間で、テッカはミライカの顔を真っ直ぐ見つめる。


 願わくば、彼女の顔を歪ませる誰かなんていませんように。その誰かを守るために、彼女が辛さを背負いませんように。
 願わくば、彼女がまた笑ってくれますように。

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